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幕末血風帳  作者: 杜 葵
2/3

笑止・迷惑・先客・万歳(前編)

とにかく真面目なファンの方、ごめんなさい(汗)


 深く降りしきる雪の中、遠ざかっていくあの方の背中をずっと見送っていた。

 ‥‥‥「静」

 今にして思えば、それが今生の別れであることを、わたしはどこかで悟っていたのかもしれない。あるいは、願っていたのだろうか。

 ‥‥‥「必ず、迎えに参る」

 悲しい約束が、反故にされることを。叶ぬ愛が、安らかに眠れることを。

「お待ちしております。義経様」

 ひとりごちた言葉は嘘でもあり、本音でもあった。

 あの方の望む形では一緒にいられない。しかし、離れるつもりもない。

 運命というものが常に望みを裏切るものならば、いっそ身をゆだねようか。わたしは知っている。本当の決定権は常に意志の力にあるのだ‥‥‥


「出るのよ」

 彼女の声は、いつもの勢いがない代わりに、底知れない湿った冷気を漂わせていた。

「あれだけお菓子のゴミがあれば、出てもおかしくないでしょ」

 部屋の四隅に塚を築きつつある包み紙の山を示し、半眼でつけつけと言う四郎に向けて、佐那子はまなじりを険しくした。

「うるさいわね! あんただって食べるじゃないの」

 ぽかぽかと拳をでたらめに当ててくる。確かに佐那子はよく四郎に菓子をあげたがるが、四郎から欲しがったことはない。彼女が好意を無下にされて機嫌を損ねるのがめんどくさくて、何となく食べてるだけだったりするが、それは言わない方が無難だろう。

「夏の夜、寝静まった頃にって言えば、決まってるでしょ? 分からないの?」

「だからゴ‥‥‥」

「あんたって、たまに大ボケだから困るわ。ねぇ、龍馬」

 龍馬は一人離れて、窓辺で鼻毛を抜いている。佐那子は肩をいからせて、龍馬の衿をむんずと掴み、強引に話の輪に引き込んだ。

「おお、すまん。この癖は止めろと言われちょったな」

「そーよ。あんたが鼻クソ散らかすせいで、ゴキブリが出るようになったのよ。今度出たら、退治してよね」

「‥‥‥」

 四郎はこっそり溜め息をつき、座りなおした。爪先が痺れている。

「そういうわけでね。四郎、今日はわたしの部屋で寝てね」

「へ!?」

 ぐぎっと鳴ったのは四郎の首だ。だが、不思議と痛みはなかった。それより優先させるものがあったのだ。脳の、何と呼ぶかは知らないが、危険信号を司る場所が。

「冗談でしょ? 僕、男だよ」

「やーね! わたしは義姉さんの部屋に行くのよ。あんたはここでオバケを退治してって言ってるの。龍馬は自分の部屋で寝てよね。何か間違いがあるといけないから、一緒に寝るなんて許さないわよ」

「何の間違いじゃ」

 頬を引きつらせながら龍馬は呻いたが、佐那子はいつもの佐那子だった。

「どうでもいいけど、何で僕なのさ」

 四郎は無駄かもしれないとは思いつつも、軽くジャブを放ってみた。

「いいじゃない。友達でしょ?」

 できない理由があるなら聞いてあげないでもないけど?とばかりに、佐那子は胸を反らせた。

(龍馬が甘やかすからだよ‥‥‥ったく)

 四郎はげんなりと龍馬を見やった。龍馬は決まり悪そうに頭をかいている。

(一つ貸しだからな)

 もっとも、これで何個目の貸しかは忘れたが。今週に入ってから。


 何かがいる。

 何かを感じるわけではない。ただ、わけもなく眠れない。そういう時は、大抵、何かがいるのだ。

 四郎は布団に包まったまま、起き上がるでもなく、意識だけを研ぎ澄ませていた。油断さえしなければ、どんな体勢からでも必殺の一撃を放つことができる。父とすら思ったことがない自分を「創った」男から与えられたスキルは、なるほど、どんな鋭利な武器より、あるいは金や権力よりも、自分を守ってくれているとは思う。

 感謝すべきなのかどうかは、分からないが。

 四郎は布団を跳ね上げ、肘で反動をつけて起きあがった。

「!!」

 それは突然、こちらが動いたことに驚いたのか、一瞬、ひるむ気配を見せた。十分な隙だった。

 掴んだ手首は、異様なほどに冷たくて、柔らかかった。それを掴む手よりも、背筋の方が冷たくなっていく錯覚をおぼえながら、四郎はそれを布団の上に引き倒した。

(‥‥‥‥‥女、の子!?)

 四郎に組み伏せられて、固く目をつぶっているのは十七歳ほどの少女だった。佐那子と同じくらいだろう。彼女よりも小柄で大人しそうだが、出るところと引っ込むところのメリハリはしっかりついている。どうしてそんなことが分かったのかと言えば、少女は一糸纏わぬ全裸だったからだ。

 四郎はとりあえず少女の手を放した。一見して武器は持っていないし、戦闘訓練を受けてる様子もない。

「君は?」

 質問はそれだけで十分だ。四郎は布団を少女の肩にかけ、背中を向けた。少女の白い裸体が視界からなくなって、初めて鼓動が乱れてきた。

 答えは返ってこない。代わりに、すすり泣く声が聞こえてきた。

 無理もないとも言えるし、自業自得とも言える。間が持たないのがこそばゆくなって、四郎は箪笥を開けて、佐那子の着物を取り出し、背中を向けたまま少女の方に放った。

「お気遣い、かたじけのうございます」

 ここ最近、聞かないような丁寧な言葉と、三つ指をついてのお辞儀の気配が伝わってきた。少女が着替えるのと、若気の昂ぶりが収まるのを待って、四郎はやっと少女に向き直った。

 薄紫の小袖がよく似合っている。京風の顔立ちをした美しい娘だ。落ち着いて見てみれば、よく分かる。どうして分からなかったのだろう‥‥‥彼女の背中に隠れている行灯が透けて見えることが。

 ふらっと目の前が暗くなった。

「君は幽霊ってやつかな? いわゆる」

「はい」

 ふんわりと微笑む少女。四郎は頭を抱えて、ぐったりと膝をついた。

「静と申します。あなたをお待ち申し上げておりましたの。小島四郎様」

「僕を知ってるの?」

「あなた様にどうしてもお願い致したいことがございまして」

 静は四郎の袖に手をかけた。

「わたくしに、体を貸していただけませんか?」

「は!?」

「お願いでございます!」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 四郎は畳に尻をついたまま、後ずさった。

「君が僕に憑りつくってこと?」

 他に考えようがないが。

 静は何やら思いつめた顔のまま、しっかりと頷いた。どうやら、わけありのようだ。それも、とてつもなく厄介で、面倒で、それこそ一度聞いたが最後の関係者ってやつだ。

「後生でございます‥‥‥四郎様」

 彼女の切れ長の瞳から、大粒の涙がきらとこぼれる。四郎は困り果てた。女の涙は苦手だ。どうすればいいか分からなくなるから。

「‥‥‥わけを、話してごらん」

 墓穴を掘るのと似ている。違うのは、逃れようとすれば逃れようがあるということだ。しかし、そんなことはできないから、結局は同じだろうか。

「ありがとうございます!」

 静は頬に涙の玉を残したまま、四郎に飛びついた。ひんやりと柔らかい腕に抱かれながら、四郎は暗澹たる思いを噛み余していた。



 佐那子の部屋に泊まって以来、四郎はおかくなった。

 やっぱり小島の若様はコレだったと、巷の若者は頬に手の甲を当てて、噂を交わしている。

「龍馬さん」

 四郎は舞うような足運びで、龍馬に追いついてきた。うまい蕎麦屋を見つけたから、久しぶりに連れだしてやったのだが、どうも様子が違う。

 爽やかな昼下がりだった。もはや空気の一部のような江戸の町の喧騒の中を、乾いた初夏の風が踊るように吹き過ぎて行く。

「美味しゅうございました。また連れていってくださいませね」

「ああ」

 腕を取られて、龍馬は曖昧に頷いた。

(‥‥‥どうもな)

 元々、四郎は普通に可愛い顔をしている。小動物のような、と言えば本人は怒るが、思わず捕まえたくなるような愛らしい空気を持っている。それが男に生まれたのは間違いなく不幸なことだった。普段、ガサツに振舞っているのはわざとではないかと思える時がある。

 睫毛の下から、見上げてくる。四郎はこんなに目が大きかったのか。

(いかんちゃ‥‥‥)

 目が合えば、にっこり微笑む。

「なぁ、四郎」

 龍馬は何となく早足になるのを自覚した。どこかが妙にかゆくなってくる。

「わしゃ、ちくと寄るところがある。おまん、先に帰れや」

「お供いたします」

「野暮なこと言うな。コレじゃ」

 龍馬は小指を立ててみせた。四郎がむっと口を噛みしめる。

「そうでございますか。それでは」

 くるりとそっぽを向くと、髷が子犬の尻尾のようにぴょんと跳ねた。

 ツンケンと遠ざかっていく四郎の背中を見送りながら、龍馬はまだどこかがむず痒くて落ち着かなかった。

「もしかして、わしがおらんと却って悪い男に引っかけられたりして、危ないんかの」

 四郎の戦闘能力は忘却の彼方である。


「ぎゃーっはっはっは!! どひーっひっひっひ!!」

 あまりにも予想通りの反応だった。龍馬の話を聞いた歳三は腹を抱えてのた打ち回っている。

 龍馬が足を運んだのは、いもしない女のところではなく、試衛館だった。時折、道場の方から掛け声が聞こえてくる。道場主の勇は弟子の鍛錬で今はいないが、暇そうな師範代が龍馬の相手になっていた。

「笑い事じゃないぜよ。土方。冗談だと思うなら、いっぺん会てみぃや」

「けっ、何が嬉しくてわざわざオカマなんざ拝まにゃならねーんだ」

「ありゃ四郎じゃないぜよ。物の怪が憑りついたんじゃ」

「オカマの物の怪か。こいつぁ傑作だ。ざまみろ」

 歳三はにちゃにちゃと噛んでいた草をぺっと吐き出した。その時である。

《お邪魔します》

 龍馬と歳三の間に、にょきっと男の首が生えてきた。

 べしゃ!とその頭を、出る釘でも叩くように押し潰したのは歳三の手だ。

「そうだ。こないだお光さんからスイカ貰ったんだ。食うだろ?」

「待て、おい土方! おまん、今、今‥‥‥」

 腰を抜かした格好で、龍馬は歳三の手を指差した。畳の上についたままの手を。

「ああ。夏はどうしても出るんだよ。どんだけ念入りに掃除しても出やがるんだ。こればっかりは慣れだな」

「誰がゴキブリの話をしちょるか! おまんが今叩き潰したのは人の頭じゃ!」

 悲鳴じみた声をあげる龍馬。歳三はその手を畳から離す。ゴキブリはいない。

「なに錯乱してやがる。土佐もんが、たかだか油虫くらいで」

 歳三はその手で龍馬の額に触れた。無音の悲鳴があがり、龍馬はそのまま卒倒した。歳三はわけが分からず、龍馬の頬を軽く叩いてみたが白目を剥いただけで、反応はない。

「ひどいではないか。誰がゴキブリだ」

 今度は天井から頭が生えてきた。

「おい! 坂本、しっかりしろ。ったく、土佐者のくせに暑気当たりとは情けねぇ」

 歳三は龍馬を仰向けに寝かせた。そこでタイミングよく障子が開き、宗次郎が入ってくる。茶と菓子を乗せた盆を持っている。

「あれ? 坂本さん、どうかされたんですか」

「暑気当たりだ。宗次、菓子はお前にやる。悪いが、俺の薬箱、持ってきてくれるか」

「石田散薬って、暑気当たりに効くんですか?」

「効くと思えば何にでも効くんだよ」

「ちょっと待て!」

 すたん!と、天井から一人の男が着地してきた。白の水干に、白の元結。少年少年した面差しだが、二十歳の歳三より年長ということはなさそうだ。

「怪談の最中に普通に日常に戻る奴がいるか!」

 男はあまり迫力のない顔で怒鳴る。それでも、子供の宗次郎はびくついたらしく、歳三の腰に掴まってきた。

「歳さん、あれ」

「ん? 俺には何も見えんし、聞こえんが」

「後ろが透けて見えます」

「よし、お前も薬を飲め。幻覚にも効くはずだから」

「無視するな!」

 宗次郎の肩を抱いて踵を返す歳三の前に回りこみ、男の幽霊は拳を振り上げた。

「‥‥‥っとーしいんだよ」

 歳三はぼりぼりと首の後ろをかきながら、ようやっと、めんどくさそうに幽霊と目を合わせた。

「俺ぁ別に祟られるようなこたぁしてねぇぞ。祟るような気力があるんなら、生きてるうちにするもんだ。死んでからぐだぐだぬかすようなカマ野郎なんざ、どーせ生きてたところでロクなもんじゃねぇ。とっとと成仏しちまいな」

「祟って来たわけではない。頼みがあるのだ」

 男は突然、がばっと土下座してきた。

「人を捜すのを手伝ってほしい。私の大切なおなごじゃ」

「それも幽霊なのか」

「左様」

 答えは決まっている。厄介事はごめんだ。どう突っぱねてやろうかと思案しているうちに、宗次郎が口を挟んできた。

「助けてあげましょうよ。歳さん、どうせヒマなんでしょ?」

「宗次、あのな」

「歳さんだって、わたしが突然いなくなったら、探してくれますよね」

「‥‥‥」

 いつかの祭りで迷子になった宗次郎を探して走り回ったことがある。あの時、心底焦ったことを思い出して、歳三は苦笑した。人混みの中を探して、探して、やっと見つけた。宗次郎は自分を見つけると、泣きながら駆け寄ってきた。下駄が片方脱げた。その時に感じた何とも言えない、胸の奥が温かくなるようなくすぐったさは忘れられない。

「ありがとう、坊や!」

 男は顔を上げて、宗次郎を抱き締めた。

「申し遅れた。私は源九郎義経。坊やは牛若丸とでも呼んでくれ」

「牛若丸!」

 宗次郎の目がぱっと輝いた。

「あなた、牛若丸ですか? 弁慶は?」

「弁慶達はもう成仏したよ。この世にそれほど強い未練がなかったのだろう」

「で、お前は」

 歳三は宗次郎を義経の腕から引っこ抜くようにして、言った。

「その大切なおなごとやらを見つけ出すまで成仏できねぇってわけか」

「左様だ。吉野山で別れて、平泉で死んでから、ずっと彼女を待っていたのだが、彼女もどうやら私を探して迷ってしまったらしくてな」

「分かった」

 歳三は義経の話を遮り、頷いた。

「大分近くにいるぜ。こういう偶然ってのはねぇもんだ」

 未だに目を覚まさない龍馬の世話は宗次郎に任せ、歳三は義経を連れて試衛館を出た。


「義経様!」

 感極まった声をあげ、彼の体を借りた彼女は義経の胸に飛び込んだ。

 傍で見れば、かなり異様な光景である。

 赤坂の小島屋敷‥‥‥四郎の実家である。残酷な運命によって引き裂かれた恋人達は、数百年の年月を隔て、ようやく巡り会えたのだ。その美観の善し悪しはともかく、巡り会えた事実には変わりはない。

「お会いしとうございました‥‥‥殿、義経様‥‥‥」

 その呟きが四郎の口を借りて、彼の声で出てくるのが、何ともはや。色恋の機微を理解する男・歳三はとりあえず笑うのだけは我慢した。

「良かったな。さあ、仲良く成仏しちまいな」

「ええ‥‥‥」

 四郎の体を借りた静は一旦、義経から身を離し、歳三に深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。これでやっと成仏できます」

「いいってことよ。生まれ変わっても仲良くな」

 たまにはこういうのも悪くない。お伽噺など、はなから馬鹿にしている歳三だし、人からこのような話を聞かされれば、やはり鼻で笑うだろうが、それでも、悪くはなかった。

「つきまして、土方殿」

 義経がいつの間にか歳三の後ろに回って、肩に手をかけてきている。

「あなたの体を私にお貸しくださいませんか。その、静がね‥‥‥」

 四郎の目がもじもじと歳三と義経を交互に見ている。ほんのりと頬を染めた小さな顔。やはり、どこか宗次郎に似ているような。

「お願いいたします。土方様」

 四郎の手が歳三の胸に触れた。

「幽霊同士では、どうしてもちゃんと触れ合えません。だから‥‥‥」

 暗転。そして、前言撤回。

「わたくし、成仏する前に、一度だけ義経様と接吻がしたいんです。生身の体で」

 鬼でも魔でも構わない。

 歳三は祈った。祈るしかなかった。

 誰でもいいから助けてくれ‥‥‥

          

 〜 後編へ続く! 〜


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