ブラッド王子極秘捜索隊
宵の口。ある高級旅籠の一室。
人払いをした室内には、ルシアン王子、リチェル姫、リュスノー閣下、それに、王が差し向けたブラッド王子極秘捜索隊の定期連絡係がいるだけだった。
別に、彼らはブラッド王子を罪人として追っているわけではない。
世界でも有数の魔法使いとして知られている王子は、常にその命を狙われている。その上、放っておけば何をしでかすかわからない性格もしており、この捜索は、王子の安全確保が目的だった。
「覚えがないと言われて、はいそうですかと引き下がっただけ? 張り込んだりはしてないの?」
ルシアン王子は鋭い目つきで報告係を詰問した。
「いえ、もちろん、宿、金貸し、商人、娼館、すべてに監視を付けてあるのですが、それらしき者は捕まらず、……申し訳ございません」
商人の格好をした密偵は、深く頭を下げた。五日に一遍の定期報告のたびに、はかばかしい報告は一度もできていない。どうなじられても言い訳はできなかった。
ここ何週間かで、国の南部では様々な噂が乱れ飛ぶようになっている。今彼らは、ブラッド王子と繋がっていそうなその噂の真相を探るべく動いていた。
南部の広域にわたって盗賊集団が何者かによって統率され、被害がまったくなくなっており、また、商人たちが凄腕の護衛を雇い、盗賊の頻発出現地域であるクラジャニーニャ越えをして利益を上げたりもしている。
その立役者の名は、『盗賊王』。または、『鉄拳制裁の死神』、『商隊の守護悪霊』。しかも、陳腐な二つ名のそれら全部に、黒髪の、だの、最強で最凶で最狂の、だのという冠詞がついていた。
となれば、その無茶苦茶な行動といい、本名を憚って二つ名を山盛り付けられることといい、誰と言われなくても、誰もがただ一人の人物を思い浮かべる。
さらにそれだけでなく、花街では娼婦たちに人気の『貴公子』なる人物が派手に遊んでいるというものや、あちこちの金貸しから多額の金を集めている『借金王』がいるなどという報も入っており、いったいあの人、何をしているのかと、最早心配を通り越して頭が痛い事態になっていた。
つまり、着々と王子は墓穴を掘っていらっしゃるのであった。
何しろ彼は、破壊神の権化として悪名を世界中に轟かせている超有名人だ。こうしている間にも、他国にもこれらの噂は尾ひれがついて伝わり始めていた。
曰く、世界最凶の魔法使いが退屈しのぎに騒乱を起こすため、盗賊を私兵に仕立て上げて、他国に攻め込む機会を虎視眈々と狙っている。手始めは、ネニャフル南部と国境を接する国々になるだろう。などというものだった。
そうされてはたまらないと、今後ますます彼を狙う暗殺者は増えるだろう。
だいたい、今回のルシアン王子一行の旅の目的の一つは、増えるばかりのブラッド王子を狙った暗殺者を、婚約話でこちらに引きつけ、一度一掃するというものだった。
そのために、王宮でも最も安全と言われる真理の塔に、しっかり閉じ込めてきたはずなのに、なぜか、ブラッド王子本人のご活躍によって、状況はさらに悪化しているという状況だ。
救いは、王子が掌中に治めたのが盗賊集団だったというところだろうか。彼らは影ばかりで形も尻尾も掴ませない手腕を持っていた。しかし、それも本職の暗殺者が来れば、どれほどの盾になるかわからない。
王子がこちらを追ってこようとした時のために、最短ルートで合流できるよう、密かに旅程を書き付けた地図が手に渡るようにしてあったのに、どういうわけか王子はいっこうに姿を現さなかった。
それがよけいに不安を煽る。弟命な彼が姿を現せない何かがあるのかと、考えずにはいられないからだ。
まあ、案外、娼婦や盗賊たちと仲良くしているからかもしれなかったが。なにしろ、『娼婦の情人』で、『盗賊の思い人』らしいから。
黙ったルシアン王子から、一気にすさまじい怒気が膨れ上がり、リュスノー閣下は少々早口に報告係に声をかけた。
「ご苦労だった。下がってよい」
「は。失礼致します」
報告係は頭を下げると、素早く退出していった。
「心配はないと思いますよ」
閣下はルシアン王子をなだめるように言った。
「宿の主人も、大きく金を動かしている金貸しも、関わっていると思しき商人も、娼婦たちも、覚えがございませんの一点張りなのは、見事に人心を掌握しているからでしょう。それが、王子ご本人のお力か、『悪霊』の仕業かはわかりませんが」
それを聞いて、リチェル姫は興味津々に閣下に尋ねた。
「閣下はずいぶんと、その『悪霊』を買ってらっしゃいますのね。生前はどんな方でしたの?」
「そうですね」
そこまで言って、閣下は遠くを見つめて、懐かしそうな表情を浮かべた。
「簡単に言えば、無類のお人好し、でしょうか。信義に篤く、懐が広く、身内だと認識すればとことん守ろうとする男でした。それに、敵と見なした相手とも、得意の魔法ではなく、拳で決着をつけるような一本気なところがありましてな。ですから、まあ、なんといいますか、不思議なのですが、彼に関わると、敵も味方もひっくるめて、誰も彼も仲間みたいな感じになってしまったのですよ。実際、塔の中では彼と反目していた者も、外で彼の悪い噂を聞けば、かばっていましたからね」
「まあ、とても興味深いお方でしたのね。そういえば、離宮勤めの者たちは、とても口が堅かったですわ。おかげで、ルシアン様の情報が集まらなくて、苦労いたしました。あれは、ブラッド様を守るためだったのですね。ブラッド様は、姿だけでなく、性格も似られたのですね」
弟の名声が、双子の兄を貶めるものとなってしまう。それほどに今のブラッド王子の名は一人歩きして、悪循環に陥っていた。だから、離宮の人員は、極力中の様子を外に漏らさないように努めていた。
「そうでしょうな。彼らを知らない者は、その行動故に謗りますが、彼らを知る者は、その人柄故に、大なり小なり仲間意識を持つ。……そう、とても魅力的な男でしたよ」
楽しげに語って、閣下はそう締めくくった。そして、むっつりと黙り込んでいるルシアン王子に話しかけた。
「これといった情報がないのが、無事であるという証拠でしょう。あのブラッド様のことですから」
「ああ。そうだろうね」
王子は瞳だけ動かして閣下に視線をやると、呟くように同意を示した。
事態が進展しない状況では、これ以上の話し合いは無駄である。それはお互いにわかっていた。
「では、私はこれで失礼いたします。御用があれば、いつでもお呼びください」
「ご苦労だった」
王子のねぎらいの言葉に礼を返し、リュスノー閣下も部屋を出ていったのだった。
リチェル姫と二人きりになると、ルシアン王子は上を向いて溜息をこぼして、背もたれへと体を投げ出した。
姫は唇に人差し指を当て、少し考えた後に言った。
「大丈夫でしてよ。ブラッド様はルシアン様のために行動していらっしゃるのですから」
王子はそれに答えなかった。ただ、天井を睨みつけている。
「全部、ルシアン様のためですわ。それは疑いありませんわ」
『盗賊王』の噂の中には、凄惨なものもあった。言うことを聞かない者は、すべて殴り殺したというのだ。だから、『鉄拳制裁の死神』などという二つ名までついている。
それを、人を殺すのが大嫌いなブラッド王子が、好んでしたわけがない。けれど、そういったことを人任せにするような性格でないのはわかっていた。
「うるさい」
ルシアン王子は、腕で目元を覆って、悪態をついた。
「あら、こんなに思われているのに、怖気づいていらっしゃるの?」
ほんの少し、揶揄して煽る響きが声に混じっている。
「ルシアン様は、ブラッド様を独り占めしたいんじゃなかったんですの?」
「そうだ。でも、違う」
王子は、相反することを言った。
「それだけではないと? まあ、初耳でしてよ。では、どうなさりたいの?」
「俺は、ただ」
それまで彼らしくもなく素直に答えていたルシアン王子は、そこで急に口を閉ざした。同時に心も閉ざしてしまう。
何者も寄せ付けない拒絶を感じ取ったリチェル姫は、ふうっと溜息をつくと、席を立った。
「私、部屋に引き上げますわ。おやすみなさいませ、ルシアン様」
そうして一人きりになった部屋で、王子は、どこにいるかもわからない兄に向かって、ぽつりと呼びかけた。
「俺を一人にしないで」
それは、常の王子からは想像もつかない、とても弱々しい声だった。




