第7話 ただいま
城の中央馬車寄せで、俺は馬から降りた。
出迎えは多かった。勝手に弟たちの護衛を買ってでた俺のためじゃない。正式にルシアンと婚約したリチェル姫のためだ。
だが、まあ、国王の名代である母が、まず俺に駆け寄ってきて抱きついたのは、ご愛嬌だろう。
「ブラッド、お帰りなさい。ああ、よく無事で戻りました」
「ただいま、母さん」
俺も母を柔らかく抱き締め返し、目尻にキスをした。そこに涙が浮かんでいるのを見つけてしまったからだ。
「心配かけて、ごめん」
「いいのです。男の子ですもの。母親の手の届くところに、いつまでもいてくれないのは、わかっているわ」
頬にキスを返され、そう正面から言われると、むず痒い。
「でも、これからもちゃんと無事に帰ってきて、私を安心させてくださいね」
「うん。約束するよ」
そこに、ルシアンがリチェル姫の手を引いてやってきた。
「ただいま戻りました」
ルシアンの麗しくもそっけない挨拶にも、母は軽い抱擁とキスで愛情深く迎えると、すぐにリチェル姫の手を取った。
「よく戻られました」
「ただいま戻りました。……まだ早いですが、お義母様と呼ばせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんですよ。さあ、お疲れでしょう。お部屋の用意をさせてあります。まずはゆっくりお休みになって」
「ありがとうございます」
そうして三人で連れ立っていく。そのあとをついていきながら、同じような立ち位置で隣りを歩くジョシュア・コルネードに声をかけられた。
「お帰りなさいませ。ご無事のご到着、ようございました」
「うん。こちらは変わりなかったか」
「ええ。平和なものでした」
「俺たちがいなかったからか?」
気安く冗談を返すと、彼は驚いたように一瞬立ち止まり、置いてかれるぞ、と顎をしゃくった俺に、穏やかに笑んで、言葉を紡いだ。
「ブラッド様は、なにやらひとまわり大きくなられたような気がします」
「うん、まあ、身長は伸びたぞ」
ジョシュアが何を言いたかったかわかっていて、俺は自分の袖を伸ばしてみせた。手首がだいぶ出てしまう。なにより、首まわり、胸周りがきつくて、前をまったく締められなかった。
「頼もしいかぎりです」
嬉しげに微笑む人の好い様は、本当に昔と変わらない。
俺はふと思いついて、ジョシュアの腕を取り、通路をはずれ、人気のない廊下へと連れていった。
「ブラッド様?」
戸惑っているのか、なんとなくおどおどとしているジョシュアの腕を離し、向き合う。
「立場上、おまえのことは父とは呼べないが、母の伴侶としてこれ以上はない男だと認めている。どうかこれからも、母を頼む」
ジョシュアは目を見張り、それから、ゆっくりと深く頭を下げた。
「命に代えましても」
生真面目な彼らしい答えだった。
いや、そうじゃなくてと、そろそろ前世の俺に縛られることはないと伝えたかったのだが、俺も口を開きかけて、やめた。
俺はもう、母の夫ではないし、こいつらの夫婦関係にまで口を出すのは野暮というものだろう。
「おーい、王子、俺らはどっちに行きゃーいいんだー?」
廊下の角から、カルディに呼ばれる。すぐに行く! と怒鳴り返し、ジョシュアに戻ろうと提案した。
「引き止めて悪かったな」
「いえ」
足早に元の廊下に戻ると、ジョシュアは黙礼をして母たちを追いかけていった。
俺はカルディに、どっちって何の話だ、と聞いた。
俺たちはルシアンたちの後に、別所で内密に国王に謁見ってことになっている。奴らには説明してあったはずだ。
「俺たちじゃねーよ、あんたがヤバそうだから呼んだんだよ。あれ、義父なんだって? いくらなんでも義父とまで噂にはなりたかねーだろうと思ってよ」
俺についての今一番の流行の噂といえば、不名誉極まりないあれしかない。
「噂? まさか。ここは王宮だぞ?」
俺は失笑した。
懇意の商人に言い寄られたり、腰を引かれたり、帰りに礼を言いに立ち寄ったデスポイナの娼館で、私たちを相手にしてくださらないのは、男色の気があったからなんですね、でも女もいいものなんですのよ、と、えらい勢いで攻められたりして辟易したのだが、市井と王宮は違う。そんな下世話な噂がここまで浸透しているわけがない。
……はずなのだが、そういえば、前世では、ずいぶんえげつない噂が貴族の間では蔓延していたな、とも思い出す。少し不安になったところで、
「べつに、あんたがそう思いたいなら、俺はぜんぜんかまわねーけどな」
心底どうでもよさそうに言うカルディ以下、諸悪の根源である手下どもは、またもや揃って生温い目で俺を見た。
むっとする。確かに俺の外見は15歳だけど、中身はプラス27なんだからな! いちいちやんちゃ坊主をいなすような態度は、業腹なんだよ!
「そんなことより、行儀良くしてろよ。自由気儘に振舞いやがったら、ただじゃおかねーからな!」
「はいはい。仰せのままに」
カルディが投げやりにぜんぜん板についてない仕草で礼をとって、俺は盛大な溜息をついたのだった。
エンに、タダ飯食わせる余裕はないから、手下どもの有効利用方法を考えて、近日中に奏上しろと宿題を出され、とりあえず、奴らは軍の預かりになった。
ついでに適当に武芸も仕込んでおいてくれと、軍の担当者に頼んでおく。
手下どもには、金品は駄目だが、技術と情報は盗めるだけ盗んでこいとはっぱをかけておいた。それらを身につけておいて損はないことを、奴らも理解しているから、励むはずだ。
王都詰めの精鋭軍をだし抜けるようになれば、まあ、どこへ行っても生き抜いていけるだろう。
ちなみに、賭けで兵士から金を巻き上げるのは良しとしておいた。小遣い稼ぎは自分でやってほしい。借金はこりごりだった。
そんな感じで手下どもの衣食住の始末をつけ、俺は真理の塔へ向かった。
昼日中のせいか、誰とも会わないままに、五か月ぶりに入った自分の部屋は、相変わらず綺麗に掃除され、風を通すために窓も開け放たれていた。
履きっぱなしで少々臭うブーツを蹴り飛ばし、埃っぽい衣服を脱ぎ捨て、湯を浴びに行くのが面倒で、その場で水の魔法を使って適当に体の汚れを落とす。それから気楽な服装に着替え、部屋に届けられていた荷物から土産をあさって、部屋を出た。
ジジイの研究室を覗いて誰もいないことを確認した。部屋はきれいに修理されていた。ありがたい。これでいきなり、完徹で原状回復しろとか、ジジイに叱られないですむ。
俺はそこに土産の大半を置き、ロズニスをあずけたランジエの研究室へ行った。
すこぶる常識的に扉をノックし、ブラッドだと名乗る。しかし、それからいっこうに取次ぎが出てこない。
ていうか、誰が出るかで揉めている声が外まで聞こえてるんデスが。失礼極まりねーな。
だからどうして、襲撃に来たって話になってるのか、そっちの説明のが欲しいデス。俺に喧嘩を売られるようなこと、何かしたのかって気になるだろうが?
慌てて黙るように叱る声がして、ランジエ自身が迎え入れに出向いてきた。
一通り挨拶を交わし、中に入るように誘われるが、こんな中に入っていくのは面倒くさい。
敷居を跨ぐことなく、ロカンで手に入れた珍しい鉱物を含んだ石を渡し、ロズニスをあずかってくれた礼を言った。
「で、ロズニスは? 連れて帰りたいんだが」
「はい。おります。あそこで、魔法陣の作成を」
ランジエが扉を大きく開き、右手の奥の方を指し示す。そこには、椅子から立ち上がったロズニスが、両手を胸元できつく握り合わせ、暗い思いつめた表情で俺を見ていた。
いつもの、螺子が全部ゆるんでるような能天気さが欠片もない。
「あいつ、どこか具合でも悪いのか」
俺は思わずランジエに聞いた。
「いえ、さきほどのお茶の時間には、人の三倍食べておりましたが。どうしたんでしょうか」
ランジエもいぶかしげにして、どうぞこちらへ、と俺を呼び、一緒にロズニスへと近付いた。
「ロズニス」
呼びかけると、ロズ二スは、一歩、二歩と後退った。でも、
「お帰りなさいー、ブラッド様」
ちゃんと挨拶はしてくれる。
「どうしたんだ、おまえ。腹の具合でも悪いんじゃないのか」
「そんなんじゃー、ありません~」
むうっとして、恨みがましい目つきになる。それに俺は、ほっとした。さっきよりは、よっぽどいつものロズニスらしい。
「じゃあ、帰るぞ。お世話になった方々に、挨拶しろ」
「嫌です。リュスノー先生と帰ります」
ロズニスは本格的に拗ねた顔になって、ぷいと横を向いた。
「師匠は、後始末で明日までかかりきりだ。これ以上人様に迷惑はかけられん」
「迷惑なんかー、かけてないですもん」
俺はランジエに視線を向けた。本当か?
「ええ、ずっとおとなしく魔法陣の作成をしていましたよ」
わずかな苦笑とともに、テーブルの上の大ぶりな箱を取り、中を見せてくれた。
「五ヶ月かかって彼女がつくったものです」
大小取り混ぜてじゃらじゃらみっちり入っているそれに仰天する。
「おまえ、これ、本当に一人でやったのか!?」
「やりましたよー。他のことするなってー、ブラッド様がー言ったんじゃーないですかー」
ああ、これか。こんなの五ヶ月も毎日毎日やっていたら、そりゃあ拗ねたくもなるよな。
「悪かったよ。こんなに長くかかると思わなくて。これは頑張ったな」
ロズニスにとっては、とんでもない苦業だっただろう。きっと毎日、目のまわりをインクで真黒にしていたに違いない。
顔を洗ってこいと叱りつけていた頃の彼女の顔が思い浮かび、俺は笑いがこみあげてくるのを噛み殺した。
女を笑ってはいけない。たとえどんなに幼くてもだ。それで前世で何度、くやしがった妹に容赦ない報復をくらったことか。
「そのかわり、土産はたくさん買ってきたぞ。さあ、帰ろう」
ロズ二スは顔をそむけたまま、横目で俺を見た。唇が尖っている。目つきも鋭い。まだ怒っているらしい。
「そ、そーやってー、もので釣ろうとしても、駄目ですー。私はー、ひっかかりませんからー」
俺も少々むっとする。謝って、こっちから折れてるのに、ちっともなびく素振りが見られない。それに、もので釣ろうとは心外だ。
「約束したから、買ってきただけだ。行った町ごとに、おまえはどうしているかと心配しながら選んだものだ。そんなつもりで買ってきたんじゃない」
俺は溜息をついた。
「わかった。気がすむまでここにいればいいだろう」
そしてランジエに相談をもちかけた。
「すまないが、師匠の手があくまで、もうしばらく彼女を頼めるか」
「それはかまいませんが。……ロズニス、今日は朝からそわそわしていたじゃないか。何を意地を張っているんだい?」
「意地なんか、張ってないですー」
かたくなな態度は崩れない。
「もういい。好きにしろ」
俺は踵を返した。まったく、そこまで怒ることないだろう。
根に持った女をどうこうするのは無理だ。こうなったら、放っておくしかない。
「ブ、ブラッド様が、いけないんですからねっ」
背中に怒鳴りつけられて、何事かと振り返る。
涙目で足を踏ん張って、ロズニスは俺を睨み上げていた。
「こ、この、男ったらしー!!! 不潔ですーっ!!!!」
男ったらし!?
驚きのあまりかたまって声も出ない俺の横を、猛烈な勢いで駆け抜けていく。扉がドバーンと開け放たれ、バタバタと廊下を走る音が遠のいていった。
「な……、何、なんだ?」
呆然として周囲の人間に視線をめぐらせれば、なぜか、特に男が目を伏せてそっと後ろに下がっていった。ランジエさえも目を逸らしている。
こいつら、いったい、何を知っている?
「ランジエ?」
「あー、あの、ロズニスを叱らないでやってください。おかしな噂が流れてまして。たぶん、それを真に受けてしまったのかと」
嫌な予感に何も聞きたくなかったが、それでもこうなってしまえば、聞き出さないわけにもいかない。
「噂の内容は」
「は。あくまでも噂ですので」
言いにくそうに渋る様子に、悪い予感がますますふくらんだ。
「いいから、言え」
「……ルシアン様のご婚約に傷心なさったブラッド様が、お」
と言ったきり言い淀む。お、なんだ。
あれか。あれなんだな。
「男か」
「……はい。それを、その、あさり、に、出かけられた、と」
聞いたとたん、俺はその場でしゃがみこんだ。立っていられなかった。そのまま床にめり込んでしまいたかった。
どこまで恐ろしい話になってんだ、ちくしょうめ。
おう。なんか、目から汗が出てきやがったゼ。
俺は困惑するランジエたちのど真ん中で、脱力のあまり、どうしても立てなかったのだった。