第1話 ことの始まり
さて、質問です。
時間的にも空間的にも閉じられたある一定の『場』に、風火木水土の力を暴走レベルで突っこむと、どーなるでしょーか?
俺は『その中』でくつくつと笑っていた。
ああ、ぞくぞくする。笑いが止まらない。
「すっげーな、これ」
白い闇。あるいは黒い光。善も悪もない、ただ純粋な力。始原の、そして終焉にももたらされるだろう、世界の真の姿。
力ある魔法使いなら、ある意味、求めてやまない究極の大技。
もっとも、これをやるなら命と引き替えだ。そうそうやる馬鹿はいない。事実、理論的には予言されてきたが、今までやった奴はいない。
外からは知覚できず、中で知覚できた者は、時間も空間も閉じられている上に命を落とすから、誰かに伝える術もない。
世界の真の姿を見られたとしても、得た知識で次なる研究に寄与できないのなら、それは術を行使した魔法使いの自己満足にしかならない。
まあ、世界の真理を知れるのだ。魔法使いとしては、最高の死にざまでもあるのだが。
「どうだ、最高だろう?」
俺は共に閉じこめてやったルシアンに、獰猛に笑いかけた。ルシアンは無表情にこちらを見ていた。
子供の頃ならば、やめてよー、やめてよー、と弱々しく泣いて、しまいにはいろいろ漏らしてただろうに。
ルシアンにあの頃の面影はない。運動音痴で気が弱くて臆病で、狭い村の仲間内では、使いっぱしりのいじめられっこ。
その時分のお山の大将が俺で、気分爽快に豪快にいじめたのも俺。
まさかあれから十年以上もたって、俺がやっと出世して、高嶺の花のアナローズ姫を射落としたところで、復讐にやってくるとは思ってもいなかった。
しかも、『劫火の魔人』なんていう、とんでもない二つ名付きで。
王都全体を囲む巨大な魔法陣が、空から一瞬で大地に焼きつけられた時に、覚悟を決めた。それだけでも被害は甚大だったが、発動させられたら、国ごと滅びる。
自分の命は二の次だ。それが、この国の守護魔法使いとして、王族の女を手に入れた者の義務だ。
実は、美姫を手に入れたはいいが、お育ちは違うし、綺麗なだけでなんだかつまんねーし、それより『劫火の魔人』とガチで勝負の方が断然面白い、と思ったことは、内緒だ。
ところが、喜び勇んで王都の空中に浮かぶ魔人殿とご対面してみたら、なんと同村の幼馴染。しかも最下層の下僕扱いした相手。
「あー、なに、仕返し?」
「この恨み晴らさでおくべきか!!!」
イッちゃった目で醜く歪んだ表情されたら、なんだか、すとんと納得した。俺、こいつにこんな顔させるようなこと、やっぱりやってたのかって。
だって、おまえ、へらへら笑ってたじゃん。泣いたって、足蹴にされたって、毎日仲間に入れてくれって、ついてまわってたじゃん。
俺なら耐えられないと思いながら、こいつにとってはそうでもないのかと思っていた。
べつに、俺だってルシアンが嫌いだったわけじゃない。他の奴だってそうだっただろう。ただ、鈍臭くて、苛々しただけ。
だから、俺のいないところでルシアンが苛められて怪我した時は、黙って応急処置してやった。傷をふさいで、骨を接いで。死ねばいいとも、傷つけばいいとも、思ってはいなかった。
小さな村の中、子供は少なく、物心ついたときから、疑うこともなく仲間の一人だった。
どこかの流れの魔法使いについて姿を消してしまった時も、心配こそすれ、せいせいしたなどとは思わなかった。
本当だったら、すげー二つ名引っさげて、よくぞ帰還した、と褒めたたえてやりたかったよ。復讐に他人巻き込むなんてバカやらかさなきゃな。
あの、一日中ひーひー泣いて、鼻水だか鼻血だかわかんないの始終垂らしていた奴が、『劫火の魔人』だもんな。よほどの覚悟で頑張ったんだろうよ。
そして、その動機が俺だって言うんなら、受けて立たなきゃ、男がすたるだろう。
そんなわけで、俺は王都中に仕込んでおいた己の魔法陣を駆使して、ルシアンの魔法陣を大地から引きはがし、そのまま丸めた。ルシアンの魔力が強固で、魔法陣を消せなかったせいだ。……それぞれの力と繋がった、ルシアンと俺を閉じこめて。
ルシアンの魔力は二つ名通りに、風と火の属性であり、俺の魔力は、木、水、土に呼応する。おかげで、世界を構成する五つの要素全部が、限定された『場』で荒れ狂うことになった。
俺はすぐに空間を完全に閉じた。この『場』が行き着くところまでいった時に、外の世界に、原初=終焉の力が放出されないように。
体が分解していくのがわかる。世界は光。あるいは闇。すべては純粋な力に還元されていく。
俺は混沌に還りながら、ルシアンの魂もむきだしになっていくのが感じられた。
奴の魂に、『永久不変』の魔法陣が刻まれていることも。
「おまえ、ほんっとうに、バカだな」
それは、現世の記憶を刻む術。魂は世界に還らず、何度でも同じ意識を保って生まれてくる。
それほどまでに、復讐を成就させたかったのか。
魂は人に生まれ変わるとは決まっていないのに。世界は振動する=力の粒子。何も無いように見える空さえ、粒子の一形態でしかない。人の意識を持ったまま、そんなものになってしまったら、いったいどうするつもりなのか。
発狂すらできないまま、業苦を味わい続けることになるに違いない。
その魂と、自分の魂が、混沌の中で混じり合ってしまうのがわかる。
そうして、奴の魂の一番底に刻まれた思いも、ありのままに感じられた。
『おいていかないで。なかまにいれて。いっしょにあそんで』
奴の中で俺は輝いていて、憧れて、手を伸ばさずにはいられない存在で。
『おれをわすれないで』
薄暗くなり始めた林の中、誰も探しにきてくれなかったかくれんぼう。
寂しい寂しい痛い記憶。
そんな記憶は自分にはなかった。悪意があってやったんじゃない。恐らく腹がへったとかで、途中で解散したんだろう。それだけのことだった。
なのに、どうすんだ、この始末。
体はもうなかったが、俺は溜息をついた。
まあ、いい。すべては後の祭りだ。飽和した力は、最早制御などできない。どうなるのかわからなくても、流れゆくしかない。
『場』の中のなにもかもが混じり合っていく。意識が膨張=収縮する。世界の真理に魂をさらす。
そして。
「兄さーんっ」
遠く背後から呼び声が聞こえるとともに、突然なにもない場所で、俺は見えない壁にぶちあたった。
痛くはない。弟の心遣いだ。ぼよんと弾き返されてたたらを踏む。
風を使っているのだろう。ありえない歩幅でやってきた双子の弟は、俺の両肩を、むんずと掴んだ。
「あの牛の乳女。あれが好きなの。結婚するの。どうするの」
「あの女呼ばわりしない。国賓だから。な?」
「国王名代って名の見合いだろ! やだやだやだ、絶対反対、あんな女より俺のほうがいいだろう? そうだろう?」
がくがくとゆさぶられ、やめてくれと弟の肩を叩く。
「あのな、政略結婚は王族の務めだから。それに、俺たち兄弟だから。しかも男同士だから」
「そんなの知ってる。俺たち血がつながってるもんね! 兄さんは俺の兄さんだもんね!」
がばりと抱きつかれて、俺は疲れた表情になるのを止められなかった。
前世、あの『場』の中で力に還元してしまった俺たちは、ありがたいことに、人へと転生した。
アナローズ姫の産んだ双子の王子として。
自分の子供が自分とか、自分の妻が母親とか、それもかなりアレだったが、最大の問題は弟、前世と同じにルシアンと名付けられた、元『劫火の魔人』だった。
奴の前世の執着は、成長するほどに兄弟愛が混ざって、今ではかなり鬱陶しいものに成り果てている。
城内では弟王子の兄好きぶりは周知の事実で、仲良きことはうつくしきかなと、生温く見守られていた。
「兄さん、政略結婚なんてしなくていいよ。俺がぜーんぶ燃やしてやるから。心配しないで。ね?」
ルシアンの感情に触発されて、ぼぼぼぼ、と不吉な音をたてて、火の玉がまわりに浮かび始める。
世界の真理に触れた俺らは、魔法陣やら詠唱やらの触媒がなくても、直接魔法を展開できるようになっていた。
「燃やすな、バカ。あの姫は友好国の国王名代だぞ。それを殺して、俺が命をかけて守った国を戦禍にさらしてみろ。おまえなんて、永遠に無視してやる」
「や、やだっ、やんないっ、やんないからっ、無視しないでっ」
首を絞めんばかりに、ぎうぎうしがみつく弟の背中を、俺は、よしよしと叩いた。
「俺だっておまえを無視したくないよ。だから、頼む。何かする時は、まず俺に相談してくれ」
「うん。わかったよ。ブラッドに相談する」
俺は溜息まじりの苦笑をこぼした。
「それに、姫の意中のお相手はおまえだ。あることないこと、おまえのいいところを吹き込んでおいたから、庭園をエスコートしてこい」
「えー、やだー」
「い・い・か・ら、し・て・こ・い」
あくまで目は笑わず、唇の端だけ引き上げて、すごんでみせた。
「いいか、ネニャフル王国の王族として、くれぐれも失礼のないように。それから、『英雄ブラッド』の名も汚すなよ」
「じゃあ、今日は一緒に寝てもいい?」
俺の頬は一瞬ひきつった。14にもなって、なぜ一緒のベッドで寝なければならない!?
だが、ここであの姫に猛アタックしてもらって、この弟を落としてもらわない限り、自分のベッド生活が、下手すると一生涯猛烈に寂しいものになる。
よくよくメリットとデメリットを考えた末、俺は頷いた。
「わかった。今日だけな」
「やった!」
ルシアンは文字通り飛び上がって喜んだ。
「俺、どうせなら妹に生まれたかったな。姉でもよかったけど」
恐ろしいことを言う弟を思わず突き放し、俺は弟の体をぐるりと向こうへ向けて、背中を押した。
「俺は弟で満足だよ。さあ、行ってこい!!」
死んだら、また魂が交じり合って、お互いの記憶を共有するに違いない相手となんぞ、たとえ血がつながってなくても、願い下げだっっっ。
「しかたないなー。約束だからね」
母似の見目麗しい弟の流し目に、身の危険をいよいよ抱きながら、俺は遠い目をして空を見あげた。
俺、今生で女性とお付き合いとかできるんだろうか。女なしの人生なんて、冗談じゃない。寂しすぎる。
元英雄の彼の未来には、思いを馳せるまでもなく、前世以上の困難しか転がっていないのは確実だった。