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     エンディミオンⅣ

 生まれ変わってからこの部屋に来たのは初めてだった。だが、さして調度が変わったようには見えなかった。

 前王が調えた、深い赤を基調とし金の装飾を施した重厚な内装。暖炉の前に設えられたソファにもたれかかって酒を飲んでいると、まるで赤い闇の底に沈んでいくように感じた記憶がある。少なくとも、陽気な気分になれる内装じゃない。良くも悪くも、国王という位にふさわしく造られている部屋だった。

「おまえも飲むか?」

「いらん」

 酒なんぞ飲んでいる場合ではないから断ったというのに、勝手にもう一つグラスを用意して、戸棚の奥から出してきた酒を手ずから注ぎ、向かいの席に置く。そこに座って飲めというのだろう。つくづく人の話を聞かない強引な男だ。

 俺は示された席の背もたれに尻をのせ、半ば立ったまま、座っている王を見下ろした。

 前世と同じ対応をされて、うっかりそれに乗ってしまった。おかげですっかり前世の俺認定されている。でも、なんとなく、それで正しかったのだという気がしていた。

 エンは、待ちくたびれたと言っていた。ならば、こいつも俺に話があるのだろう。

 といっても、さて、何から話せばいいのか。

 意気込んできたわりには言葉が出てこなくて、俺はなんだか目が泳いでしまった。珍しく真剣な顔でじっと見られているのも、居心地が悪い。こいつは、へらへらと人を煙に巻いているのが通常だから、突然違うことをされると、これはこれでやりにくいのだ。

「なんだよ」

 我ながらどうかと思う抗議の言葉が口から出た。これじゃあ駄目なのはわかってるけど、他にどう言えばいいのかわからねーんだよ!

 案の定、奴は苦笑、いや、失笑しやがった。

「なんだよじゃなかろうよ、ブラッド。口の悪さも足りなさも、なにも変わっておらんのだな」

 くつくつ笑って、自分の分の酒を舐める。

「とっておきぞ。おまえのためにとっておいたのだ。飲め」

 とっておいたって、なんだ。まさかこいつもか。

 俺は舌打ちしながら髪の中に手を突っ込み、無意味に掻き乱した。

 まったく、どいつもこいつも。

「死人に酒を取っておいたってのか。無駄だろ」

 俺は吐き捨てるように言った。

 やめてくれよ。たまらない気持ちになるんだよ。もうどうしようもないことで、責められている気分になる。

「死人、か。ならばなぜ、ここにいる」

 冷静に問い返され、苛立つ。それは俺が聞きたい。

 神なんぞ、この世の中ではとっくにお伽噺程度にしか信じられていない。世界のすべては真理に従っている。そこに神が介在する余地はない。たとえ、世界の創世に神が関わっていたとしても、今はその手を離れ、自立した営みを繰り返していると考えられている。

 けれど時に、違うのではないかと思わされる。神は未だその掌中に世界を収めているのではないかと。こんな皮肉な立場を自覚するたびに。人知の及ばぬ何かがあると。

 答えない俺に、王は静かに話しだした。

「おまえは今、ここにいるではないか。アナローズの時とこれで、二度目ぞ。消え去ってなどおらぬ。死んだとは言わせぬ。おまえは、どこでどうしているのだ。一人で戻れぬというなら、真理の塔を挙げて事に当たらせる。それで足りぬというなら、同盟国の魔法使いどもも呼び寄せよう。我らは、どうすればおまえの力になれる」

 だんだんと声が熱を帯びていく。こんな真摯なこいつの顔など見たことない。俺は痛みに感じる何かを煽られて、声を荒げた。

「俺は、死んだ。戻れなどしない。俺のことなんか、もう忘れろ!!」

 悲しませたかったんじゃない。後悔させたかったんじゃない。笑顔仮面のこいつにまで、こんな顔させたかったわけじゃないんだ!

 ただ、何がどうなろうと、守ろうと決めていただけだったのに。

 守りきれるなら、それで満足だった。俺は、満足して、死んだんだよ。それが、どうしてこうなるんだ。

 すると、エンも怒鳴り返してきた。こいつが声を張るのを初めて聞いた。

「忘れられるか、馬鹿者がっ。どうしておまえはそう、デリカシーの欠片もないのだ。誰もがおまえみたいに、単純明快な鳥頭で生きていると思うな! あいにくこっちは複雑で繊細で物覚えがよいのだ。悩みもすれば、悔やみもするのだ!」

 俺はあまりの言われように絶句した。言い返したくて口をぱくぱくするが、どう言えばこいつをやりこめられるのか、皆目見当もつかなかった。

 というか、俺、三つ下の妹だとか、五つ下の弟だとかにも、口で勝てなかった、とか、なんで今思い出すのかなあっ。

 俺が『惨敗』の二文字しか頭の中に浮かべられないでいるというのに、美貌の中年は、いつもの薄ら笑いをすっかり消して、前のめりになって俺に指をつきつけた。

「いいか、調べはついておるのだぞ。おまえがずっと、ブラッドとルシアンの傍におったのはな。あの子達に魔法を教えたのはおまえだろう。しかも、おまえ、余のことを悪し様に吹き込みおったな? 余が真心からブラッドに、父として頼ってよいぞ、エン伯父さんと呼べ、と言ったのに、血相を変えて逃げていきおったぞ! たった三歳の子供が! それから胡散臭いという目で見られて、寄りつきもしなくなった。おまえの仕業だろう!」

 うっわ、あの時のこと思い出して、鳥肌たった! 見たことないほど甘い顔して優しげに囁かれれば、気持ち悪くて逃げ出すのは当たり前だろう!

「俺のせいなもんか。おまえの胡散臭さは筋金入りだっ」

 王は突然不機嫌に口をつぐんだ。どん、と背もたれにもたれかかり、自棄になったように酒を呷る。(から)になったグラスを、かん、とテーブルに打ち付けると、据わった目で俺を見上げた。

「認めよう。そのとおりぞ。余は胡散臭いのだ」

 信じられないような殊勝なことをほざき、そして酒をなみなみと注いで、再び呷る。

 言動が異常だ。そういえば、強そうな酒を、こいつはいったい何杯飲んだ? 俺は心配になって声をかけた。

「ちょっと待て。それ飲みすぎだろう」

「やかましいわ。おまえ、なぜあの時、余を助けた。あやつらに加担しておれば、いや、見てみぬふりをすれば、余に頭を下げ続けなくてすんだものを」

 やぶからぼうに何だ。あの時って、暗殺騒ぎか。どうしてそんな当然のことを聞く。

 俺はあまりの怪訝さに、つっかかるように答えた。

「はぁ? 何言ってんだ。兄弟を殺せるわけないだろう」

 はっ。奴は呆れたように笑った。それから、くすくすと漏れる笑いが止まらずに、壊れたように笑う。

「おい、おまえ、本当に飲みすぎだ」

 完全に酔っ払ってやがる。弱いくせに、酒が好きだから始末におえない。まだ酒瓶を持ち上げようとするのを、立ち上がって取り上げ、俺の椅子の上に置いた。

 そしてついでに俺は王に手を伸ばした。少し酒を中和してやろうと思ったのだ。それを振り払われる。

「余に触れるな。余は充分正気ぞ。人の酔いを勝手に醒ますな。本当に興醒めな男だの」

「あのなあ」

 目が完全に据わってる。こいつ絡み酒なんだよ。ねちっこいんだよ、いやなんだよ。

「王位を前にして、兄弟! 誰がそんなものに頓着するか。王家の歴史は、血で血を洗うものぞ。なのにおまえは、本気でそう言う。掛け値なしの心を示す。そんな者の横にいれば、余の美貌など、とたんに胡散臭いものでしかなくなる。おまえはそうやって、余が必死にやっていることを、軽々と、しかも気付きもしないで飛び越えていく。いつも、いつもぞ! おまえが頭を下げつつも、心中敬っていないのを見て、どれほど忌々しかったか。だったらおまえが王位に就けばよいと、どれほど思ったか!」

「それは悪かったよ。俺が考えなしだった」

「おまえが謝るな! よけい惨めだわ!」

「じゃあ、どうしろってんだよ!」

「戻ってこい!」

 襟首をつかまれた。強い瞳で間近で視線をとらえられる。

 こんなところもこいつにあったのかと驚く。きっと酔ってなければ、そして、次の機会がないとわかっていなければ、エンは俺に内面を見せはしなかっただろう。最後のチャンスだからこそ、外面をかなぐり捨ててくれているのだ。

 でも、こんなの、ぜんぜんエンらしくない。こいつは、飄々と胡散臭いぐらいでちょうどいい。

 俺は、エンの額を鷲掴んだ。素早く背もたれに押し倒して押し付ける。次いで、片足で奴の股間を踏みつけ、腹に手を当てた。

「おまえ、何を!!」

「暴れんな。うっかり踏み潰すといけないからな」

 暴れようとするのを、足にちょっと力を込めて静かにさせる。ああ、ぐにょっとした感触が気持ち悪い。

「もう年なんだから、無茶な飲み方すんじゃねーよ。少し酒抜くぞ」

「よけいなお世話だ!!」

「あー、もう、黙っててくれ。失敗すると殺しちまう」

「でたらめな、化け物が」

 奴は悪態をついたが、それで黙った。確かにこの力はでたらめなのだ。基本は水の力の応用だが、生体に働きかけるのは木の力だし、場合によっては、土の力も使う。三つの適性がなければ、使えないものだった。

 対象物の範囲が限られるためにたいした力は使わないが、その代わりものすごく繊細な制御を必要とする。体内の物質を操るのだ。下手をすれば、殺してしまう。話などできるわけがなかった。というより、俺も非常に無防備になってしまうので、この状態で襲われたら、自分が死んでも気付けないだろう。そのくらいの集中が必要だった。

 さっき興醒めと言われたので、適当なところでやめる。腹に当てた手だけを離し、拘束したままの状態で話しかける。

「俺は木霊(こだま)みたいなものだ。いずれ消える」

 前世の俺の記憶など、そんなものでしかない。どんな魔法を使っても、時を巻き戻すことだけはできない。すべては、この過ぎ去っていく一瞬と同じに、過去なのだ。覆らないもの。変えようのないもの。けれど、未来は違う。

 俺は、自分の手が額とともに奴の目も塞いでいるとわかっていながら、自分の胸を指して言った。

「これからは、これを使え。過去の俺なんかより、よっぽど使い勝手のいい魔力を持っている。それこそ、でたらめで化け物じみた力だ」

 少々系統が違うが、俺と同じ力を持つルシアンは、人を創造した。創造された俺は、何の違和感もなくこうしている。それがどれほど類稀なことか、魔法の素養がない人間にだってわかるだろう。

「この単純馬鹿が!!」

 大事なところを踏まれているというのに、突然猛烈に手を払いのけられ、奴の足まで跳んできそうなのを、俺は数歩下がって避けた。

 びっくりして踏み潰しちゃったら、どうすんだよ、(あっぶ)ねえなあ。

 あわを食って内心ドキドキしている俺に、エンは激怒状態で怒鳴りつけてきた。

「この、大馬鹿者がっ。一番心配なのは、ブラッドぞ! これを見ていると、まるでおまえがいるようにしか思えぬ。頭が悪いわけでもないのに、馬鹿ばかりやらかす。なんだあのマヌケさかげんは。おまえにそっくりだ。このままでは、この子はおまえの二の舞ぞ。なんでわからぬ! おおよそおまえはルシアンが心配で出てきたのだろうが、まったくの見当はずれだわ! あれはぺリウィンクルの戦力を削ぎ、アルニムにも力を見せつけて、リチェル姫の持参金をたんまり巻き上げてくると出掛けていきおったのだ。ルシアンは相当に(したた)かな男ぞ。……黙って聞け」

 俺が口を開こうとしたのを、鋭い口調だけでさえぎる。

「アナローズもだ。あれもネニャフルの女ぞ。その気になれば、男という男を骨抜きにして、一国ぐらい掌中に治めるわ。あれらはなんの心配もないのだ。むしろ心配なのは、この子ぞ」

 奴は、この子、と言いながら立ち上がって、俺の腕を掴んだ。ぎり、と指が食い込む。俺は奴を見上げた。十五歳の俺は、まだこいつの身長に届いていないのだ。

「この子は、きっとおまえと同じように、笑って死んでいく。余は二度も、我が守護魔法使いにそんな死を許す気はない!」

 俺は瞠目した。エンはまっとうであるにもかかわらず、王の威厳にあふれていた。俺はそれに打たれたのだ。

「……よって、約束を結びなおす。リュスノーの言いつけを破り、塔を出ていけば、ブラッドは弟子としての資格を失う。言っておくが、悪霊のせいだなどとは言い訳にならぬ。その正体を知る余が認めぬ。さすれば、ブラッドは守護魔法使いになれぬぞ。それでは困るのであろう? おまえは、ルシアンとアナローズを守りたいのだから」

 王は慈悲深い(と言われる)それは美しい微笑を浮かべた。俺はあまりの胡散臭さに、背筋が凍る心地がした。

「だったら、認めよ。守護魔法使いは複数人とし、その中にルシアンも含めると」

「駄目だ。認めない」

 今度は俺が王の手を振り払う番だった。上から威圧されるのは御免だった。

「言っておくが、おまえが認めようが、認めまいが、そうなろうぞ。ルシアンがそう望んでいるのだからな」

 俺は王を睨みつけた。そんなのはわかっている。だからこそ、そうさせないようにと、説得を王に任せたのだ。

「おまえこそ、約束を守るつもりはなかったな」

「おお。何を言う。かわいい甥との約束ぞ。最大限の努力はしたぞ? ただ、まわりがこぞって覆すだろうとは思っていたが」

 しらじらしい。じわじわと人を自分の思い通りの方向に動かすのは、こいつの十八番(おはこ)だ。美貌はそれを助ける一つの道具にすぎない。こいつの本質は、そんなもので納まらない。

「まったく。おまえほど王位に相応しい奴はいねーよ」

「ほう?」

 王は微笑んで興味深げに片眉を跳ね上げた。

「俺には真似できねー。だけどな」

 俺もニヤリと笑う。そっちがそのつもりなら、俺も俺のやり方を通すまでだ。

「おまえも俺の真似はできねーだろ」

 ふっと王は鼻で笑った。

「そうだな」

「ああ。だから俺も、好きにさせてもらう」

 俺は外から風を呼んだ。窓が音を立てて開かれ、強烈な風が吹き込んでくる。苦手な魔法だから、どうも制御が甘いのだ。部屋の中は息も苦しいくらいの風が吹き荒れた。小物が舞い踊る。

 王は頭を庇って体を伏せた。その間に、俺は風に乗った。外へ出て、一気に高所まで駆け上る。

 俺は城のはるか上空で頭をかかえてうずくまった。

 あああ。またやった。失敗した。どうも俺は短気でいけない。わかってはいるんだが、一度として改められたためしはない。

 あいつにルシアンたちを追う馬の乗り継ぎを提供させようと思っていたのに、つい飛び出してきてしまった。よけいな魔力は使いたくなかったんだが、こうなってはしかたない。

 諦めて溜息をつく。

 俺はマントの端を足にくくりつけて、空で仰向けに寝そべった。月と星を見て、だいたいの方向を確かめる。

 そしてそのまま、下からゆるい風を吹きつけながら、俺はルシアンのいるであろうほうへ、ゆっくりと空を滑り降りていった。

 この間抜けな格好を、誰にも見咎められませんようにと、願いながら。


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