第5話 引きこもり生活
俺はおとなしく、引きこもり生活を始めた。
日に一度、リュスノーのジジイかジョシュア・コルネードが、交代でご機嫌伺いという名の経過観察に来る。それ以外は、母が二、三日に一度、昼に例の「あーん」をやりに来るだけだ。そして、そのおかげで、それ以外の昼はルシアンに「あーん」をさせられるようになった。
まあ、初めはよかったんだよ。俺、愛されてるな~って感じで、照れつつも嬉しいっていうか。
だけどな、こうも毎日毎日毎日となると、何の羞恥プレイだという気になってくる。
しかも、俺が物凄く嫌がっているのわかってて、ジジイはわざわざ昼にやってきては、じっくり眺めていくのだ。
一方、ジョシュアはどうやらジジイに昼に行けと命令されているようで、ベッドから離れた場所に所在無さげに立って、具合はいかがですか、と目をそらして聞いてくる。それはそれで、その気遣いがかえって痛い。
でも「あーん」をやらせないと、母は顔を曇らせるし、ルシアンは嫉妬の視線で俺を焼き殺しそうだし。どーにかしたいのに、どーにもならないんだよ。
だああああっ。
俺は頭をかきむしった。ジジイめ今日も、とっくりと見物して帰りやがった。ちくしょう、二度と来んな、クソジジイ!!
「どうしたの、ブラッド」
ジジイを送り出すついでに皿を片付けにいったルシアンが戻ってきて、俺の乱れた髪を見て言った。
「なんでもねーよ」
ルシアンが身を乗り出して俺の髪を整えようとするのを押しのけ、自分の手櫛で簡単に直す。ルシアンはベッド脇の椅子に座って、首を傾けた。
「さすがに飽きた?」
「いや。別に」
俺はヘッドボードに重ねてある本を一冊取った。ジョシュアが来るたびに持ってきてくれる最近の魔法研究書だ。他国のものもある。どれも興味深いものばかりだ。
「むしろ俺は久しぶりにのんびりできて嬉しい。食って寝てるだけでいいなんて、それこそ俺のしたかった生活だ。おまえこそ飽きたんじゃないか」
「ううん。俺も楽しいよ」
ルシアンは、えへへ、とハニカんだ。不覚にも目を奪われる。たぶん世界で一番自然にハニカめる男だと思う、ルシアンは。
俺は呆れて苦笑しながら、何の気なしに言った。
「おまえ、俺以外に興味のあることないの?」
「うん。ない」
いや、即答すんな。
俺は溜息を押し殺した。
おそらくルシアンは、前世で足りなかったものを、今、補っているのだ。ルシアンの前世のすべてがわかるわけではないが、こいつがいつも強烈な飢餓感を抱えていたのは確かだ。ルシアンの記憶とわかっているのに、それが無意識下から意識上にのぼってくるたびに、俺も意味もなく叫びたくなるくらいなのだから。
それを、埋めてやりたい。気持ちがわかるからこそ、そう思わずにはいられない。俺が傍にいることで埋められるのなら、いくらでもいてやる。
でも、きっと、俺だけでは埋めてやれない。たとえ共に永遠を過ごしたとしても。どうしてそう思うのかはわからない。しかし、理屈はわからなくても、それは確かだった。
俺は、ちょいちょいと指を動かして、ルシアンを呼び寄せた。何? と近付く弟の頭をガシガシと撫でる。
「馬鹿だな」
不憫で可愛い俺の弟。ただひたすらに慕ってくれるこの弟に、俺は残された時間で何をしてやれるだろう。
15歳にもなって、頭を撫ぜられて猫のように嬉しそうにしている弟を見ながら、俺は考え込まずにはいられなかった。
そうして、心の葛藤はあれど、穏やかに過ごしていた引きこもり生活十日目。とうとう人の皮を被った災厄がやってきた。
扉が勢いよく開け放たれて壁にぶつかり、バターンという音と一緒に、バキャッとどこかが割れる音もする。どうやら、侍従や護衛に開けさせないで、自ら率先して人の部屋に飛び込んでくるほど上機嫌らしい。
もっとも、この男が不機嫌なところは見たことがない。妹とはまた違った美貌の男は、死刑判決を言い渡す時でさえ、うっとりと楽しげに微笑む。
とにかくまっとうな神経は一つも持ち合わせていないことだけは確実な、俺たちの伯父。
ネニャフル王国国王、エンディミオンⅣ世。
豪奢にして華麗、しかしあくまで上品さを失わない派手な衣裳をまとい、奴は曇りない全開の笑顔で両腕を広げた。
「おお。余のかわいい甥、ブラッド・アウレリエ! 喜べ! 邪魔する無粋どもを排除して、見舞いにきてやったぞ!!」
俺はすぐさまベッドの上で慇懃に腰を折り、前世、ジジイにみっちり仕込まれた決まり文句を唱えた。
「ありがたき幸せにございます、陛下」
早く帰れ、迷惑男。
俺は心の声が漏れないように、きつく奥歯を噛み締め、唇を引き結んだ。