第4話 初恋の終わり
その日、俺とルシアンは、カナポリ村からの使者と面会していた。
先日、水不足による水利権争いの末、隣国に攻め込まれ占領されてしまった村を、俺とルシアンで取り戻してやった件で、礼を言いにきたのだ。
俺は、真ん中だけが見事に丸く淋しくなっている村長の頭が、隣に立つ妻と共に深々と下げられるのを見て、複雑な気分だった。
取り戻したと言えば聞こえはいいが、実際のところはうっかりやりすぎて、強大な火炎魔法で敵軍と一緒に村まで焼きはらってしまったのだ。
しかも正直なところ、それもかなり生温い表現と言わねばならず、本当は全部まるごと蒸発させてしまったというのが正しい。
今でもあの光景を思い出すと寒気がする。
見事に綺麗さっぱりなんにもない抉れた大地の意味するところを理解した時、自分がしでかしたことのあまりの恐ろしさに、呆然とするしかなかった。
本当を言うと、ショックのあまりその後しばらくのことをよく覚えていない。ただ、ルシアンと共に、必死になって原状回復に努めた。
蒸発してしまった土をつぎ足し、土地の周辺から植物を繁茂させては枯れさせるのを繰り返して土地を富ませ、徐々に生き物を呼び戻した。
充分に地力が戻ったと思えた頃には一月がたっており、王から帰還命令がくだっていた。
他国軍を土地ごと焼きはらった上、その地をたったの一月で緑あふれる場所に戻した希代の魔法使い。それが国境に未だ留まっているのは、和平条約を締結するにはあまりに挑発的だったのだ。
もちろん我が国に有利に話はすすんだが、相手国から、双子王子の王都への帰還も条件として出されたのだった。
そうして俺たちは、建築材料と職人の手配をすませ、ポケットマネーから村の復興費を用立てると、ほとんど村人たちの顔も見ずに、村をあとにしたのだった。
というわけで、俺はせっかく前世の故郷へ行ったというのに、見る前に自分で焼きはらって台無しにしてしまったし、親兄弟親族友人の様子も見る余裕がなかった。物理的にも心理的にも。
全部自業自得だから、誰に文句を言うつもりもないが。
うん、だけど、まあ、なんだ。
「顔を上げるように」と声をかけ、体を起こした二人を改めてよく見る。
村長のマキシミンは、昔は村の悪ガキNo.2だった(No.1は俺)。
俺は腕力にものを言わせるタイプだったが、彼は、ガキ仲間には父親である前村長の権威を笠に着、大人と女にはよく回る小知恵とその容貌でウケをとる、いずれは順当に村長になるんだろうな、というような奴だった。
少々物憂い感じの線の細い容姿で、同年代の女たちからはもてはやされていた。花祭りでも収穫祭でも、女から思い人に贈る腕輪を、誰よりもたくさん腕に連ねていた。
ちなみに俺は、近隣から村の女を狙ってやってきた不埒な馬鹿どもと、喧嘩という名の交流を深めていた。拳で語ってみれば案外気のいい奴らも多く、何人かは仲をとりもってやったこともあった。
なぜって、奴ら、あの子が好きなんだーっ、とか恥も外聞もなく叫ぶもんだから。哀れというか、近所迷惑というか、おまえの熱い気持ちはわかったぜ、というか。
……今考えると、葬り去りたいような恥ずかしい思春期だったな。
思い出して、俺はちょっと遠い目になった。
まあ、そんな風に、俺たちが暑苦しい肉弾戦を繰り広げていた傍らで、マキシミンだけは女に取り囲まれて、スカして祭りを満喫していたわけだ。
はずだったのだが。
今やその面影は欠片もない。いや、確かにマキシミンだということはわかる。が、前村長がそうだったように、腹はつきだし、頭の真ん中は禿げ、子供の頃母親似と言われていたはずの顔は、まるっきり親父さんそっくりになっていた。
俺が死んだのが27。それから16年。前世の俺より一つ年上だった彼は、人生の半分はとっくに折り返している。そんな年代。当然といえば当然の変化だった。
それは、彼の隣に立つ夫人にしても同じだった。
イソレット。風に揺れる野の花のようだった、隣家の少女。親が忙しい時は、よく預けたり預けられたりして、まるで兄弟みたいに育った。
俺が王都へ行く時には、忘れないでと泣きながら腕輪をくれた。俺は、必ず迎えにくるから待っててくれと言った。
この俺が柄にもなく甘酸っぱい気持ちになる初恋の相手。
その彼女が夫と同様にころころと太り、どこからどう見ても貫禄充分な肝っ玉母さんになっている。
このおばちゃんがイソレットだと気付いた時、俺の体のどこかで、ピシッとヒビの入る音がした。……たぶん、『思い出』と呼ばれる類のものだと思う。
そりゃあもちろん、二人とも血色がいいし、押し出しもよく、充分幸せそうでなによりだと思う。
思うんだが……!
誰だ、初恋が美しいなんて言った奴は! ちゃんと、『思い出の中の』と付けておけ!
俺は割り切れない思いを抱えながらも、マキシミンがソツなく述べる礼の口上を聞き流していた。奴のこの手の話に実はない。前世の子供の頃の長いつきあいでよく知っている。
どうやら終わったらしいので、こちらの用件を伝えた。
「王都は不案内だろう。案内の者をつけよう」
この場合の案内の者の仕事は、宿の手配、支払いから、王都の観光案内、帰りの土産まで含む。
身分とは理不尽なもので、相手が王子ともなれば、村を焼きはらった相手に、お礼の品まで付け届けしなければならない。
俺が王子でさえなければ、原状回復は当然として、謝罪の上に賠償金を支払うのは俺だったはずだ。
つまりは、案内の者というのは、王子としての面子を保ちつつ、そうして諸々の埋め合わせをしようという気配りの産物なのだった。
「ありがとうございます。重ね重ねお気遣いくださり、まことに感謝の念にたえません。ただ、只今、わたくしどもはお母上であらせられるアナローズ様の許でご厄介になっておりまして」
「母が?」
俺は首を傾げた。なぜここで母が出てくるのか。
俺の要領を得ない表情に、マキシミンたちは顔を見合わせた。それに、まずイソレットが一つ頷き、次いで彼も小さく何度か頷いた。二人はまたこちらへと向き直ると、イソレットが口を開いた。
「実は、アナローズ様は、お父上であらせられるブラッド様のご遺志を継いで、故郷である我が村に、なにくれとなく援助をしてくださっているのです」
俺は驚いた。あまりの驚きに、何も言葉が出てこなかった。
「やはりご存知なかったのですね。再婚なさった旦那様をはばかって、目立たないようになさっておいでですから、無理もないことなのですが。恐れながら、お二方とアナローズ様は疎遠でいらっしゃるとうかがっております。もしそれが噂による誤解からでしたら、あれらは皆、わたくしどものためなのです」
「噂?」
当代一の美姫である母は噂に事欠かない人で、日々虚実混交さまざまな噂にまみれている。昔からそうだったから、今さら気にもしていなかったのだが。
なにしろ、結婚当時、浮名を流した相手は100人とか言われていたが、蓋を開けてみれば、彼女にとって俺が初めての男だった。あの夜、噂というのは本当にあてにならないものだと思ったものだった。
「はい。若い男を囲っているとか、毎回違う男にお金を貢いでいるとかです。若い男というのは、我が村の若者たちです。わたくしどもの息子もお世話になっております。王都の学校に通わせてくださっているのです」
「なぜ、彼女が」
そんなことを知っている。
思わずこぼしかけた言葉を、危ういところで俺は口に押し込めた。
彼女が今していること。確かにそれは、生前の俺の夢だったのだ。
故郷のカナポリ村は、辺境の村だ。
それも、最近武に長けた王が即位したぺリウィンクルと国境を接している。俺が俺の前任の守護魔法使いと出会ったのも、彼が国境の小競り合いを収めた帰りだった。
近隣の村が焼かれ、拳仲間も幾人か死んだ。いずれも腕自慢の男たちだったが、武器を持った兵には敵わなかった。
大切なものを守るためには、小さな村の中で一番強くても駄目なのだと、腹の底から思い知らされた出来事だった。
だからこそ、あのジジイにうまうまと不安を煽られ、自尊心をくすぐられて、魔法使いになる決心をしたのだ。
いつか、村を守りきれるような魔法使いになる。それが俺の当初の夢だった。
けれど、必死の思いで勉強し、誰よりも力をつけた先にあったのは、ままならない現実だった。
この国では、学院で学んだ魔法使いはすべて国家の所有物なのだ。その力を王国に仇なすものにするわけにはいかないために、抜け出ようとすれば必ず反逆者として扱われる。
辺境の痩せた土地になど、力のある魔法使いが配属されるなどありえず、だからといって自分の意思で自由に守りに行くこともできない。
だから、俺は守護魔法使いになることを選んだ。どの魔法使いよりも発言権のある、国で最も位の高い魔法使いに。
今でも、当時の俺はそうするほかなかっただろうとは思う。
だが、俺はあまりにも何も知らない田舎者すぎたのだ。為政者どものあざとさも非情さも、何もわかってはいなかった。
俺は魔法の才能故に目をつけられた、王国の盾とするための生贄だったのだと、今ならわかる。
俺は稀有な才能を持っていた。ほとんどの魔法使いが一つの属性しか扱えないところを、三つも適性があったのだ。それは組み合わせによって、万能の力を振るえる可能性を秘めていた。
実際俺は火の属性がなくても、火打石の原理や森林火災の要領で火を生みだすことができた。風の属性の代わりに、宙に次々と足場を出現させ続け、空を移動することもできた。
それほどの使い手であっても、一国の軍を動かせるほどの権限が与えられたわけではなかった。いや、むしろ自由にふるまえないように、がんじがらめにされたと言っていい。
守護魔法使いの称号は、態のいい檻だったのだ。力のありすぎる両刃の剣を閉じ込めるための。
アナローズ姫はその檻の鍵だった。あるいは、剣を収めておくための鞘。それも、生身の男にとっては、たとえようもないほどの極上の美酒。
そう。彼女もまた、王国のための生贄だったのだ。
姫君を手に入れた男のお伽噺は、いつでも最後をこうしめくくる。
『そうして二人はいつまでも幸せに暮らしました。』
そんなのは、夢物語だと身をもって知った。
現実は、そこからが始まりだったのだ。
俺は自分自身で夢を実行できないと悟ると、次の手を考えることにした。
故郷を守るには、どうしたらいい。腕力だけでは足りなかった。魔法だけでも足りなかった。ならば、残るは学だろうか、と。
村の若者を呼んで、王都で学ばせよう。そうして知識と知恵をつけた奴らが、きっと今度こそ良い考えを思いついてくれるに違いない。
そう思って、俺はその準備を進めていた。
でも、それをアナローズ姫に話したことはなかったのだ。殿上人の彼女に、そんな下々のことを話してもしかたないと思っていた。
彼女はいつでもきらびやかで、優雅で、憂いのない、物語に描かれるお姫様そのものだったから。
俺はそれまで、自分の出自を恥じたことはなかった。俺を育んでくれた故郷は俺の誇りだった。それは、生まれ変わった今でも変わらない。
けれど、彼女と生活を共にするほどに浮き上がる自分のあか抜けなさに、いたたまれない思いをするのはしょっちゅうだった。
一緒にいても、気の利いたこと一つ言えなかった。マキシミンみたいな才能があればと、どれほど思ったことか。
何を言えばいいのか、どうしていればいいのかわからず、気まずい思いをするのが嫌で、だんだんと用事をつくって彼女とすごす時間を減らした。
そうでもなければ、ほんのりと微笑まれるだけで、俺は彼女に欲情せずにはいられなかったのだ。ひたりと寄り添われれば、毎回必ず押し倒してしまう。ろくに話もせずに貪るだけって、どれだけ酷い男なんだって自分でも思った。
彼女がつまらない女だったんじゃない。俺が彼女に見合うだけの男ではなかった。
彼女との生活は、常にそれを思い知らされるものになっていった。
「ご両親様方は政略結婚と言われておりますが、実はそれも違うのでございます」
イソレットがそう言うと、マキシミンは、こら、それは、と彼女をさえぎった。彼女はそれを一睨みで黙らせると、少々すわった目で俺を見た。
「恐れながら、私はお父上ブラッド様の許婚でございました」
いや、それは言いすぎだろう。俺は内心突っ込んだ。
迎えにいくとは言ったが、……言ったな、うん。
俺はある可能性に気づき、前世のこととはいえ、嫌な焦りを感じた。
男にとっては慣用句みたいな別れの言葉だったが、もしかして、女にとっては一足飛びに許婚までいってしまうものなのか。
じわりと冷や汗が湧きでてくるのを感じ、俺は完全におよび腰になった。
野郎どもと拳で戦うのは怖くない。劫火の魔人と呼ばれたルシアンと戦いの末に還元されてしまった時でさえ、むしろ楽しいくらいだった。
だけど女は殴るわけにはいかないし、口では絶対勝てないし、なんだかわからない理屈で怒りだすし、しかもいつまでもねちねちといたぶられるし、苦手だ。
はっきり言って、俺はこの世で女が一番怖い。
「私の村の出来事を詳細に綴ったお手紙に、お父上も初めは熱心にお返事をくださったものでした。お手紙の内容はいつでもお忙しそうで、大変そうで、だんだんと短く、間遠になっていくのは仕方のないものと思っておりました。ですけど、お手紙が王都の絵葉書の裏に走り書きのようなメッセージだけのものになってしばらくして、村におかしな女性が来たのです」
おかしな女性。
それは誰かと問えとイソレットの目は要求していたが、俺は生唾を飲み込むので精一杯だった。
俺の怯えを感じ取ったのだろう。彼女は、ふん、と鼻息荒く息をついた。
「村人と同じ格好をしていらっしゃいましたが、それがぜんぜん板についていないのです。だいたい、肌は日に焼けたこともなくて真っ白、すべすべのもちもち。指にはささくれの一つもなく、爪だって形良くぴかぴかに磨きあげられていましたから。そんな庶民の娘がいるかって話でございます。そんな怪しい方が、私のところに来て、いきなり勝負しろと仰るんです。わたくしはブラッド様が欲しい、だから彼を賭けて勝負です、と。しかも、失礼なことに、人の顔見て、美貌と教養ではわたくしの勝ちですから、それ以外にいたしましょう、と仰ったんです! だから私も負けずに言ってやったんです。家事と農作業では勝負になりそうにもありませんから、では、ブラッドにちなんで拳でいかがでしょうって。お父上は拳馬鹿でいらっしゃいましたから。あら、失礼を申し上げました」
ぜんぜん失礼ではなさそうに、彼女は最後に付け加えた。
俺の心臓は最早ばくばくだった。今頃明かされた真実に、眩暈がしてくる。
拳って、拳か。つまり、喧嘩か。
イソレットは、ふふん、と笑った。なんだか上から目線だった。
「取っ組み合いで喧嘩しましたとも。ひっぱたいてひっかいて蹴っとばして髪の毛引き抜いてやりましたわ。もちろん私も同じにされましたが。叫んで怒鳴って喚いて泣いて、それで私が負けました。あの方、絶対に諦めないんですもの。最後は根負けしたんです」
うあああああ。
俺は自分の心臓の上に掌をあてた。怖い想像に心臓が止まりそうだった。
なんでそんなことする必要があったんだ。
てか、俺、イソレットのことをあの人に申し上げたことなかったぞ。俺の夢のこともそうだが、何で全部知ってたんだ。
混乱する俺に、目の前のイソレットは俺の心の中を読んだかのごとく、言い放った。
「女の勘は鋭いものですから」
ひいいいい。
俺はとうとうよろめいて、一歩後ろへと下がってしまったのだった。




