19 中高年の恋の経済学
女性が強くなったと言われて久しいのですが、
デート費用の負担についてはあまり進歩がないようです。
女性の自立や男女平等を主張されるにもかかわらず
ことデートになると
男が支払うものだと決めつけている女性が
まだまだ少なくないようです。
支払いの時に一言でもお礼を言われればま
だ気持ちがいいのですが、
奢られて当然という顔をされると
心中うんざりします。
また私は人から奢られると
なんとなく卑屈になってしまう感じがあり、
おごられるのも結構気を使うという感じがあるので、
平然と奢られる気持ちが分からない気もします。
私は恋人とは基本的に対等で
50:50の関係であるべきで、
どちらかが一方的に依存したり、
従属したりすることは
いい恋愛関係とは思えないのです。
従ってデート費用も原則としては
対等にすべきだと考えています。
ここでデートの費用分担は
どうあるべきかを考えてみたいと思います。
少し理屈を言うことをお許しください。
費用を誰がどのように負担すべきか
という問題には二つの原則があるようです。
これは税負担でよく言われる理論なのですが、
「応能の原則」と「応益の原則」です。
「応能の原則」とは能力に応じて負担するという考えで、
税金で言えば、
所得の高い者がたくさん税負担するという考えです。
税金を計算するときに所得割というのがこれにあたります。
これはある意味で高所得者にとっては
辛い原則で、
下手をすると勤労意欲を奪います。
そこでそれを緩和するために
「応益の原則」が登場します。
これは公共サービスを受けている者は
誰でも一定額は負担するという考えで、
税金の計算では均等割というものです。
実際の税金では両方の考え方を混合させているわけです。
さてこれを
恋人間のデート費用にあてはめて考えてみると、
「応能の原則」でいけば
金銭的に余裕があるほうが
デート費用を持つということになります。
これは当人同士納得していれば
それも問題がないと思います。
しかしそれほど経済的な力に差がない場合はどうでしょうか?
その場合は「応益の原則」で考えれば、
たくさん楽しんだ方、
たくさん飲み食いした方が多く支払うという考えですが、
恋人同士ならば
片方だけが楽しむというのは
あまり良い関係とは言えません。
従って両方とも楽しんだ
という関係が理想的であり、
そうであれば割り勘ということになります。
だからいつも片方(多くは男ですが)が
支払っているとすれば、
支払っていない方は
楽しんでいなかったことになってしまいます。
ところで私の場合で言えば、
私は誘った方が支払うべきだという感覚があるので、
自分から誘ったときは支払うことにしています。
従って、相手から誘ってきたときに
自分だけが支払うのは少し抵抗があるのも事実です。
これまでお付き合いした女性の中で、
費用負担の面で一番気持ちよく出来た方法は
次のようなものでした。
週や月に何度か頻繁に会うようになり、
最初は私がいつも支払っていたのですが
そのうち彼女から
自分も支払わせて欲しいと言ってきたので、
相談の結果、
「共同の財布」を設けたのです。
給料を貰うと、
私は彼女に自分の出せる範囲の金額を渡して、
彼女に預けている「共同の財布」に入れてもらい、
彼女も彼女の決めた額をそこに入れたうえで、
そこから彼女に支払ってもらったのです。
そしてそのお金が乏しくなった時は
次の給料日まではデートを我慢するか、
お金のかからないデートを工夫したものです。
これは二人の関係を対等にするためにも良かったと思います。
恋愛は片方の気持ち冷めれば
片方の気持ちが続いていても終わりを迎えざるを得ません。
従ってどちらかが
いつでも別れを言うことが出来るのです。
彼女とは長い付き合いがありましたが、
別れた時は、
「共同の財布」は残額がゼロとなっていました。
金銭的にも綺麗に清算できたわけです。
まあ恋愛にこのような理屈をあてはめるのは、
私もほんらいは野暮な話だと思います。
愛情があれば
そんなことをぐだぐだ言うのは
おかしいとも言われそうです。
このような問題は
当事者同士で納得していれば、
割り勘でも一方ばかりが支払うのでも
何でもいいわけですが、
金銭的な問題で
どちらかが納得していないとすれば、
良い恋愛関係が続くのは難しいのではないでしょうか?
特に中高年の場合仕事を辞めて
収入が激変することがあります。
それこそ金の切れ目が
縁の切れ目になってしまいそうです。




