15.南稚内(八月二十一日、木曜日、十八時三十九分)
又村と別れてひとりになった青葉は、抜海駅の木造駅舎の中で、次にやってくる列車を待っていた。構内には青葉のほかに、ふたりの男性がいた。ひとりはさっき写真を撮ってもらった若い男の子で、もうひとりは眼鏡をかけた中年男だ。どちらの男性も青葉のことが気になるのか、ちらちらと見られているような気がしたが、あまり気にしないふりをすることにした。そんな中、ふと見ると、棚の上に駅ノートが置いてあった。
ここの駅ノートはきちんとファイリングがされていて、製本された本が、ナンバー9までの、九冊も置いてあった。読んでみると、これがなかなか面白くて、待ち時間が一気に過ぎてしまう。中にはプロ級の技術を持ったイラストも描かれていて、記事の内容もハイレベルだった。
青葉もなにか書き込みたくなったが、つまらないことを書いても恥ずかしいだけなので、やめておいた。でも、列車に乗りこんだあとで、青葉はそれを大きく後悔した。やはり、滅多なことではやって来られない秘境の駅なのだから、せっかくの訪問を記念して、気楽に思いついた文章を書き残しておけばよかったのだ。
十八時二十八分発稚内行きの普通列車は、定刻に抜海駅にやってきた。陽が沈んで、辺りは真っ暗になっていた。又村と別れてから、もうすでに一時間以上も経過していることになる。でも、それはあっという間だった。
列車は抜海駅を出て原野を走っている。そこは、鉄道関連の計器が放つ光のほかに見えるものがなにもない漆黒の空間であった。次の駅である南稚内駅までは、相当の時間がかかったような気がする。気のせいかもしれないが、二つの駅間の距離はかなりあったように感じられた。
そして、間もなく、
――南稚内、南稚内です。
お降りの方は運転手横のドアをご利用ください――、
という車内アナウンスが流れてきた頃から、急激に街の灯りが見え出して、世界が一気に明るくなった。
南稚内駅で青葉は列車を降りた。ここは、旭川以来の都会だ。名寄や士別、美深、豊富などよりもずっと規模が大きくて華やかな街である。
予約しておいたホテルに荷物を下ろして、ずっと身軽になった青葉は、当初の計画通り、国道四十号線を北に向かってとぼとぼと歩き始めた。三キロほど歩けば、宗谷本線の終着駅、日本最北の駅である、稚内駅――、にたどり着くのだが、青葉の目的地はその途中にあった。
南稚内駅と稚内駅とのちょうど中間に当たる場所に、広い駐車場があって、そこに『港のゆ』というスーパー銭湯がある。その建物の前で、青葉は立ち止まった。ここは、インターネットで評価がとても高かった温泉だ。
銭湯や温泉にはあまり興味を示さずにこれまで過ごしてきた青葉だが、日本の最果てまでやってきて、今さら引き返すのももったいないとばかりに、意を決すると、建物の中にずんずんと入っていった。
平日のわりには、そこにはたくさんの市民が訪れていた。お年寄りからちいさな子供まで、その年齢層は様々だ。
眼鏡をはずして、足元がぼんやりとしか見えなくなっているのに気をつけながら、青葉はそろそろと浴槽に近づいていった。青葉にとっては少し熱めのお湯だったが、入ってみると、ぬるぬると肌にお湯がまとわりついてきて、とても気持ちがよかった。こういっては失礼であるが、スーパー銭湯なのに、湯質は最高級の極上ものであった。
湯船の中で、人目をはばかって、青葉は大きく伸びあがった。白くて細長い青葉の両腕が、お湯に濡れたままきらきらと輝いていた。
「今日は一日、いろいろあったなあ。ねえ、ブル子……」
ひとりっ子でお嬢さま育ちの青葉にとって、今日一日だけで、彼女の容量をはるかに超えた刺激と情報があった。今まで体験してきた世界とはあまりにも異質ないくつもの明媚な風景が、めまぐるしく脳裏を駆け巡っている。
ここにやってきて本当によかったとばかりに、青葉は、そこはかとない充実感にひたっていた。
翌日、バスで宗谷岬を訪問しながら、北海道の北の果ての大地を、青葉は満喫した。ホテルに戻ってくると、疲れ果てて、ニュースも見ずにぐっすりと寝入ってしまった。さらにその翌日は、特別急行列車『スーパー宗谷二号』で旭川まで一気に上って、そのまま、旭川空港から中部国際空港まで、ひとっ飛びで帰ってきた。
しかし、その背後で、身の毛もよだつ陰惨な殺人事件がひそかに進行していようとは、旅行に楽しんでいる今の青葉には、とうてい考えの及ばざることであった……。
宗谷本線一言回想録
話しの中に出てきたスーパー銭湯。行くのはちょっぴり不便だけど、超お勧めです。