10.天塩中川(八月二十一日、木曜日、十四時二十八分)
筬島駅から佐久駅までの十八キロ区間は、かつての神路信号場の名残りのあのS字曲線が描かれた線路の存在を除けば、天塩川沿いの原生林が連なる静かな空間で、途中にはなにもなかった。やがて、普通列車は、宗谷本線の三十六番目の駅、佐久駅に到着する。
「筬島駅と佐久駅の間が異常に長い理由は、あいだにあった神路駅が消えてしまったからですね。よくわかりました」
「でも、北海道にはもっと長い距離で、しかも途中に駅が存在しない無駅区間がある。例えば、石北本線の上白滝駅と上川駅とのあいだは、距離が四十キロ近くあって、その区間を走行する列車は、一時間、どの駅にも停まらないんだ」
「ええっ、一時間も駅に停車しない? 新幹線でもないのに?」
「そう。その二つの駅の途中には、実に、四つの駅――
奥白滝駅、
上越駅、
中越駅、
天幕駅、
があって、その全部がことごとく消滅してしまったのさ」
「どうしてなくなってしまったのですか?」
「利用者がいなくなったから……、つまり秘境駅だったということ」
「やはり、時代の流れには逆らえない、ということですね」
青葉が悲しそうにため息を吐いた。又村は外の景色に目を移した。列車が次の駅を目指して動き始めた。
「この次の、天塩中川駅は、特急も含めて、全ての列車が停車する駅なんだけど、なぜか無人駅だ。不思議だろう?
宗谷本線では、そのような駅が、天塩中川駅と和寒駅の二つある」
「特急列車が停車するのに、駅員さんがいない?」
「合理化のためとはいえ、なんとも皮肉なものだ」
「それでは、天塩中川駅も秘境駅ですか?」
「いや、駅周辺はいちおう街になっている。そこまで酷くはないよ。でも、そのまた次の、歌内駅は、押しも押されぬ秘境駅だな」
ここで又村はひと息入れて、話を続けた。
「でも、それらよりももっと悲しい駅がほかにあるんだ……。
佐久駅と天塩中川駅の間には、かつて琴平駅という駅があり、さらに、天塩中川駅と歌内駅との間には、下中川駅という駅があった。
いずれも廃駅となり、今ではホームや待合室などの当時のなごりの施設もあとかたなく撤去されてしまっている」
「智東駅や神路駅のように廃止された駅ですよね。宗谷本線に廃駅って、いくつありましたっけ?」
智東駅の跡地を通り過ぎる時にも、聞かされた記憶があったけど、もう一度はっきりと確認をしておきたくて、青葉が訊ねた。
「貨物駅に取り込まれて廃駅となった西永山駅が旭川市内にあったけど、そこは大都会の中心にあった駅だから、まあ例外として、そのほかに、宗谷本線には全部で七つの、利用者がいなくなってしまったために消えてしまった廃駅がある」
又村は、すでに青葉に説明をしていたことについて、すっかり忘れているようであった。
「それらは、旭川駅側から順番に、
智東駅、
神路駅、
琴平駅、
下中川駅、
上雄信内駅、
南下沼駅、
そして、
芦川駅、
だよ」
又村は、指を折って確かめながら、駅の名前をあげていった。
「今残っている駅は、ある意味、まだ利用者がいて頑張っている、いわば、勝ち組の駅なのですね」
「勝ち組ねえ……。まあ、そういうこと。でも、いつ廃駅にされてもおかしくない危険な駅もいくつかある」
「まあ、大変」
「だから、そういう駅は今のうちに訪問しておかなくちゃね。まだ、ホームや待合室が健在なうちにさ」
「琴平駅の跡地もわかりますか?」
「そうだね、もうじき通過するよ。
琴平駅の跡地は、今、進行方向右手に『道道』が、線路に平行して走っているよね。ちなみに『道道』とは北海道が管理する道路のことで、『県道』と同じ意味だよ」
「はい、すぐそばにありますね」
「間もなく、こいつが進行方向の左手にやってくる。つまり、線路と交差するわけだが、その交差地点にある踏切の北側に、かつての琴平駅はあったんだ。
ほら、そこだよ!」
そういったさなかに、列車が踏切を通過した。牧場らしき大きな施設が見えただけで、ほかに民家はなかった。それを見て、この駅が消えてしまった理由を、青葉は納得せざるを得なかった。
琴平駅跡地を通過した列車は、数分後に天塩中川駅に到着した。時刻は十四時二十七分だ。駅周辺は、建物がそこそこ点在しているが、雰囲気はやや淋しげで、音威子府駅と似ている感じがした。決して、名寄や美深のような規模の街ではなかった。
「ちょっと駅名の表示板を見てごらん」
隣接駅の表示箇所に、『さく』と『うたない』というひらがなが書いてあった。
「はい、わかります。でも、両方とも上からシールが新しく貼られて、訂正がなされています。つまり、かつての隣接駅は、それぞれ違う駅だったということですよね」
「そういうこと。この天塩中川駅のかつて本来の隣接駅は、琴平駅と下中川駅だ。
両側がともに訂正されてしまった駅なんて、ある意味、貴重かもしれないね」
「もう一つの、下中川駅の跡地もわかりますか?」
「わかるよ。そこは、まず、左手に見える天塩川が、この先で、一変して線路から離れてしまうんだ。すると、左手にまあまあ広い平地が現れる。そして、下中川駅だけど、天塩川が線路から離れるその瞬間の踏切を超えたすぐの場所にあったのさ」
「あの……、口で説明されてもややこしくてよくわからないから、近くになったら教えてくださいね」
「はははっ、それもそうだね」
天塩中川駅を出てから五分くらいして、列車は下中川駅の跡地を通過した。こちらも、琴平駅と同様、線路と平行して走る道道が見えるだけで、民家はなにも見えなかった。こうして駅が次々と消えていく宗谷本線の惨状には、寂寥の念を抱かずにはいられない。
そして列車は、次の歌内駅に停車した。ここにも、もはや定番となった黄色い貨車駅舎があって、民家らしき家々がひとかたまりあった。それでも、秘境駅に分類されても仕方がない駅であることには、疑念の余地がなかった。
「ここも貨車駅舎だね。ええと、宗谷本線で貨車駅舎がある駅は……、
智恵文駅
紋穂内駅 ※、
筬島駅 ※、
歌内駅 ※、
問寒別駅、
安牛駅 ※、
上幌延駅 ※、
下沼駅 ※、
勇知駅、
ということになるかな(※が付いているのは秘境駅)」
歌内駅のホームには、もちろん人など誰もいなかった。それを見た青葉は、自らにいい聞かせるように、小さな声でつぶやいた。
「でも、消えてしまった駅たちよりも、まだずっと元気ですよね。少なくても、ここは……」
宗谷本線一言回想録
消えてしまった駅。そして、これから消えてゆく駅。