ロズニス
俺は、かーっとなって地図を握りつぶし、エンディミオンのヤロウに奇襲をかけてやろうと、ガツガツと足音高く扉に向かった。
その耳に、柔らかい声が流れ込んできた。
「地に偏在せしもの。我が血にも流れしもの。我が愛しき鋼。我が呼び声に答えておくれ。……鍵よ、かかれー」
ガガガガガッ、ガツッ、ガゴゴゴォォンッ。部屋の扉と鎧戸の鍵という鍵がかかり、かかりついでに、壁面や扉から奇怪な形に金属が突き出してきて、俺は足を止めた。……どうやら、鍵の機能を増強しようとして、閂状に壁の中から扉や鎧戸の中まで貫通させたらしい。つまり、鉄の杭が打ち込まれた状態と言おうか。
危ねえ。扉や壁の傍にいれば、飛び出した金属に貫かれて、怪我をしかねない。俺はくるりと振り返って、吼えつけた。
「ロ~ズ~ニ~ス~!! 勝手に魔法を使うんじゃねえっ」
「だ、だって、だって、怒っちゃ駄目ですよう~」
やったことは大胆なのに、身を縮めて、怯えた瞳で涙ぐんでいる。その表情を見て、俺は、ぐっと詰まった。女を脅しつけるような男は最低だ。俺は視線をそらして、後味の悪さに舌打ちした。頭が急速に冷えていく。
そういえば、俺はジジイにこいつの監督を頼まれていたんだった。なのに、研究室がこの惨状。俺の責任だ。証拠隠滅をかねて原状回復するとして、修理には一晩たっぷりかかる。しかし、今の俺にそんな暇はない。俺は、ルシアンの許に行かなきゃならない。どうしても。
思い至った答えに、ロズニスに視線を戻した。
ここを出ていくってことは、こいつを置いていくってことだ。これから何が起こるかわからない場所に、女なんか連れていけるわけがない。それは、こいつに対する責任を放棄するってことだった。
「ああっ、くそっ。」
割り切れない気分に、悪態をつく。
スープをあっためようとすれば爆発させ、手の中の金属片の形を変えようとすれば、半径一メートル以内の金属を全部同じ形に変えて、ペンから実験器具から使い物にならなくするし、地面から鉄塊を生じさせようとして、もう少しで体を貫かれて死ぬところだったこともある。その上今日は、鍵をかけようとして壁面ごと破壊しやがったのだ。
今まで怪我人も死人も出なかったのが奇跡だ。一人で放っていくのは、あまりに危険だった。まるで悪霊の申し子のようなこいつを、いったいどうしたらいいのか。
俺はロズニスに目を据えたまま考え込んだ。全然いい考えが浮かばなかった。
「お、怒ったってー、睨んだってー、開けませんからねーっ。王様殺しちゃったら、いくらブラッド様だって、皆に殺されちゃいますよーぅっ」
うえええ、と泣きながら、ロズニスが叫ぶ。
俺は虚を衝かれた。ものすごく驚いた。いや、感動したのかもしれない。だから、つい、またもや詠唱を始めた彼女を、なんとも言えない気持ちで見守ってしまった。
「地に偏在せしもの。我が血にも流れしもの。我が愛しき鋼。我が呼び声に答えておくれ。囲め! 囲め! 囲め~!!」
ギ、ギギギギギ、ギャギー、と金属のこすれあう音と共に、天井と壁面が不恰好な鉄網に囲まれていく。壁際にあった棚は押されて倒れ、ランプも落ちて割れ、暗闇になった。
その中で、ひっくひっくとしゃくりあげながら泣く声が響く。
俺は上着のポケットに地図をねじ込んでから掌の上に火を出し、無事だった物置の上から蝋燭台を探しだして灯した。それをかかげて、見える範囲を見回す。
確かに、たったあれだけの詠唱でこれだけの魔法が使えれば、小さな制御は苦手だろう。
詠唱は、本来、もっと細かく指定するものだ。例えばこの檻を造るならば、どこから材料を調達してどんな形状のものをどれほどの大きさでどこに出現させるのか。それらを事細かに描写しなければならない。それを、たった一言、囲め、それだけで土の属性を従わせた。
なのに、これだけの力があるにもかかわらず、俺を攻撃もしなければ、自分の身を守りもしない。ただ、俺を行かせまいと、檻を造って。
なんつー無謀で、どんだけの勇気だ。泣くほど怖いことに立ち向かうって、普通はできないだろう。しかも、自分のためじゃない。人のため、俺のためにだ。本当に、びっくりだった。恐れ入った。
温かい気持ちが胸の内に満ちて、その思いのまま、名を呼ぶ。
「ロズニス」
びくっと震えて、それでも彼女は返事をした。
「はいー」
「怖がらせて、悪かった。王を殺しゃしねーよ。腐っても国王陛下だからな」
ちゃんとわかってる。どんなに酔狂で変人だろうと、理由もなく悪事は働かない奴だって知ってるから。
たーだ、ちょっと、答えによっては、痛い目の一つや二つや三つや四つ、食らわせてやりたいと思っただけだ。もちろん魔法は使わねえ。やるなら対等に拳だ。足も出るかもしれんが。
俺はロズニスに近付いた。しゃがんで目線を合わせて聞く。
「怪我はないか? 立てるか?」
魔力の使いすぎで体力を消耗しているかもしれない。彼女は下を向いて、床に手をついた。ん、と言いながら腰を上げようとするが、姿勢は変わらない。
「なんかー、力が入りませんー」
上目遣いに情けない声で訴える。元気ではあるようだから、
「腰が抜けたのか」
どれだけ怖かったのだろう。
「これがー、腰が抜けるってー言うんですかー? 初めてですよー」
ロズニスが唇を尖らせてぼやいた。もう全然怖がってはいないようだった。
さて。こんなところにいつまでもいるわけにはいかない。俺は彼女に両手を差し伸べた。ロズニスはそこに自然に縋りついてくる。それを抱き上げれば、腕の中で、ほうっと彼女は息をついた。
「もう、いつものブラッド様ですねー。よかったー」
「あー。本当に悪かった」
ばつの悪い思いで謝る。すると、彼女は突如俺の胸倉を掴み、必死の目で見上げてきた。
「そうですよう。ブラッド様も悪いんですよう! だから、一緒にリュスノー様に謝ってくださいねぇっっ」
「ああ、うん。もちろんだ」
もう、証拠隠滅とかのレベルではない。ここは二人でおとなしくジジイに叱られるしかない。気は重いが、こうなってはどうしようもなかった。
「ブラッド様、どこへ行くんですかー?」
扉の前で立ち止まり、今まさに扉を消し飛ばそうとしていたところに、不思議そうに聞かれた。
「ん? おまえの部屋にでも送ろうかと」
「お夕飯、まだいただいてないですよー。蝋燭も消してないですー。火の用心ですー。それに、お腹、すっきすきですー。食べてからにしましょーよー」
俺は唖然とロズニスを見下ろした。腰が抜けてるんじゃないのか。さっきの今で、この場でメシだと? なんだ、この無神経ぶりは。
「今日のメインはお魚のフライですよー。珍しい香草が付いてたじゃないですかー。あれと合わせて食べると、すっごく美味しいですよねー? ……ブラッド様ー? もしかして香草は嫌いですかー? 私、食べてあげましょーかー?」
ロズニスは、なにやらメニューについて力説している。要は、好物らしい。俺は体の中身まで抜け出てしまいそうなほどの脱力感を覚えて、深い溜息をついた。
「まあ、そうだな。食べ物を粗末にするのはよくないな」
そうして俺たちは、いろんなものが散乱した部屋の中で、奇跡的に無事だった夕飯を食った。
この女に会ってから初めての、苛々しない、どういうわけか和やかで和気藹々とした食事だった。
食事の後、ロズニスには一筆書いて渡し、ランジエの所へ行っていろと命じた。確か、あいつの属性も土だ。細かい制御が得意だったから、こいつを任せてもなんとかなるだろう。……たぶん。
心配になってきて、師匠の出した課題を残らずやっておくんだぞ、とも言いつけた。課題はまだまだある。あれをやっている限り、こいつの場合、描いているか居眠りしているかだ。……たぶん。
どうにも不安が拭えず、ロズ二スの頭に手をのせて、ポンポンと叩きながら諭した。
「いい子にしてろよ」
「いー子ってー、私、ブラッド様より年上ですよー」
「ああ、そうだっけ」
ロズニスの不満顔がおかしくて笑う。こんな手間隙かかる年上なんて、他に知らねーよ。
「拗ねるな。土産を買ってきてやるからな」
「じゃー、美味しーものがいーですー」
おお。遠慮のない奴め。まったく、この女、色気の欠片もない。まあその分、気楽なんだが。
「わかった。美味いものだな。楽しみにしてろ」
俺は最後に一つ、親しみを込めて、麦穂色の頭を小突いてやったのだった。




