続 新しい二つ名
猛烈な空腹感に目が覚めた。腹がぎゅるぎゅると鳴っている。腹が減りすぎて気持ち悪い。
俺はよろよろと体を起こした。
「ブラッド、大丈夫?」
心配そうな声と共に、ルシアンが背中に手を当てて支えてくれた。すかさず後ろに枕が押し込まれ、体勢が安定する。
くらくらする頭を押さえながら、自分の体調の悪さの理由を考えてみるが、頭の中に、どうにも、「飯」の一言しか浮かんでこない。
駄目だ。飢えすぎている。
「ルシアン、飯。飯くれ」
「ちょっと待ってて」
ルシアンが離れていった。扉を開けて、誰かに言い付けている。それを目で追って部屋を見渡せば、どうやらロカンの安宿のようだった。
ただし、木目の具合から別の部屋だと断定する。たぶん、まだ連絡玉の開けた天井の穴がふさがっていないのだろう。ああ、違う、俺が屋根に出るために、穴を押し広げたんだっけ。
と、つらつらと考えたところで、そこでやっと、昨日、ぺリウィンクルへ行ってきたんだったと思い出した。
だとしたら、この不調は当然かと納得する。
前日はほぼ徹夜、朝飯は途中で、昼も食わずにぺリウィンクル兵を殴り倒し、そのまま得手とは言い難い治癒魔法を使った。それも瀕死の重傷を四人も。それから、そいつらの安全確保のために特性の隠れ家を作って押し込めておき、逃げた商隊を探しまわって、全員回収したところで、夕飯も食わずにロカンまで飛ばして運んできた……んだったよな?
ところが不安なことに、どうさぐっても、宿に辿り着いたという記憶がない。
途中で意識を失って、クラジャニーニャ山脈あたりで落っことしてきてないよな、と心配になる。
俺はルシアンに尋ねた。
「なあ、ジスカールたちはどうした?」
ルシアンがベッドの脇に戻ってきて、じろりと俺を見た。腰に手を当て、首を傾げて、ものすごく不本意そうに教えてくれる。
「さあ。寝てるんじゃないの」
「この宿でか?」
山中で、とか省略してないよな?
「いったい、どこから覚えてないの」
眉をしかめて、聞き返された。
「あー。どこだろうなあ」
ごまかす。一番星を見て、早く夕飯が食いたいと思ったのが最後だとか言ったら、ねちねち怒りだしそうな気がする。寝惚けたふりをしておいた方が無難そうだ。
ルシアンは溜息をついた。
「ちゃんと全員連れて、ここまで帰ってきたよ。それで、物も言わず階段を登っていったと思ったら、部屋の前の廊下で、ばったり倒れたんだ」
ルシアンの、怒ってるような、それでいて泣きそうな表情を見て、俺はとっさに謝罪の言葉を口にしていた。
「心配させたな。ごめんな」
「うん。心配した。お願いだから、無理しないで。目の前で倒れられて、心臓が止まるかと思った。俺、ずっと一緒にいたのに」
下を向いて、後悔にまみれた顔で押し黙る。何も悪くないこいつが、なんでこんな情けない面しなきゃいけないんだか。
「ルシアン」
呼んで、重い腕を上げて手を伸ばせば、迷った目で掌が重ねられた。その手を引っ張る。
おとなしく近付いた肩をもう片方の手で引っ掴み、腕の力というより体重を使って、布団の掛かった自分の腹の辺りに、ルシアンの頭を押しつけた。
バランスを崩して、ぺしゃりと倒れこみ、それでも文句も言わないで、ルシアンは掛け布団に顔を埋めた。
「おまえのせいじゃないだろ。それどころか、おまえがいなきゃ、全員無事に連れ戻せなかった。すげー感謝してる。ありがとうな」
ルシアンはそのままの状態で、頭を横に振った。そんなの、ぜんぜん役に立ってなかったとでもいうように。
「馬鹿だなぁ」
俺は何とも言えない気持ちになって、苦笑した。
本当に、ものすごく心配させたのだと、心の奥深くまで理解する。
俺がルシアンの無事をいつも願っているように、ルシアンも思ってくれているのだと。俺の存在が、誰かにこんな思いを抱かせるのだと。
それは、幸福で胸が痛くなる事象だった。
そして初めて、実感として、ジジイやエンやアナローズ姫が言っていたことを受け入れられた。彼らだけじゃない。たぶん、ランジエもジョシュアも。マキシミンやイソレット、それに両親や兄弟、他にももしかしたら、たくさんの仲間たちにも。俺は、前世もこんな風に思われていたのだろう。
なのに俺はそれをわからないで、自分の命ごと、ぶつりと切り落としてしまった。
そのことを、初めて後悔する気持ちになる。
今でも、あの危急の時に、他のやりようがあったとは思えない。それでも、俺が彼らの気持ちを理解していれば、何かもっと違う物を残せたのではないかとの思いがよぎる。
俺は、掌の下のルシアンの頭を、思わず、ぎゅっと掴んだ。
だからこそ、今度こそは。
そう、強い気持ちが湧き上がってきていた。
母の屋敷で還元してしまいそうになった時、わかったことがある。
俺とルシアンは、完全に二つの魂に分かたれてしまったのかもしれない、と。
ずっと俺は、いや、たぶんルシアンも、俺たちが死ねば、その魂は再び交じり合って、魔力と記憶を共有するのだと思っていた。
それは、前世に持ち得なかった相手由来の記憶や魔力に、とても違和感があるからだ。この異物が、このままずっと自分の魂の中に居座るとは思えなかった。
でも、あの時、俺がどれほど危機的状況になっても、ルシアンには何の影響もなかったと聞いた。
もう一度交じり合うのなら、一人の死は相手の死につながるはずなのだ。
それがなかった。その時、本当に初めて、俺は死に恐怖を覚えた。記憶を持ったまま、生まれ変わることにも。
そして何より、このままルシアンを死なせてしまうことに。
世界に存在するあらゆる物質に、貴賎はない。魂もそうだ。人間だろうが犬だろうが木だろうが水だろうが空気だろうが、そこにはなんの上下もなければ因果もない。
だから、死ねば俺を構成していたものが何に生まれ変わるのか、予測もつかない。
もしも来世に、石ころにでも宿ってしまったら? そうしたら俺は、どうしたらいいのだろう。
自分で動くこともできない。石ころとしての存在に終わりがあるのかもわからない。そんな状態で、ルシアンのことを思い続けるのは、恐ろしいことだった。
ルシアンは、前世から満たされない思いを抱えている。飢えて飢えてしかたない、そんな状態のまま、ルシアンを一人にさせたくはなかった。
時に訳もなく叫び出したくなる、その辛い思いを、俺も身をもって知っているから。
いつかはなんとかしてルシアンの許に辿り着く方策を探すとしても、長い時がかかるだろう。考えたくはないが、二度と出会えない可能性すらある。
だから、どうしても今生で、少しでもそれを埋めてやりたかった。永遠が辛いばかりの牢獄にならないように、糧となりえる記憶を与えてやりたかった。
それがあれば。世界に絶望しないだけの何かがあれば。
俺の魂の半身であるルシアンなら、きっといつか、『そこ』まで辿り着いてくれると、望みを託して。
俺は何度もルシアンの頭を撫でた。こうして触れていると、不安な気持ちが安らぐ。ルシアンからも、不自然な力が抜けていくのがわかった。
「食事持ってきたぞ。開けてくれ」
両手がふさがっているのだろう、扉の向こうから、ノックではなくカルディの声がした。
「おう。入れ」
声を張り上げて答えておいて、ルシアンに、開けてやってくれと頼む。ルシアンは頷いて行ってくれた。
すぐに、手下たちが手に手に料理の皿を持って列になって入ってくる。
その中に、ジスカールたちの姿を見つけ、俺は顔をしかめて、反射的に怒鳴りつけた。
「ジスカール、ランスブルク、アマランス、モリナック! おまえたちは、まだ寝てろ!」
俺の治癒魔法は、体の持つ治癒能力を早めているにすぎない。傷は塞いだが、それだけだ。つまり、それに使った栄養その他は、俺には補ってやれないから、体にものすごく負担がかかっているはずなのだ。
「頭、一言礼と謝罪を」
ジスカールが皿を持ったまま、一歩出て食い下がってきた。
「必要ない。商隊に被害はなかった。おまえたちはよくやった。とにかく、飯食って寝ろ!」
「ジスカールたちは、今日は丸一日、飯食って寝てたぜ」
カルディが口を挿む。
ああ? 丸一日だ?
「今、朝じゃねーよ。夕方だぜ」
俺は舌打ちをした。だからなんだ。
「本当だったら、棺桶に入っているはずだったんだぞ。一日二日で、うろちょろしてんじゃねえ。三、四日はそのシケた面見せんな。部屋に閉じこもってろ」
「頭」
ジスカールが改まった態度で、その場で膝をついた。ランスブルク、アマランス、モリナックも続く。
「この恩は、生涯忘れねえ。俺は一生あんたについていく」
「俺も」「俺もだ」と、他の三人も同意を示した。
俺は絶句し、暫し奴らを眺めた。
人の命を預かるなんて、こりごりだった。こいつらを治癒しながら、自分が怪我していた方がマシだとすら思ったのだ。
なのに、おう、俺についてこいなんて、もう簡単に言えるわけがなかった。
それも、今までとは違う。駄目なら簡単に切り捨てる、そういう付き合いではすまない関係を要求されているのだ。
俺は心中の葛藤に返事を躊躇わずにはいられなかった。
ところが、カルディが、
「俺もだ」
そう言って跪いた。すると、他の手下どもも、次々と同じように膝を折っていく。そのまま、どいつもこいつも強い瞳で俺を見ている。
両手に料理の盛られた皿を掲げたまま。むさくるしい奴らが、そろいも揃って、なんとも締まらない姿で。
「ブラッド殿下、とっくに俺たちの命はあんたが握ってる。今更、俺たちを投げ出したりはしないよな?」
忌々しくも、カルディに痛いところを衝かれた。
ああ。そうだった。俺が放り出せば、こいつら全員、死刑台に行くしかないんだった。
くそ。本当に、今更だった。こんなところで怖気づいて、すげえ格好悪い。
「好きにしろ」
俺はバツの悪さに、やみくもに言い放った。続けて奴らを急かす。
「どうでもいいから、飯だ! 早くよこせ!!」
カルディが、ニヤリと笑った。他の手下たちの目にも、何か生温いものが宿る。
だあっ。むかつくっ。微笑ましいもの見る目つきで、俺を見るな!!!
「さっさと置いて、とっとと出てけっ。その小汚ねー面、しばらく見せんなっっ」
俺は息を切らして、奴らを怒鳴りつけたのだった。
こうして俺は、『盗賊の思い人』の二つ名を確固たるものにした。
それだけでも腹立たしいのに、ぺリウィンクルの奴らを裸にひん剥いて切った啖呵が噂になり、『男色家』の称号までまことしやかに流れるようになりやがった。
おかげでそれ以来、やたらとべたべた触る男と、きっちり数メートル離れて話す男が現れて、どちらも俺の気を滅入らせる。
ふざけんなっ。
男になんか、興味ねえってのっっっ。
追いかけるなら、女の尻だ! 触って楽しいのは、ふっくらと柔らかい女の胸だろ!
ちくしょう。俺の密かな夢は、かわいい嫁さんもらって、のんびり自堕落に暮らすことだってのに、どうしてまわりは男ばっかりなんだろなっ。
こうして今日も、まっとうな小娘ならば怖がって近付かない、強面のむさいオヤジどもに囲まれながら、ブラッド・アウレリエ(15歳)の青春の貴重な一日は、不本意に過ぎていくのだった。




