舞台に登る
王は胡散臭さ全開の笑みで、両腕を広げて近付いてくる。世間ではあれを慈悲深い微笑と言うらしいが、どう見ても俺にはそう思えない。だって、完全に楽しんでる目だろ、あれ。それを隠してすらいないのに、誰も彼もがごまかされるのは、恐らく顔の造作のせいだろう。
無理を言わずとも道理が勝手に引っ込んでくれる美貌。それがネニャフル王族の特徴であり、最大の武器なのだという気がする。母然り、王然り、ルシアン然り。人の心を常に好意に変えるそれは、ある意味、剣よりも魔法よりも強いのではないかと思う。
そんな人望にあふれた王の両脇は護衛がかためており、そのまた脇を、護衛室から出てきた魔法使いたちが、決死の表情で急いで取り囲んだ。あっというまに物々しい集団ができあがる。
そんなことだろうとは思っていたけれど、やっぱりあいつら、俺の護衛じゃなくて、俺から他を守るために待機していたんだな。この調子じゃあ、ベッドから降りる素振りを見せたとたん、問答無用で攻撃をくらうにちがいない。
本来ならきちんと降りて王を出迎えるべきなのに、それをやったら絶対に血の雨が降る。そうでなければ、この狭い部屋の中では、ルシアンの炎の攻撃と、相殺しようとした俺の水の障壁のせいで、蒸し焼き状態になるかもしれない。
そのさまがありありと脳裏に浮かび、背筋が冷えた。それは避けたい。絶対避けたい。俺は恐ろしい予測が実現されないうちに、王に釈明することにした。
「陛下。このような出迎えをお許しください。ベッドから降りることもままならないのです」
「うむ。よい。見舞いに来たのだ。病人にベッドを降りよとは言わん」
やがて王は枕元の脇まで来てベッドに乗り上げ、俺と抱擁を交わした。そうして期待に満ちた瞳で、人の顔を覗き込んでくる。そのままいつまでたっても目を合わせたまま、微笑んでいる。
年齢不詳の美貌とはいえ、50近いおっさんに抱きつかれ、至近距離で見つめ合うのは、苦行以外のなにものでもない。俺は全身に鳥肌をたてながら、その迷惑行為の意味を尋ねた。
「……なんですか」
「おまえが火柱を吹くと聞いてきたのだが。なんだ、せぬではないか」
王は後半部分で後ろを振り返って、お付きの者たちに文句を言った。
「怒らせたらですっ、陛下っ。刺激してはなりませんっ。どうぞそのままお下がりくださいっ」
侍従が必死の形相で小声で伝えている。うん、でも、王に抱き締められている俺にも丸聞こえなんデスが。
俺は溜息をついた。
「火なんか吹きませんよ」
「そうなのか?」
「どうしてわざわざ口から火を吹く必要があるんですか。俺は好きなところに、簡単に火を出せるんですよ」
「ただの火ではないぞ。火柱ぞ。そこらの大道芸とはスケールが違うではないか。そう面倒臭がらずに、やってみたらどうだ、ブラッド」
「やりません」
「我儘な奴じゃの。では、不死になったというのは?」
「だったら今頃、療養なんか必要ないと思いませんか?」
いつのまにやら手品のように王の手に握られた短剣が、先程から俺の背中の肋骨の間に当てられている。たとえ冗談でも気分はよくないのに、王の場合、まず間違いなく本気だ。
「おお。そう言われればそうだの。噂とは、まことあてにならぬな。もう少しでかわいい甥を刺し殺すところだった。うむ。真実とはつまらぬものよの」
そうぼやきながら、王は身をひいた。
俺はうんざりして、どうでもいいから、さっさとこの迷惑男を連れ帰ってくれないかと、願いを込めて護衛やら侍従やら魔法使いやらに目をやった。とたんに、護衛以外の全員が、音がする勢いで顔を強張らせた。
だが、さすが毎日体張っている奴らは根性の座り方が違う。護衛たちだけは顔色さえ変えなかった。俺は感嘆して、彼らを見ながら思わず唇をほころばせたのだった。……のだが。
次の瞬間、護衛たちは俺を見据えて、揃って剣の柄に手をかけた。今にも抜き放たんばかりの気迫は、ああ、なんデスか、やっぱり警戒中デシタか。……なんだか、本当に火柱を吹きたい気分になってきたな、おい。
俺が少々やさぐれた気分になっているうちに、王は勧めてもいないのに、勝手に先程までルシアンが座っていた椅子に腰かけていた。そして、席を譲って隣に立ったルシアンに語りかけた。
「ルシアンも息災か」
「おかげさまで」
二人はそっけなく挨拶を交わすと、それ以上お互い関わる気がないらしく、しらっとして会話が終わった。
そんな二人の作り笑いは、驚くほどにそっくりだ。穏やかな表情なのに、心から笑っていない。むしろ完璧なその微笑で威嚇している。なんとも不穏で、ハラハラして落ち着かないものだ。
なのに、二人を見るその他大勢の目は、俺の時とは違って、仲の良い伯父と甥を微笑ましく見守っているものって、どうなんだ。
……理不尽だ。どうして見舞われている俺ばかりが、気疲れしてなきゃならないんだ。完全に貧乏くじだ。
俺は深い深い溜息をこぼすかわりに、いいかげん覚悟を決めることにした。
王がわざわざ見舞いに来た理由は、見当がついている。予想通りだったらろくでもない内容だが、この国で生きていく以上、避けられる話でもない。
話を先に延ばしても、気疲れがたまるばかりだ。さっさと嫌なことはすませたほうがいいだろう。そう考えて、俺は王に話をうながした。
「ところで、御用の件はなんですか、陛下」
俺の質問に、王は嬉しそうに、華やかに笑んだ。
その微笑みは例のごとく美しかったが、俺には、どうやっても不吉なものにしか見えなくて、どっと疲れが増したのだった。
王は上機嫌で、楽しげに語りだした。
「近頃のおまえの活躍は、まこと、目を瞠るものがある。おまえの噂は味気ない毎日を彩る最高の娯楽ぞ。褒めてつかわす」
「おそれいります、陛下」
そんなん褒められても、嬉しかねーよ。俺は心の中でツッコミながらも、平然と返した。とにかく相手は変人であり、常識など何の役にもたたない世界の住人なのだ。いちいち真面目に取り合っていたら、神経がもたない。
「余はおまえのその才能を、もっと活かすべきだと思うのだ。しかし、こんな離宮に閉じこもっていては、そうそう大事はやらかせないであろう。それではあまりにもったいない。人生は有限ぞ。寸暇を惜しんで楽しまねばな。だから、おまえに守護魔法使いの地位をやろうと決めた」
にこお、と、極上の笑みで宣言する王を、俺は無表情に眺めた。
計画通りと言おうか、予想通りと言おうか。うまくいって嬉しいような、引き返せない場所まで来てしまったのに緊張するような。複雑な気分だった。
先日の件で、母の方は今ひとつの結果だったが、こちらはうまく王の気を引けたらしい。
王の態度のどこまでが本気で、どこからが演技かはわからない。しかし、王は用意された舞台が面白ければ面白いだけ、共に登って、まわりの迷惑も顧みず、とことん酔狂に徹する。それが、エンディミオンⅣ世という人だ。
ただし、こちらから誘っておいて、途中で降りれば、身の破滅だ。王は興醒めをなによりも嫌う。
だから俺は、道化になりきらなければならない。王をこの舞台に釘付けにしておくために。
「陛下」
俺は自分が尊大に見えるように、溜息混じりに至高の存在に呼びかけた。しかし、王は気を悪くする風もなく、なんだ、ブラッド、と、いっそ優しい猫なで声で答えてきた。まるで、我儘な甥がかわいくてしかたないとでもいうように。
「やってさしあげてもよいですが、それにはいくつか叶えてほしいことがあります」
「ほう。面白いことを言う。なんぞ、言ってみよ」
「はい。まず、俺は一つの名声を、誰かと分け合うつもりはありません」
「ふむ。なるほど。コルネードを更迭せよと言うのだな」
俺はそれには直接答えず、意味深に笑った。
「ついでに言わせてもらえば、夫婦そろって辺境に飛ばしていただけると嬉しいのですが」
「ほう、そうか。妹はかいがいしくおまえの世話をしていると耳にしているが。なぜと聞いてもよいかの?」
「自分の人生に母親面で嘴を突っ込まれたい男がいたら、ぜひ紹介してもらいたいものですね」
「おお。至言じゃ、至極そのとおりだの」
王は自分の膝を打って頷いた。そして、ご機嫌で先をうながしてくる。
「その顔ではまだ何か言いたいことがありそうだ。かわいい欲張りめ。思ったとおりを言ってみよ」
「ならば遠慮なく。では、ルシアンとリチェル姫の婚約も認めていただきたい」
「ブラッド!」
ルシアンが驚愕そのままに俺を呼んだ。
「黙れ、ルシアン。俺は陛下とお話申し上げている。無礼だぞ」
国王との会話に横から口を挿むなど、近親者故、黙認されるものではあっても、本来ならば不敬罪に問われてもしかたないふるまいだ。
「どうも、意見の一致がみられないようだが?」
王がからかうように言った。
「陛下は俺の願いをお聞きくださるのでしょう? ならば、それも条件の内です」
俺ではできない弟や母の説得も、この王ならば、やりおおせてみせるだろう。最悪、了承を取り付けられなくても、国王命令ですむ話だしな。
「おお、言うのう、ブラッドよ! そこは余の腕の見せ所というわけじゃな!」
「仰せのとおりにございます、陛下。信頼申し上げております」
「そうか、そうか。おまえは本当にかわいいのう。よし、よし。吉報を待っておれ。うむ。まずはルシアン、余と共に参れ!!」
王はルシアンの腕をつかみ、立ち上がった。
「俺は、兄の警護を」
「必要ない。余の護衛を置いていく。おまえが余の護衛をせよ。さ、行くぞ!!」
ルシアンは引かれる手に逆らって足を踏ん張り、黙って殺気を膨れ上がらせた。俺はとっさにルシアンを諭した。
「陛下の思し召しに従え、ルシアン」
「ブラッド!! 嫌だよ!! 嫌だ!!」
ルシアンは幼く喚いた。かわいい弟の傷ついた必死なまなざしに、気持ちが揺らぐ。
未曾有の災禍から王都を守った『英雄ブラッド』の名は、他国でも伝説として語られるほど有名で、また、その遺児である俺の名も、恐ろしげなたくさんの二つ名と共に知れ渡っている。
王は変人だが、馬鹿ではない。ついでに言えば、抜け目もない。この名だけで他国への抑止力となる俺を、そのまま無為に放っておくなど、するはずがないのだ。
ただ、俺と違って、同じ遺児でもルシアンの名声は高いのが問題だった。輝く美貌、渇水の時期に水と緑をもたらした奇跡の魔法使い、力を制御できずに壊滅的な破壊をもたらす兄の抑止力。『狂王子』とすら呼ばれる俺ではなく、ルシアンを守護魔法使いにと望む声は、宮廷からも市井からも多いのだ。
だが、冗談じゃない。ルシアンを守護魔法使いになど、させてたまるものか。
力を振るわない守護魔法使いなど、有り得ない。力を振るえば、必ず人を傷つけることになる。その立場故に、人を殺さなければならなくなる。絶対に、ルシアンをそんな地位に就けるわけにはいかない。手を汚すのは、俺だけで充分だ。
自分がルシアンの気持ちも無視して、どれほど横暴なことをしているのかもわかってる。でも、俺は、怖い。怖くて我慢できない。ルシアンや母をどうすれば守れるのか。こうする以外の方法を、考えつけない。
だから、ルシアンに落ち着けるように優しく笑いかけて、甘くずるい言葉をささやく。
「もちろん、断るのはおまえの自由だ。いい機会だから、これから陛下についていって、陛下とリチェル姫を説得してくるといい」
相手が王と、あのリチェル姫だ。両者をいっぺんに相手にして、口説き落とせるわけがない。むしろ反対に丸め込まれるにちがいない。
「本当に? それで怒らない?」
「もちろんだ。そしたら、守護魔法使いになる話が流れるだけのことだ。おまえの好きにするといい」
ルシアンはいろいろ考えをめぐらせているようだった。眉間をわずかに寄せている顔は、色っぽい。本人の意思にかかわらず、注目を集める。人々は固唾を呑んで、ルシアンの動向を見守っていた。
「……わかった。行ってくる」
渋々と同意する。それだけで、部屋中に、ほっとした雰囲気が流れた。
「では、行こうかの、ルシアン」
鼻歌でも歌いだしそうな王に手を引かれ、ルシアンは振り返り、振り返り、売られていく小牛のように、部屋を出ていった。




