2、噂
一年S組。
拍斗が毎日授業を受けている教室である。
彼は元々授業を受ける気がそこまでないのだが、とある事情があって毎日学校に通わなくてはならない。
いや、学生である以上、卒業する為にこうして授業に参加しなければならないのは事実なのだが。
「おはよう、拍斗」
彼に最初に挨拶してきたのは、高身長の青少年だった。
笑顔を絶やすことなく、整った顔立ちをしている少年の名前は、大和翔。
同じクラスの学生であった。
「……なんだ、お前か」
拍斗は、大和のことをあまり快く思っていなかった。
どちらかと言えば『嫌い』の部類に入る人間なのだが、様々な理由があって彼とは接していかなくてはならないのである。
もし、そう言ったしがらみがなかったとしたら、拍斗は彼のことを真っ先に斬り捨てていただろう。
「相変わらず不機嫌だね。きちんと休んでいるのかい?」
「放っておけ。少なくとも、お前よりは休んでるつもりだ」
「それはそれは。僕だって、きちんと休息くらいとってるよ」
「毎晩『アイツ』のことを探しているやつが言えることかよ」
拍斗が『アイツ』と口にした瞬間、大和の雰囲気は少し変わる。
外から見れば、いつも通りの笑顔。
だが、上っ面だけの『仮面』の笑み。
そう、拍斗はいつも『仮面』を被っている大和のことが、気に食わなかったのだ。
「あまりそういうことを口にしない方が身のためだと思うよ、拍斗。ここは学校だからね」
「だからどうした。俺にはそんなこと関係ねぇよ」
「……君は一体、何のために自分がここに派遣されてきてるのか、分かってるのかい?」
笑顔のまま、大和は尋ねる。
ただし、その目は拍斗を睨みつけている。
それは人のものではない……まさしく、獣。
大和翔という人間の底を、拍斗は量ることが出来なかった。
「理解してるつもりだ。目的のことを忘れているわけじゃねえ」
「そう。ならいいけど」
「……お前は、俺がどんな『目的』を持っているのか知らないはずだよな」
「そうだね。僕は君が上の連中からどんな行動目標を背負わされたのかは知らない。けど、それがどんな形であれ、上の意向であるのは間違いない……今の僕には、どうすることも出来ない」
その目は、悔しそうでもあり、野望に満ちてもいた。
自分がすべてを把握することが出来てないと言う悔しさ。
いずれその地位に立ってやるという野望。
大和は心の中で、そのようなことを抱いていると思われる。
「まぁいい。その上で一つ聞かせろ」
「なんだい? 僕に質問だなんて、拍斗にしては珍しいじゃないか」
大和の言葉に苛立ちながらも、拍斗はこう尋ねる。
「『虚ろな使者』について、お前が知ってることはないか?」
*
夜の学園内。
偶然にもその場所に立ち寄っていた、一人の女子生徒がいた。
「こんな時に忘れ物だなんて……」
艶のある髪を揺らしながら、少女は走る。
彼女がこの学園の生徒であることは、制服を見れば一目で分かる。
しかし、だからと言ってこんな時間帯に学園を訪れる理由になるかと問われれば、少し弱いものであった。
では、彼女は一体何をしに来たのだろうか?
答えは簡単だ。
何せ先ほど少女が口にしているのだから。
「あのノートがないと、明日の授業が……」
彼女は寮に住んでいる生徒だった。
夜中宿題をやっている時に、ノートがないことに気付いたのだ。
そこで、近いからということもあり、こうして夜中の学園に忍び込んで忘れ物を回収しに来ているというわけだ。
説明してしまえば実に簡単で、かつ、ありがちなものである。
「な、なにも出てきませんよね……?」
この学園には、生徒達に広まっているとある噂がある。
その噂とは、まさしく『夜の学園』に関するものなのだ。
『夜中十二時の学園に忍び込んだ者は、学園に住みついている亡霊からキツイお仕置きを受ける』という内容のものである。
実際に目撃した生徒も多数いるとのことらしく、実は学園からの差し金なのではないかということから、実態なき学園からの使者ということで、『虚ろな使者』と呼ばれている。
もっとも、この噂自体は先生達によって作られた単なる虚実でしかないのだが、生徒達はそのことを知らない。
教師陣は噂の信憑性を高める為に、生徒達をサクラに利用したからである。
この噂を信じ切っている少女にとって、今この場にいることはかなりの勇気が必要なことであった。
実際、なけなしの勇気を振り絞ってここに立っているのだ。
「う、うう……」
身体が震えているのが分かる。
だが、彼女のそばには誰もいない。
ここに来るまでに、少女のルームメイトから『一緒に行きましょうか?』と提案されていたのだが、少女はそれを断っていた。
もし噂が本当なのだとしたら、親友を巻き込みたくはない。
それに、これは自分だけの問題だから自分で解決しなければならない。
という義務感を背負ってしまったのだ。
これらの条件を、少女は一人で勝手に積み上げてしまったのだ。
「あっ……」
その足はゆっくりだったが、確実に前へ進んでいた為、少女がいつも利用している教室までたどり着くことが出来た。
少女の教室は一年A組。
「ありました……」
真っ先に少女は自分の席へ向かい、忘れ物であるノートを無事回収することが出来た。
あとは寮へと戻るだけ。
と、その時だった。
「!?」
突然、ピシャンという音が鳴ったと思ったら、教室の扉が閉まってしまったのだ。
……おかしい事態が発生した。
少女は扉を開けっ放しにしておいたはずなのに、扉が勝手に閉まったのだ。
不思議に思いながらも、少女は扉を開けようとする。
だが、ガタガタと音が鳴るだけで、開くことはなかった。
そこで彼女は至る。
「い、や……」
これこそが、まさしく『虚ろな使者』ではないかと。
この後自分は何をされるのか。
恐怖によって、少女は焦り出す。
「開いて……開いて!!」
ガタガタガタガタガガタガタガタ。
何度開けようとしても、その扉は決して開かない。
頬に汗が伝う。
足は震える。
顔は白くなっていく。
「嫌だ嫌だ嫌だ!開けて開けて開けて!!」
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。
何度やっても、結果は同じだ。
そうして少女が扉を開けようと試みていた、その時だった。
ドスン、という足音が背後より発せられ、教室内が大きく揺れる。
「ひっ……!」
思わず少女は動きを止める。
そして、身体をより一層震わせる。
おかしい、この教室にいるのは一人だけのはず。
なら、一体だれが……いや……。
ナニガソコニイルトイウノダ?
「助けて助けて助けてぇ!!」
少女は何度も試した。
何度も開こうとした。
だが、扉は……。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
「いや、いやだぁ……たす、けてぇ……」
影はどんどん迫ってくる。
だが、少女には逃げる術なんてもうなかった。
ただ床に座り込み、涙で顔を歪ませることしか出来なかった。
「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
そして少女は、意識を途絶えた。