収拾
保護障壁を解除すると、喧騒が戻ってきた。
というより、とてもウルサかった。
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、こめかみグリグリやめてやめてーっ!!」
ロズニスが絶叫していた。それに覆い被せるようにして、ルシアンが怒鳴る。
「当たり前だ、このバカ女!! なに、兄さんまで攻撃してんだ!!!」
「うあーん、だってだってだってえ、ブラッド様が移動しちゃったからーっ」
「本っ当にバカだな、おまえ!!! 兄さんは人が死ぬのが大嫌いなんだよ!」
うわ。何大声で言ってるんだろう、うちの弟は。
俺はぐったりと目をつぶったままだったが、頭を抱えたくなった。
こっちにもイメージ戦略ってものがあるんだよ。そういうこと言いふらされると、舐められて、仕事がやりにくくなるんだよ。
「黙れ」
言ったつもりが、うまく声にならない。もどかしくて体を起こそうとするのに、それもできない。その間にも、いたたまれない会話はどんどん続いていく。
「兄さんは、それがたとえ敵だろうと、目の前に殺されそうな奴がいたら、とりあえず助けちゃうんだよ! 後先考えず、体張って! それくらいもわかってなかったのかっ」
「わかってるもん、すごく優しいって、知ってるもんーっ」
「だったら、迂闊なことするなっ、巻き添え食って、兄さんが傷つくだろっ」
「うあー、ごめんなさいー」
黙れ。頼むから、それ以上は何も言ってくれるな。いいかげん、本当に、本気で困るんだよ。
「黙れっ」
俺は必死で、息を切らして大声を張り上げた。反動でぜいぜいと息をつく。
苦しい。死ぬ。
「あ。兄さん!」
「ああっ、ブラッド様!!」
……おまえたち、今、言い合いに夢中になってて、俺のこと忘れてたな。仲の良いことでなによりだな!
俺はどうにもやさぐれた気分になった。
二つの足音が、ばたばたと近付いてくる。
「ちょっと、おまえ、どいて。俺が、」
「私私、私が膝枕するです!」
何を争っているのか、がたがたと左右から体を揺さぶられ、背後の温かみが消えた。と思ったら、体が落下した。ごん、と後頭部に衝撃がくる。頭の中が、くわんとする。
痛い。落とされたのか? どうしてだ。なぜ落とされた。本気で痛い。
「あ、ごめん、兄さん」
「大丈夫ですかー、ブラッド様ー?」
心配気ではあっても、たいして悪いとは思っていない調子の声が上から降りかかってきて、俺は我慢の限界を越えるのを感じた。
もういやだ。心底駄目だ。
こんなフリーダムなクソガキどものお守りは、やっぱり俺には無理だったんだーっ!!!!
俺は無力感に、泣きたくなった。
俺は、涙を我慢しながら、粉々になって散らばってしまった自信をかき集め、責任感で塗り固めるのにしばらくいそしんだ。
いかんいかん。こいつらを野放しにしたら、もっと混沌な恐ろしいことが起こる。そんな光景は、俺が見たくない。だったら、ここで投げ出すわけにはいかなかった。
それにしても、まずは魔力が足りない。
「ルシアン、魔力」
よこせ。
俺は息も絶え絶えに囁いた。
世界に偏在する魔力を集めてルシアンに送り、巨大魔法を使うように、その魔力を己の体に取り込めたらいいのだが、そんな便利なことはできないのだった。
人の魔力は個人ごとに少しずつ波動が違い、そもそも俺たちでなければ融通さえできない。同様に、自然に存在する魔力も、そのままの形では取り入れられないのだ。
どうやら人の体は、食事や呼吸で少しずつ魔力を溜め込んでいるようだというのが、今のところの通説である。それ以外に、人体に蓄積する方法は未だ確立されていない。
……そんな薀蓄はどうでもいいな。
両の掌を繋がれ、じわじわと体に満ちてくるものを感じる。頭の中のぐらぐらがおさまり、倦怠感はあっても脱力感までいかなくなったところで、目を開けた。おお。ちゃんとはっきり視線が定まる。
そこで俺から手を離した。重い体を起こし、座り込む。
傍でちょこんと座って、相変わらず心配そうなロズニスの様子に苦笑して、手を伸ばした。頬を、ぐに、と押してやった。
「具合悪いところはないか」
「大丈夫ですー。ごめんなさいー、ブラッド様ー」
くしゃりと顔を歪めて涙ぐむ。
前の時も思ったが、彼女はとんでもない魔力量を保持しているらしい。
このまま放っておくのは危険だ。明日から本腰入れて、制御方法を身につけさせなければなるまい、と決心する。泣こうが喚こうがグレようが、なんとしても、叩き込んでやる。
それが世のためであり、なによりロズニスのためだろう。
「明日から、おまえは制御方法の特訓をする。覚悟しろ」
「うえええええ?」
不満そうな返事に、頬を掴んで引っ張ってやれば、はい、と諦めて頷いた。
「よし、いい子だ」
それから、今度は少し離れて控えているカルディに目を向けた。
「被害状況は」
「例に漏れず、あんただけだ。地面の様子はご覧のとおり。他は何もないぜ」
吸収されずに残った柱がごろごろしている。その下もぼこぼこだ。訓練場は、七割方使用不可能状態になっていた。
柱の始末と訓練場の整地は、後でランジエあたりに頼もうと思った。ロズニスじゃ、勢い余って何かやらかしそうだし、ルシアンが土属の魔法に不慣れなところを、軍の奴らに見せたくない。
簡単に見通しを立てて、やはりこちらも傍まで来ていたジョアキムに話しかける。
「イェーフネン将軍、これ以上の訓練は無理だろう。訓練場の補修はこちらで責任をもつと約束する。今日のところは、これで引き上げさせてもらう」
「かしこまりました。……本日はよいものを見せていただき、ありがとうございました」
ジョアキムは、あの唇の左端だけを引き上げる歪んだ笑みを浮かべた。
うわあ。とっておきに禍々しいなあ、おい。
俺はあまりの不吉さに、さっと目をそらした。イヤだ。もうこいつと関わりたくない。一回目の一人目にしてこれだ。この先も、きっとロクなことがないに違いない。
「して、仕切りなおしはいつにいたしましょう?」
「あー、俺は忙しい。いつとは確約できない」
言葉を濁して追い討ちを打ち返す。
空気を読め。これで納得しろ。そして、追求するな。
「では、それを使者にいたします。毎日伺わせるので、お時間ができたら、それにお申し付けください」
けれどジョアキムは堪えた様子もなく、俺の背後を手で指し示した。
誰かと確認するために振り返れば、よりによって自殺未遂男だった。
目が合ったとたん、なぜか男が頬を紅潮させる。うろ~と視線を泳がせ、明後日を向きながら、それでもぴしっと姿勢を整えた。そして、意味の通らないことを叫んだ。
「このレオメンティス、命に代えましても!!!」
うん、だから、命は粗末にするな。な?
ていうか、どうして伝言を受けるくらいで、命を懸けなきゃならないなんて思うんだよ。そんなに俺のまわりは危険がいっぱいか?
……ああ、まあ、そうかもな。ロズニスとルシアンの二人の面倒を見ている限りはな。
俺は疲れた笑みが自分の顔面を覆うのを、為すすべもなく許すしかなかった。