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幕末血風帳  作者: 杜 葵
3/3

笑止・迷惑・先客・万歳(後編)

 歳三は逃げた。逃げるしかなかった。

「何ゆえお逃げになるのでございますか、土方様」

 バンビのような足。見た目からは想定しがたい持久力でもって、歳三を追いかけるのは一人の少年。満面の笑顔よりも憂いの表情がよく似合う。そんな少年だ。今もその目にきらりと光る涙は、十分に武器として通じることは否定しない‥‥‥だが、当事者が自分となれば全く話は別である。

「何が、嬉しくて‥‥‥」

 ぎりぎりと痛みを訴える脇腹から、歳三は渾身の思いのたけを叫んだ。

「野郎なんぞと接吻せにゃならんのじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「わたくしは野郎ではありませんわ!」

 少年、四郎の体に憑りついた幽霊少女、静は心外とばかりに反駁する。

「俺にとっては同じだ! ンなことより、てめぇ! そんなに今際の別れをしたかったら、せめて俺と釣り合うくらいの女についたらどうなんだ」

「嫌でございます! 義経様がわたくし以外のおなごに触れるなど」

「‥‥‥」

 女の「だって嫌なんだもん」の前に男はどこまでも無力だ。新たに生まれた人生哲学は、この先、役に立つとは思えない。

「ところで、義経の方はどこに行きやがった?」

 ふと、気がつけば、義経の方がいない。

「呼んだか?」 

 声に釣られて脇を見ると、えらく顔色の悪い町人風の男が走っている。

「お前、義経か?」

「左様」

 紫色の額をこくりと下げ、義経は微笑んだ。その目からぼたりと丸いものが落ちる。

「‥‥‥」

「土方殿がどうしても嫌だと言うから、やむなくその辺りの者に頼んで回ったのだが」

 どうしようもなく黒い予感を振り払えず、歳三は頭を抱えた。

「嫌なら無理強いはせぬと。そして、否と言わなかったのは白木の棺桶で寝ていた両替屋の勘吉殿というわけだ」

 ほんのりと線香のにおいを漂わせ、普通に告げた。

「返してこぉぉぉぉぉい!!」

 歳三の踵が義経の後頭部にめり込んだ。

「そいつの葬式が始まる前に! 手遅れかもしれねぇけど!」

 地面に沈んだ義経を飛び越え、歳三はひたすらに走った。神に仏に、今まで弄んだ女達に、どつき倒してきた男達に、ひたすら祈りまくりながら。

 町を抜け、山を越え、いつしか海岸線を爆走している。この辺りまで来れば、多少派手に暴れても人民に害は及ぶまい。

 瞬間、重力から解放され、何も聞こえなくなった。

(!?)

 おや、と思った時には、歳三の体はもみくちゃになりながら地面を転がっていた。

(何が起きた‥‥‥?)

 鼓膜が激しく波打ち、ひどい耳鳴りがしている。

 歳三は起き上がると、辺りをぐるりと見回した。離れたところに四郎の体が倒れている。だが、それよりもまず目を引いたのは、海の向こう‥‥‥三十間はあろうかという巨大な黒船が四隻、鎮座している。

(何だありゃ!?)

 黒船の砲門から立ち昇る灰色の煙が、夏の空に吸い込まれていく。ようやく事態を把握できた。自分達は砲撃の余波を浴びたのだ。

「う‥‥‥」

 むっくりと四郎が身を起こした。歳三はとっさに身を引いたが、四郎の目を見て、はっと留まる。先ほど自分を追っていた時のようなとろんとした眼差しではない。少し動揺してるようだが、いつもの歳三が知っている、勝気さと頼りなさを同居させた四郎の目だ。

「小島四郎!」

「な、何?」

 寝起きのような声で返事をする四郎を抱え上げ、

「逃げるぞ!!」

 歳三は砂煙を上げて駆け出した。四郎は歳三の腕の中でV字バランスのような格好になりながら、目を白黒させている。

(さっきの衝撃で、静が放り出されたんだな。今のうちに、ずらかる!)

 また静が現れたら、どうにか説いて、女に‥‥‥そうだ、お琴がいいだろう。だめだったら宗次郎だ‥‥‥憑りついてもらって、自分は義経に体を貸す。それで八方丸く収まるなら。

「待って。ちょっと、土方さん」

「何だ。お前、今がどんだけ切実な状況か分かってねぇとは言わせねぇぞ」

「静がここを離れるなって」

「は?」

「彼女、今の砲撃で驚いて引っ込んじゃったんだ。まだ、僕の中にいる」

 抱えていた荷物の中身は時限爆弾だった。だとすれば、それを放り出したとしても、一応緊急避難ということで罪には問われない。もっとも、今は江戸時代。そんな庶民に優し い法律はない。

 歳三は前も後もなく、四郎を放り投げたが、四郎は猫のように体をひねって着地した。

「あれ」

 四郎は沖の黒船艦隊を指した。

「静が言ってた艦の特徴と合致する。とすれば、そろそろ来る頃だ」

「あん?」

 完全に置いていかれた歳三は不愉快気に眉をしかめた。

 その時である。

 ざばぁ!と、水を切る音がした。

「こっち」

 四郎は歳三の腕を取り、近くの岩場に引きずり込んだ。

「何だってんだよ、いきなり‥‥‥」

「しっ!」

 腕を組むような格好で身を潜めながら、海の方を見ると、何と黒スーツの一団が海面から這い出してくるところだった。体の線をぴったり覆う黒スーツにゴーグル、酸素ボンベ。後に四郎に説明されて彼らが人間だと分かったが、歳三はこの時、彼らを海坊主と信じて疑わなかった。

『思ったより楽だったな』

 海坊主の一人が海坊主語で喋る。男の声だ。

『所詮、東洋のサル山さ。総督は慎重過ぎるんだよ。一発ドカンとおみまいしてやれば、震えあがって、言うがままになる』

 何を言ってるのかさっぱり分からない。歳三は横目で四郎を見た。

『小心で働き者で従順だっていうから、奴隷にはおあつらえむきだ』

 絡めていた腕は既に解かれ、握り拳が固められている。

 海坊主語は分からなくとも、何やら嘲笑めいたものを歳三も感じる。

『おい、お喋りはその辺にしとけ。爆弾、湿らせてないだろうな』

 四郎の目元がぴくりと動いた。

『大丈夫ですよ。これを』

 背中に箱のようなものを背負っている海坊主が、リーダーらしき海坊主に背中を向けて、箱を親指で示した。

『適当に仕掛けて回ればいいんでしょ?』

『そうだ。だが、武家は避けろ。平民の家を狙え。サムライを敵に回せば面倒だからな』

『サムライ?』

『ナイトだ。だが、死を恐れず、恩も恨みも決して忘れない、恐ろしい連中だよ』

 四郎が歳三の袖を引っ張った。

(何だよ?)

(何人までさばける?)

(妖怪は相手にしたことねぇな。それより、お前、海坊主の言葉なんか分かるのか)

(あいつらは江戸に火を放つ相談をしてるんだ! 自信がないなら、ひとっ走り番所にこのことを報せてきて)

(ガキの分際で偉そうに大人に指図してんじゃねぇよ。いいぜ。お前が余した奴はみんな俺が引き受けてやる)

(それでこそ喧嘩屋だよ)

 商売にしたつもりはない。俺は喧嘩師だ。

 かくて、戦いの火蓋は切って落とされた。




 そして、戦いの幕はあっさりと降ろされた。

「なぁ、四郎」

 ぼこべこになった海坊主を縄でひっくくりながら、歳三はふと思いついたことを口にした。

「あの幽霊女、俺達を担ぎやがったのか?」

 今にして考えれば、黒船の斥候の危険を察知した(何せ彼女は壁抜け・高速飛行お手のものの幽霊だ)静が誰か戦える人間をここまでおびき寄せる為に仕組んだとしか思えない。

「俺達っていうか、俺だね」

 手馴れた様子で爆弾を解体しながら、四郎は答えた。

「どういう意味だ!」

「言ったのは僕じゃないよ。静が『四郎様の思いつく限り、暇を持て余した凶暴で後腐れのない、社会の慈悲で辛うじて永らえてらっしゃり、万が一のことがあってもなるたけ悲しまれないような方をお連れくださいませ』って」

「てめぇ! それ、作ってるよな!? 絶対作ったよな!」

「誰も土方さんのことだって言ってないでしょ? 嫌だな。年を取ると被害妄想が強くなっちゃって」

「このガキャ!」

 殴りかかってくる歳三の拳をいなしながら、四郎は物思いにとらわれていた。

(この国はどうなるんだろう)

 静が危険を報せてくれなかったら、どうなっていたか。

 連中の書いたシナリオはこうだ。黒船の砲撃に驚いた付近の住人が浜に集まってくる。空になった町に爆弾をしかける。かくて、大混乱‥‥‥何が何だか分からないうちに、異国人達が乗り込んでくる。

 四郎はこの国が好きだ。静かで平和で、優しい人々が助け合いながら暮らしている。

(どうすれば、守れるんだろう)

 たかだか脾腹を一突きする程度の芸しか持っていない自分が出来ることは何だ?

 町の方からばらばらと人々が駆けつけてくる。黒船の砲撃に驚いたのだろう。その顔は一様に魂を抜かれたような呆然としたものだ。中には無邪気に歓声をあげている者もいる。それを平和ボケと嗤うほど、傲慢ではない。

 三日後、黒船を率いてきたペリー総督が老中に国書を渡したらしいと、四郎は父から聞かされた。



















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