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しかたなく英雄的最後を迎えた魔法使いの受難  作者: 伊簑木サイ


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     魔法使いの描く理

 ルシアンは空から降りてきて、ブラッドが中にいるはずの力の塊を足元にして眺めていた。塊の中は霞んで視認できなくなっている。

 彼の感情の抜け落ちた顔には、兄が大好きな無邪気な弟王子の面影はなかった。まるで別人のように、恐ろしいほどに冷酷で無慈悲な顔をしていた。

「ルシアン! 何をしているの、ブラッドを助けなさい!!」

 アナローズ姫はジョシュア・コルネードに抱き起こされ、自分に巻きつく植物を切り取ってもらいながら叫んだ。

 けれど彼は動かず、表情も変えず、そうして静かに、ブラッドの最後の時を待っているようだった。

 それでも彼女は母親として知っていた。この息子が、兄の話をしているのに、聞こえていないなどということがないことを。

 そして、それほどに兄を慕い、時に狂気の片鱗すら見せて執着していることも。求めるあまり、相手も自分も殺してしまいかねないほどのそれは、彼女の中にもあるもので、そうして前夫を死へと追い込んでしまったものでもあった。だからこそ彼女は、ちゃんとわかっていた。

 ルシアンが、何を思い、そこに立っているのかを。

「ルシアン。殺しても、ブラッドはあなたのものにはなりませんよ。今、生きてここにいるブラッドを失ったら、あなたの兄であるブラッドは、いなくなってしまうのですよ」

 アナローズ姫はルシアンに語りかけたが、彼は彼女には目もくれず、ただ冷めた瞳で、白熱した光を宿し始めたモノを見下ろしているだけだった。

「ルシアン。たとえ奇跡が起きて、生まれ変わってブラッドに会えたとしても、あなたの望みどおりにはなりませんよ。今できないことが、どうして来世ならできると言えるのですか。あなたは、負けそうだからと遊戯盤をひっくり返す子供と同じです。今できることをしない者は、いつまでたっても己の望みを叶えることなどできない。今、ブラッドを見捨てれば、あなたは未来永劫、ブラッドを手に入れられない、絶対に!!」

 力の塊が、明らかにブラッドの体よりも小さく縮まっていき、ひぃぃぃぃぃんと空間が軋むような高い音をたてはじめた。魔法には素人であるアナローズ姫から見ても、それが断末魔の呻きをあげているのがわかるほどだった。

 これ以上放っておいてはいけない。彼女は立ち上がってそれへと手を伸ばし、駆け寄ろうとした。その体を、ジョシュア・コルネードが引き止める。

「なりません。普通の人間があれに触れたら、死にますよ!」

「放して!! ブラッドがあの中に」

「無理です。我々では何もできない」

 アナローズ姫は眦を釣り上げて手を振り上げ、ジョシュアの頬を引っ叩いた。

「何もする気がないのなら、わたくしの邪魔をしないで!!」

「なりません」

 ジョシュアは退かずに彼女の手を取り、引っ張って抱きすくめた。

「ブラッドはあなたを守って死んだ。その命を無駄に捨てるおつもりですか」

 彼女は一瞬黙って身を強張らせたが、次の瞬間には、キッとジョシュアを睨みつけた。

「そうだとしてもです。わたくしは、あの子の母なのですから。見捨てることなどできません」

「それは、彼の願いではありません。彼がなぜあんなことをしたと思っているのです。ここに居合わせた者を、誰一人傷つけないためではないですか。彼の思いを無駄にしてはなりません」

 ジョシュアの言葉の端々(はしばし)に、もうブラッドは助からないという考えが透けて見えていた。姫は激昂してもがいて、ジョシュアの腕から抜け出そうとした。

「放して。いやっ。いやっ。放して。ブラッドが」

 しかし、女の細腕で守護魔法使いの称号を持つ男を押し退けられるわけもなかった。彼女は半狂乱となって叫んだ。

「ルシアン、ルシアン! お願い、ブラッドを、助けて!! ブラッドを失わせないで!!」

 ルシアンは急に顔を歪めると、目をつぶって上を向き、荒れ狂う感情を解き放つかのように、虚空に向かって吼えた。

「う、ああああああっ」

 それはまるで頑是無(がんぜな)く泣く赤ん坊のようだった。思い通りにならない世界に苛立ち、泣きわめくことでしか抗議できない無力な存在。ルシアンもまた、言葉に表せず、体の内に収めておくこともできない思いを、ただただ吐き出すようにして訴えているかのようだった。

「ああああああ、うあああああーっ」

 塊はますます不穏な光を帯び、アナローズ姫はそれを見て、悲鳴をあげた。

「ルシアン、ブラッドがっ」

 ルシアンは息を切らせてとうとう叫ぶのをやめると、睨むように塊を見下ろし、躊躇うことなく上部の穴から中へと無造作に手を突っ込んだ。

 奥へ奥へと探って肩辺りまでをいっきに入れる。塊の大きさから見て、底や側面に当たりそうなものだったが、彼の様子から見るに、どこにも何にも触れないようだった。

「兄さん」

 ルシアンはいつもの彼の様子に戻り、焦りの色を浮かべ、中で手を動かした。

「兄さん、兄さん、兄さん、兄さん、兄さん。ブラッド!!」

 泣きそうな声でその中にいたはずの人を呼ぶ。必死にひたすらに呼びかける。

「ブラッド。ブラッド。いくな。いかないで。いかないで、ブラッド!!!」

 願う。願う。強く願う。

 世界にたった一人の人を思い、求めて呼ぶ。(こいねが)う。

 失いたくないと。共にいたいと。

「ブラッド!!」

 魔法とは、『理』を『ここ』に現出させる技。

 禁呪によって、世界の真理を魂に刻まれた希代の使い手は、詠唱も魔法陣も無しに魔法を操る。彼らの思い描くものこそが、世界の理となる。

 望めば世界を征服できるほどに、絶対的なその力。

 それが、今、この瞬間にも、無限の混沌の中に『理』を描き出す。

 ルシアンは急に動きを止め、唇に微笑を()いた。

「ブラッド、どこへもいかせないよ」

 そして、彼は望むものを(つか)まえ、硬く握り締めた手を、現実の世界へと引っ張り出したのだった。




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