5.南美深(八月二十一日、木曜日、十三時〇八分)
稚内行き十二時四十五分名寄発の普通列車は、北星駅を出てから五分も経たないうちに、次の智恵文駅に到着した。
「この駅は、かつては智恵文村(今は名寄市に併合されている)の中心地だったけど、今では、利用者もほとんどいなくなり、さびれてしまっている。でも、ここの駅舎を見てごらん」
進行方向の左手に、丸い屋根を持つ薄紫色の建造物が見えた。
「可愛らしい駅舎ですね」
「そのとおり。この駅舎こそ、まあ待合室というのが正しいけど、宗谷本線名物の、いやJR北海道名物といった方がいいのかもしれない、いわゆる、『貨車駅舎』というやつだ。宗谷本線では、智恵文駅が貨車駅舎を使用している最南端の駅だ。昔は智東駅が最南端の貨車駅舎だったけどね」
「ほかにもこんな駅舎がたくさんある?」
「そういうこと。これから先、嫌というほど登場するから楽しみにしていてよ。でも、この駅舎が一番塗装もきれいだし、美人って感じがするね」
「駅舎が美人……ですか?」
「まあ、個人的主観の範疇で、そういう印象を、僕は抱いているということさ」
青葉がきょとんとしている間に、列車が智恵文駅を出発した。そこから少し進んだところに、『ちえぶん沼パーク』と書かれた道路標識がちらりと見えた。
次の停車駅、智北駅も秘境駅だった。駅まわりには道路があったけど、民家はなかった。駅舎はプレハブの小さな四角い建物で、貨車駅舎や木造駅舎と比べると、やや奥ゆかしさに欠ける。
さらに、次駅も秘境駅になっている。宗谷本線を代表する指折りの秘境駅――南美深駅だ。
「南美深駅は、周辺が開けていて、雰囲気自体は決してさびしくないけど、とにかく列車が停車しないんだ。
一日に停車する列車の本数は、上り(旭川方面)が四本で、下り(稚内方面)が三本の、合計七本しかない。
この列車は、十三時〇八分に南美深駅に停車するけど、もしそこでうっかり降りてしまうと、次にやって来る列車は、ええと、稚内行きが十七時〇四分で、旭川行きは十八時〇一分までないね。正真正銘、秘境駅訪問家泣かせの駅だ」
又村は、スマートホンを片手に時刻表を検索して、それを見ながら説明を加えた。
「間違えて降りると、とんでもないことになってしまいますね」
「まあ、もしそんなことになれば、僕なら、となりの美深駅まで歩いちゃうね。そんなに遠くはないし」といって、又村が笑った。
青葉が乗った列車が、定刻に南美深駅に到着した。驚いたことに、地元の住民と思われるおばあさんがひとり、下車をしていった。ここにも、どことなく風情が感じられる簡素な板張りホームがあった。そして、ホームから少し離れたところに、三角屋根の待合室がたたずんでいた。
「この駅は、見た通り、とても短いホームだ。だから、この列車のように下り列車ならいいけど、上り列車がこの駅に停車すると、車両の後ろ半分がホームをはみ出して、すぐそこの、南美深駅前メインストリートの踏切にかかってしまうんだ」
駅から出たすぐのところには、踏切があって、道路が横切っていた。
「駅前メインストリート……、ですね」
青葉は又村の冗談に笑っていた。
「すると、列車が駅に停車しているあいだじゅう、踏切の遮断機が下りていて、車が通行できなくなってしまう。本来なら、列車は踏切を通過しているはずなのにね。
まあ、交通量も少ないから、文句を唱える人は誰もいないけど」
たしかに、通常の社会ではゆるされないであろう。列車が駅に停車するたびに、車両のお尻がホームからはみ出して、その間ずっと、遮断機が下りたままの、開かずの踏切なんて……。
宗谷本線一言回想録
南美深駅で、実際におばあさんが一人、降りて行きました。