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     弟子と師匠

 夕方、日がだいぶ傾いた頃になって、ジジイがやってきた。やってきた相手が、弟でも母でも母の夫でも弟の求婚者でもなかったのに、心底安堵した。

 護衛たちには、彼ら四人は入れるなと命じてある。俺は弁解しようのないことをしている。撤回するつもりもない。話をしても、いたずらに感情をこじらせるだけだろう。けれど、彼らを拒絶するのは、辛くて怖かった。だから、そうならなかったことに、ほっとしたのだ。

 部屋に入ってきたジジイは、くたびれた顔をしていた。日が(かげ)ってきた中では色彩よりも陰影が増すせいだろう、その顔に刻まれた皺が思っていたよりも多く深く見え、この人もまた歳をとったのだと気が付いた。

「ブラッド様。王のご命令により、御身は我が預かりとなります」

「それはどういう理由でだ?」

「いまだかつて、学院の出でない者が守護魔法使いになったことはありません。ですから、我が弟子として体裁を整えてもらいます」

「ふうん」

 まったくもって、屁理屈だ。だからこれは、(てい)のいい隔離だと、俺は判断した。

 研究室にでも籠もれば、ほとんど人と会わないですむ。それだけの設備も整えられている。王もまた、俺が弟たちと会わない(ほう)がよいと考えたのだろう。

 俺はありがたく拝命することにした。

「わかった。それで、俺はこれからおまえをどう呼べばいい?」

「そうですね。学院では先生、塔では名前、それ以外では閣下と呼ばれていますが、……弟子ならば師匠でもよいでしょう」

 思いついたように、最後に懐かしい呼び名が付け加えられた。かつては毎日のように、そう呼んでいた。十六歳の時から十年以上、この人が王都での親代わりだったのだ。

 俺はベッドを降りて、リュスノーと向き合った。右手を胸に当て、腰を折り、頭を下げる。

「これから世話になる。よろしく頼む、師匠」

 弟子として当然の態度をとった俺に、ジジイはニヤリと笑った。

「いい心掛けです、王子。それでは、私も心おきなく、弟子として扱うといたしましょう。さっそくですが、荷物をまとめてください。真理の塔に移ります」

 こうして俺は、久しぶりに古巣へ戻ることになったのだった。


 『真理の塔』は、この国の魔法使いを統べる機関の名だ。由来は、古い時代に建てられた研究施設が塔であることからきている。転じて、そこで魔法理論=世界の真理の解明に心血をそそぐ魔法使いたちを指すこともある。

 王宮の片隅にある一つの小さな塔から始まったそれは、今では魔法使いの卵を育てる学院やその寮、図書館、保管庫、実験場なども併設され、一大施設群となっている。

 その最高責任者として、すべてをまとめているのが、リュスノー・ローゼンバーグ閣下だった。つまり、このジジイである。

 ちなみに、位は守護魔法使いの(ほう)が上だ。あくまでも、その下で実務を担当するのが最高責任者で、時に兼任することもある。ジジイがいい例で、自分が守護魔法使いをやっていた時から今に至るまで、それを務め続けている。

 そのジジイのあとをついて、俺はおとなしく塔の廊下を歩いていた。名前の由来になった建物だ。最も古いはずのものだが、前世で俺が上部を半壊させたので、そのあたりは新しくなっている。

 最上階にある部屋のうち、東向きの部屋へと案内された。

 中に入ると、窓が開けられており、物憂げで優しい夕暮れ時の空気が部屋を満たしていた。使われていないはずの部屋だから、黴臭いか埃臭いものと思っていたから、意外だった。

「ここがお父上の居室でした。今も当時のままに残してあります。掃除もいきとどいているので、すぐに使えるでしょう」

 俺は壁という壁にとりつけてある本棚の棚板を触った。塵一つ落ちていない。それから、並んでいる本の背表紙を眺めた。よく覚えてはいなかったが、確かに俺ならばこう配置するだろうという順番に並べてあった。

 その中で一冊だけ、乱雑に横になっている本が目につく。どうしてだろうと手に取ると、アナローズ姫に貰った覚えのあるしおりが途中に挿んであって、読みかけなのだと知れた。

 そう。俺は読みかけの本を、こうして本棚の本の上に、てきとうに上げておく癖がある。それが、そのまま残されているのだろう。本当に、ここはあの日のまま、時を止めているらしかった。

 二度と主の戻ってこない部屋なんて、片付けてしまってくれてかまわなかったのに。というより、そうするべきだろう。俺は、なんとも言い難い、妙な気分になった。

「どうして」

 ジジイは俺の質問ともいえない呟きには答えず、扉へと目を向けた。開け放したそこから、廊下を駆けてくる足音が近付いてきていた。

 やがて人影が飛び込んでくる。その人物はぎょっとしたように立ち止まった。

「リュスノー様? ブラッド!?」

 初めはジジイを不思議そうに呼び、それから俺に気がついて、半ば叫ぶようにして名を呼んだ。そして突然、乱暴に掴みかかってくる。

「ブラッド、おまえっ、無事で、今まで、どこに」

 痛いほど二の腕を掴まれ、乱暴にゆすられた。相手が前世の俺を知っているのは間違いなかったが、すぐには誰なのか判別つかなかった。十年以上という年月は、思ったよりも人の外見を変える。掴みかかられることによって、ごく近くで相手を観察し、やっとこれが誰なのか、記憶の中から答えを拾ってくることができた。

 ランジエ・アノマラード。大貴族のぼっちゃんで、俺の不倶戴天の敵だった男。いつも憎々しげに俺を見ていた奴が、なぜか泣きそうな顔で、支離滅裂なことを口走っていた。

「ランジエ、やめよ。それはブラッド王子だ」

「えっ」

 奴は動きを止めて、俺の顔を凝視した。それでもまだ戸惑った様子で、呆然としている。俺は焦れて、名前を告げた。

「今日付けでリュスノーの弟子となったブラッドだ」

「あ」

 奴は夢から覚めたように、俺から手を離した。慌てて深い礼をする。

「失礼いたしました。ランジエにございます。お目にかかれて光栄です」

 俺は彼に対して、さらに違和を感じた。『真理の塔』は魔法の才能の有無で人を集めるために、時に前世の俺のように、姓のない者が入ることがある。だから、通例として名だけを名乗る。だが、こいつは何かというと姓も名乗り、己の血筋を誇っていた。

 だから今日も、王族の血やら大魔法使いの血やらも入ったそれを、王族とはいえ庶民の血を引く俺に、ひけらかすのではないかと思っていたのだ。

 だが、どうやら年を重ねて、少しは謙虚になったらしい。最低限の礼儀を守ってくれるなら、こちらも敵対する必要はない。俺は気楽な気分になって話しかけた。

「畏まらないでくれ。ここではリュスノーの弟子でしかない。身分にこだわるなら、むしろ俺が、そちらを兄弟子として敬わなければならない立場だ」

「いえ、それは」

 恐縮して言葉が濁される。

「だったら、我が父に免じて、弟子仲間として扱ってくれ。……見たところ、おまえは父と同じ年頃のように思うのだが。学友だったのか」

「はい。仰せのとおりです。同じ年に学院に入学いたしました」

 そうしてさんざん、反目しあった。その相手が、どうして俺を見て、あんな顔で飛びついてきたんだ。

「そうか。なぜ、今日はここに?」

「……今日はわたくしの当番の日でございましたので、窓を閉めに来ました。その、親しかった者たちで、順番に掃除をしているのです。お父上は行方不明でいらっしゃいますが、いつ帰られてもよいようにと思いまして」

「行方不明?」

 何を言っている。あの状況を実際に見た魔法使いなら、誰でも本能的にわかるはずだ。あれに巻き込まれて、助かるはずがないと。それを、王都にいたこの男も見たはずだ。

「はい。公式の発表は存じております。その可能性が低いことも、充分に理解しております。ですが、彼がそんなに簡単に死んだとは思えないのです」

 思えないから、戻ってくるのを待っていると?

「もう、十六年にもなるが」

「はい。そうでございますね」

 ランジエはそこで、どういうわけか、楽しげに苦笑した。

「もしかしたら、百年や二百年かかるのかもしれません。小さなことにこだわらない、おおらかな(かた)でしたから。それでもきっと、帰ってくる気がするのです」

 俺は返す言葉がなかった。なんでこいつが、よりによってこいつが、そんなふうに俺を語るんだ。

 奴は、急にすっといずまいを正し、再び頭を下げた。

「先程、弟子仲間としてと仰っていただきましたが、実はわたくしは、お父上とは大変仲が悪うございました。わたくしはお父上の才能に嫉妬し、血筋を笠にきて彼を貶していた、つまらぬ愚か者にございます」

 そうだった。俺にはどうしようもできない生まれを、それによって身につけられなかった、あるいは身につけてきたものを、根こそぎこいつは嘲笑った。俺の故郷を、家族を、仲間を、馬鹿にして、否定した。だから俺はこいつと、なれあうことはできなかった。いっそ憎んでいた。

 こいつだっていつも、憎しみのこもった目で俺を見ていたじゃないか。

 それを、愚かだったと、懺悔するのか。

 当時の奴は、まさに貴族的で高慢な顔つきの男だった。けれど、頭を下げ続けている奴の姿には、昔の若々しさはどこにもなかった。面影はそのままに、少しくたびれた、そのぶん己の(ぶん)を知った、大人の男がいるだけだった。

 急に、十六年という歳月が、ひどく長いもののように思えてきた。俺が死ぬことによって彼らを置き去りにしたのではなく、俺が彼らに置いていかれてしまったような気がした。

 途方に暮れて、俺はただ突っ立っていた。ランジエは微動だにしないまま。何か声をかけなければ、身分が下のランジエは退出することもできない。なのに、どうしても言葉が出てこなかった。

「ランジエ、下がりなさい」

 ジジイが静かに命じた。

「失礼いたします」

 奴はちらりと一度目を上げると、すぐに礼をし、そのまま退出していった。

 ジジイは自ら室内のランプを灯してまわると、鎧戸を閉め、窓も閉めた。そうすると、窓が開いていたときよりもずっと明るくなり、暖かな光に浮かび上がる本だらけの狭い部屋に、ようやく俺は心が落ち着くのを感じたのだった。


「座りましょうか」

 ジジイは部屋の片隅にあるソファを指し示した。俺は頷いて座った。ジジイも斜め向かいに座る。そして膝の上でゆるく指を組むと、口を開いた。

「ブラッド様はあまり心当たりがないかもしれませんが、魔法使いというのは、元来繊細なものです。常人とは違い、魔力に敏感である体や心は、良くも悪くも感受性が鋭く豊かなのです」

 俺はジジイの言った内容をよく考えてみたが、同意はできなかった。今生では狭い世界でしか付き合っている人間がおらず、話にならないが、前世では交友関係は広かった。それを振り返ってみても、村でも学院でも塔でも宮廷でも軍でも街でも、嫌な奴もいれば、いい奴もいて、気の合う奴とはつるんだし、そりの合わない奴とは張り合った。それだけのことだった。魔法使いであろうと常人であろうと、そこに特別な差異は感じられなかった。

 そんな俺を見て、ジジイは失礼なことに、苦笑した。

「そんなところも、王子はお父上にそっくりでいらっしゃる。ランジエも言っていましたが、良く言えばおおらか、ありていに言えば大雑把、細かいことに惑わされませんが、それに気付くこともない。その存在を知らないのですから、理解のしようもないということですな」

 内容的には酷いものだったが、貶されているわけではないようだった。真面目に語るジジイの様子からは、単に事実を述べているだけなのだろうと思われた。

「繊細であるはずの魔法使いの中にも、稀にそういう者がいます。彼らは例外なく、大きな力を動かすことができる、俗に、大魔法使いと呼ばれる者たちです。恐らく、繊細では巨大な魔力に耐えられないからなのでしょう。非常に丈夫な体と精神を持っています。まあ、簡単に言えば、鈍感というやつですな」

 あ、とうとう本音を言いやがった。

「馬鹿にしているのか?」

 俺は本題の出てこない長話にあきて、怠惰に背もたれに体をあずけた。

「滅相もありません。王子にわかってほしかっただけです。先程のランジエのように、お父上の死に、これだけ経っても、まだ傷ついている者がいることを」

 俺は眉をひそめた。それが、なんだというのだろう。俺は責任を果たすために死んだ。だが、死んだ後のことまで、責任などとれない。

「お父上が死んだことを、いまだ嘆き悲しむ者は、お母上を筆頭に何人もいます。かくいう私もそうです。お父上は、私が手塩にかけて育てた後継者でした。彼を思い出さない日はないのです。彼にもう一度会えるものなら、懇々と説教をしてやりたいくらいです。楽しげに死地に赴いていきおって、と。残される者のことを、欠片でも考えたのか、と」

 師匠はしばらく目を伏せ、黙り込んだ。それを見守っていた俺は、師匠の膝の上の手が、きつく握り合わされているのを見つけた。その、ささいな仕草に、胸をつかれた。

 誰もが、すぐに俺のことなど忘れると思っていた。そりゃあ親しかったんだから、しばらくは嘆くだろう。でも、じきに日常にまぎれて、悲しみなどすみやかに癒えていってしまうに違いないと。

 でも、ここにきて、間違っていたのかもしれないと考えざるをえなかった。

 妻だった母だけでなく、反目していたランジエも、そしてジジイも、俺の死を惜しんでいるという。それを、まだ痛みとして感じているという。それが、本当ならば。

 ジジイは視線を上げ、俺を見つめた。

「どうか、これだけは覚えておいてください。あなたが死ねば、悲しむ者がいます。絆が深ければ深いほど、あなたの死によって負う傷も深くなるのです。それは、一生癒えない傷となって、その者に刻まれます。それを、忘れずにいてほしいのです」

「俺は、簡単に死ぬつもりはない」

 前世だってそうだった。それでも、被害をくいとめるには、ああするほかなかった。俺はそれを後悔していない。誰を傷つけるとしても、今、同じ事が起きれば、俺は同じ事をする。そうせずにはいられない。

 俺は、どうしても、どうやっても、弟や母を守りたいのだ。

 かたくなな俺の態度に、ジジイは表情をくもらせた。

「ブラッド様に何かあれば、ルシアン様は復讐に駆られるでしょう。それは、あなた以外の誰かを得たとしても、変わらないのですよ。あなたの代わりを、他の誰かが務めることはできない。たとえ、リチェル姫と心を交わすようになったとしてもです。お母上のこともそうです。私には、あなたが身の回りの整理をしているようにしか思えません」

 そのとおりだった。守護魔法使いは王国の盾だ。いざまさかの時は、己の命を惜しんでいるわけにはいかない。俺は、もしも弟や母をおいていくことになった時のために、彼らに強力な後ろ盾を用意しておいてやりたかった。

 でも俺はそれを隠して、ジジイに薄く笑ってみせた。

「思い過ごしだ」

 なのにジジイは深い息をつき、ゆるく左右に顔を振った。

「なんだ。何が気に入らない」

「でしたら、進言いたします。現守護魔法使いはジョシュアが名乗っておりますが、実質は彼が筆頭というだけで、八名が事にあたっております。どうか、お一人でというお申し出を取り下げていただきたい。王国の小さかった昔ならいざ知らず、これだけの大国を一人で支え、守るなど、制度自体に無理があるのです。これからは、」

「条件は撤回しない」

 俺はジジイをさえぎった。

 そうすれば、必ずルシアンも守護魔法使いに任ぜられる。それだけは、させるわけにはいかない。

 ジジイは俺をしばらく見つめてから、頷いた。

「わかりました。では、話はここまでとして、塔の他の場所を案内しましょう」

 一瞬で深刻さを振り払い、膝の上にあった手を、塔全体を指し示すように腕を上げて大きく開き、明るく申し出てくる。

 実りのない会話に拘泥せず、素早く切り替える、そのへんの早さは、さすがだった。

「うん。頼む」

 俺もそれに合わせ、うわべの機嫌を取り繕い、同じくにこやかに応じたのだった。

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