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九、同衾

兄さん、大好きですよ。

 信弥と美弥は揉めていた。

 いや、正確には咲耶と美弥が揉めていた。


 話は十分ほど前にさかのぼる。

 


 信弥は風呂で一日の汗と疲れを洗い流していた。


 紆余曲折あって、彼が二人の後に風呂に入る事になった。

 彼としては、咲耶と裸と裸のお付合いをしてもよかったのだが、世の中そんなに甘くない。

 現実は厳しいのだ。


 いつもより少しお湯の減っていた浴槽に悔しさを覚えつつ、手早く体を洗う。

 



 信弥は濡れた髪をタオルでガシガシ拭きながら、リビングへと戻ってきた。


「おかえりなさい、兄さん。お湯加減はいかがでしたか? いつもより残ってるお湯が少なかったかもしれません……。大丈夫でしたか?」

「悲しみの涙と深い絶望に肩までゆっくりと浸ることができたよ」


 信弥は悲しみに打ちひしがれている。


「……?」


 美弥はいつもの白い布地に赤いチェックの柄が入った、特徴が無いことが特徴のパジャマ。

 だが良く出来た妹が着たパジャマというのは、それだけで理屈ではない超自然的な価値がでてくる物なのである。


 それはそうと、もう一方のちびっ子が着ているあれはなんだ? 


 ぶかぶかのYシャツ、だと……。

 似合いすぎだろ……。


 まさか美弥がこのようなチョイスをしてくるとは。

 よく解っていらっしゃるじゃないですか。


 リビングのソファーで大人しく座っている咲耶の、しっとりと流れる絹糸のような銀の髪を、美弥は丁寧にくしですいていた。

 春の夜陰に少しだけひんやりとした静かな空気の中、髪から伝わる美弥の暖かさを感じてか、咲耶はこくりこくと舟をこいでいる。


 信弥はそんな二人を横目に見て、冷蔵庫からよく冷えたじゅわじゅわ泡の出ているアレを取りだした。

 コップに注ぎ込んだソレを、風呂あがりの熱く火照った体に流しこむ。


「――んぐ、――んぐ、――ンぷはぁ!」


 弾けるような快感が喉奥を突きぬけて暴れまわる。

 生き返るとはまさにこのことだ。


「もう、兄さんったら、だらしないです。もう少し上品に飲んでください」


 しょうがないですね、といった感じの妹の意見はもっともであるが、こういうのはなかなか止められなかった。


 兄妹のいつものやりとりで目を覚ましたお姫様。

 信弥の姿を確認すると、彼に近より、体にしなを作り言った。


「どうじゃあ信弥よぉ。高貴なるわらわの美しくもあでやかなこの姿は」


 どう、って……。

 その流し目が痛々しいです。

 うっふんとか、あっはんとかされて、信弥は正直反応に困っていた。

 もう少し大人になってから……ん?


 咲耶が前かがみになり、頭部とヒザに手を当てながら胸部の洗濯板を強調していた時。


 彼は気づいてしまった。


 ぶかぶかの白い聖衣の襟元えりもとからのぞく、小さな桜の花びらを。


「お、おおぉ。……か、かわいいんじゃないかな……」


 嘘は言っていない。

 声がちょっとだけ上ずっている。


「む~~ん。そーではない。わらわがかわゆいのは解りきっておるのじゃ。今は我にこーふんするのかと聞いておるのだ」

「……す、するする。こーふんしちゃうかな~~」

「おお! そうかそうか。では思うぞんぶんわらわで楽しむがよいのじゃ。――ほれ、――それ、――これでどうじゃ。こんなのもあるぞ」 


 のりのりでくねくねする咲耶を上から覗きこむようにさりげなく、ごくさりげなく移動する信弥の行動に対して、敏感に何かを感じとった美弥が待ったをかけた。


「咲耶さん。明日は朝から学園に行かなくてはいけないのですからもう寝ましょうか」


 チッ! と心の中で舌打ちをする信弥。


 さすが、よく出来た妹は勘も鋭い。


「そうか。でわ信弥よ、そなたのとこに案内するのじゃ。わらわもそこで寝ようぞ」


 一瞬何を言われているのか理解できなかった信弥。

 まだそんなイベントも残っていたのだ。


 彼も咲耶とおねんねしたいと心から思った。別に変な意味じゃなくて。

 でも、東條家において、物事を決定するのは彼ではなかった。


 だが、しかし、男には行けねばならぬ時があるのだ!


「そうだね、一緒に寝ようか。ついておいで咲耶」

「うむ!」



「……兄さん?」



 いつも誰にでも分け隔てなく向けられる柔らかな微笑み。

 人の心の中にするっと入っていく、そんな笑顔をしている美弥の、そんな彼女の目は、――笑っていなかった。


「ウソデス、チョウシニノリマシタ」

「はい。兄さんは冗談が上手いです。咲耶さん、今晩は私と一緒に寝ましょうね」

「えーー、今しがた一緒に寝るって約束したのじゃ」

「だめです。咲耶さんを兄さんに預けるわけにはいきません」

「いやじゃ!一緒に寝るのだ」

「いけません。兄さん、いいかげんにしてください」

「何で俺が……」

「元はといえば兄さんが――」

「信弥と一緒に寝るのじゃ!」 

 


 こんな感じであった。


 信弥はこうみえて聞き分けがいい。

 ちゃんと判っていた。

 すこしだけ調子に乗ってしまったが、もう許してほしかった。

 これ以上美弥の心象を悪くするとなにが起こるか判ったものじゃない。

 信弥だけ朝ごはんが無い、くらいが無難であろうか。


「咲耶、今日は美弥と一緒に寝るんだ」

「むぅーーん。信弥までそう言うのか」

「兄さんもそう言っています。行きますよ咲耶さん」

「んむぅ」


 しぶしぶといった様子で咲耶はドナドナされていった。


 信弥はホッと胸をなでおろした。

 美弥のあの様子から察するに、あしたの朝飯は無事であろう。口は災いの元とはよく言ったものだ。


 しかし桜の花びらが見えてしまったのは役得だったな。

 下着がないのは仕方ないか。

 ……ん? 上は無かったのは確認したが下はどうだったんだろう。

 も、もしかして……。


 ――な、なんてな~~。

 まさかそんなことがあるわけが、ない、よな?


 さて……、俺もそろそろ寝ようか。


 今日はいろいろあった。

 魔王がいきなり現れて、俺のご先祖様が勇者で、世界征服だ。

 親父とお袋は急に海外旅行に行ったし、臨死体験もしたっけな。あれは衝撃的だった。


 だがこんな日常も悪くない。

 咲耶とならこれからも楽しくやっていけるだろう。

 たぶん……。


 信弥は先に階段を上がった二人の後を追いかけるように、二階の自室へと向かう。


 そこには、彼の部屋の前に仁王立ちした美弥がいた。

 その表情は闇に融けこむようにしてうかがい知ることは出来ない。


「兄さん。いったいあれはどういう事なんでしょうか。納得のいく説明をおねがいします……」


 美弥が指差すのは、二階の物置。

 そこは、信弥が和室の荷物を運んだ場所だった。


 うながされるまま、彼が物置の中を覗き込む。

 ダンボールの中身がそこらじゅうに散乱して、それはもうひどい有様だった。


「たしかに和室の荷物整理をおねがいしました。でもこんなに乱暴に扱うなんて見損ないましたよ、兄さん」

「え……、でも確かにしっかりと積み上げておいたはずなのに」


 そこまで言ってから、信弥は嫌な予感がして、床に転がっている中身がまだ出ていないダンボールの重さを確認してみた。


「――ッ!」


 重い。

 いやいや、本来ならそれが正常であるべきだが、これは魔王さくやの御業によって軽くなったはずじゃ。


 信弥と咲耶はただ運ぶだけではつまらないので、途中からは箱を投げて遊びながら運んだり、物置の中でどれだけ高く積めるか咲耶と競いあったりした。

 もちろん身長のある信弥の圧勝だったが。

 いやいや、今はそんなことよりこの惨事がいったいどういうことなのか。


 そこで信弥は、美弥の部屋から顔だけ出して様子を覗いている共犯者を見つけた。


「すまんの信弥よ。あれは時がくれば元に戻るのじゃが、言い忘れておったわ」


 〈――パタン〉


 言い終わると、静かに部屋のドアを閉め、それっきりだった。


 裏切りやがった……。さすが魔王だ。こんなに汚い奴だとは思わなかった。


 だが、美弥にそんな事情は一切通じない。


「咲耶さんも悪いかもしれませんが、これはちゃんと確認しなかった兄さんの責任です。後片付けが終わるまで寝てはいけませんよ! いいですね、兄さん」

「え、あ、あの、ちょ……」 


 言い訳する間もなく部屋に戻った美弥。


 その表情は最後まで分らなかった。


 明日の朝飯、信弥の分はあるのだろうか。

 


 ――咲耶さんは私のベットの中で丸くなっていました。


 私もその可愛い魔王さんの隣にお邪魔します。


 彼女はじっとして動きません。

 きっと怒られると思っているのかもしれませんね。


 でも、私はこらえていた笑いをこれ以上隠し切れませんでした。


「うふふふ、あははは」


 彼女はようやくこちらを振り返り、私の顔色をうかがいます。

 笑っている私を見て、咲耶さんは正直に話してくれました。


「あれはわらわが信弥と一緒にやったことなのだ。わらわも悪かったのだ」


 半分泣きながら告白する彼女が可愛いので、ついつい頭を撫でてしまいます。


「話していただきありがとうございます。初めから判っていましたよ。でも兄さんにはお仕置きが必要なんです。これにりて反省するといいんです」


 私が怒ってないことがわかると、彼女はお布団の中をもぞもぞとこちらに移動してきました。

 抱きしめられてしまいます。


「……暖かい。こうしていると昔を思い出すのじゃ。美弥よ、今日はずっとこうしていてもよいか?」

「はい。わたしもなんだか懐かしい感じがします。今日はいっぱい甘えてください」

「うむぅ…………」


 私の胸の中で眠る小さな魔王さん。

 可愛らしい寝顔をこちらに向けてすやすやと寝入ってしまいました。

 私もこの子の寝顔を見ていると安心してしまいます。


 物置からは兄さんの後片付けの音がわずかに聞こえてきます。

 あれだけ散らかっていたのにぜんぜん音がしてこないのは、兄さんが気を使ってくれているからなのでしょう。


 少し可愛そうなことをしてしまいました。

 でも兄さんは甘い顔をするとすぐに付け上がってしまいますので、このくらいがちょうどいいのかもしれません。


 なんだかんだ言いつつ、優しくて素敵な――自慢の兄さんです。


 おやすみなさい。兄さん、咲耶さん。

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