七、征服のススメ
魔王より美弥さんの方が怖いです。
兄妹は思う存分「あ~~ん」させてもらった。
あれだけあった料理も三人のお腹の中に消えてしまい、わずかに残った分をちびちびとやっている。
お腹をぱんぱんに膨らませた我が家の魔王は椅子にだらしなく座って、満足げな表情を浮かべながら、ぐったりとしていた。
あの後、さすがにやりすぎたと反省した二人。
平謝りしてると、根負けした咲耶が『無理に食べさせない』という条件付きで、また「あ~~ん」をしてもよいと言ってくれた。
なんだかんだで彼女も「あ~~ん」が好きなのではないだろうか。
その証拠に、残ったから揚げを目の前にもっていくと、彼女は嬉々とした表情で飛びついてきた。
にこにことした顔をして、もぐもぐしてから、ゴックンと飲みこむ。
その後、彼女は「うぅ~~」としんどそうな呻き声をあげて、お腹をかかえて先ほどよりますます青い顔をして、よけいにぐったりとした。
美弥はそんな咲耶を嬉しそうに眺めている。
「のぉ~~しんやぁ~~」
「どうした? まだ何か食べたいものがあるのか?」
「たしかに美弥の料理はうまいが、今はもうよい。それよりも、透明で冷たい飴の入った飲みものと、世界が欲しいかのぉ~~」
学園で言っていたアレだ。
けれども、一口に世界征服といっても、お菓子を買ったついでに付いてくる食玩のようなノリで世界は手にはいらない。
「『見返す』とか言ってたけど……、具体的に何をどうしたいんだ」
「うむ、よくぞ聞いてくれた」
待ってましたと言わんばかりの勢いで、咲耶は話を続ける。
「まだ魔王達が現世を統べていた頃の話じゃ。わらわは四つの島からなるこの大和の半分を統べる魔王じゃった……」
「え~~」
思わず疑問の声が口をついて出た。
「う、うるしゃい! ――コホン。ともかくあの頃は他の魔王もわらわの強大な力に恐れをなして、手を出すどころかわらわに足を向けて寝ることもできなかったのじゃ。じゃから奴らを見返し、力を誇示するためにてっとりばやく世界征服するのだ!」
言い張る咲耶だったが、半分とか足を向けての部分はかなり怪しいところである。
「はい咲耶さん。氷の入った飲みものです」
先ほどの要求の片方を、これで満たしことになる。
魔王様に捧げられた飲みものからは、じゅわじゅわと泡が吹きだしていた。
あれは冷蔵庫に入っていた○イダーだと思う。
熱くもないのに泡が出ている不思議な水に、咲耶は身を乗りだしてひどく興奮している。
美弥はこのあと起こるであろう出来事に息を荒くして、期待の眼差しを向けている。
ごっく、
「ぎゃあぁぁぁあ!」
――そんな咲耶を尻目に、信弥は和室での一件を思いだしていた。
咲耶の不思議な柏手と、それによって起こった魔王の御業。
口からサ○ダーを吐きだし、悲鳴をあげて部屋の中を走りまわってる彼女がその気になれば、俺の知っている人間の世界を征服するという漠然とした内容の夢物語でも、現実のものとなってしまうかもしれない。もしかしたら、俺が咲耶に冗談のように言った一言で、世界が滅ぶ。
自覚してしまった信弥は、ちょっとだけ怖くなってしまう。
だが、ひぃひぃ言いながら戻ってきた彼女を見てしまうと、そんな考えは杞憂だったかもしれない。
そう思えてしまう。
しかしながら、一連の騒動を悦とした表情で見ている美弥だけは怒らせちゃいけないと確信した。
「ぬゎんじゃこれは! 口が焼けてしまったかと思ったぞ!」
「サイ○ーってのはそういう飲み物なんだよ。慣れるとそれが癖になったりするんだ」
「もう大袈裟ですよ、咲耶さん。そうだ、今度はこれを使ってみたらどうでしょう」
そう言って取り出したるはストロー。
サイダ○のコップに入れると、氷が心地いい音を響かせた。
「なんじゃこれは?」
「これを吸うとですね、なんとその下の飲み物を飲むことができるんです」
咲耶は先ほどの失態を払拭するかのように、無駄に尊大な態度で言う。
「ふふふ……、美弥よ。いくらわらわが現世に疎いからというても、そのような世迷言を信じる訳がなかろう。大方、いたいけなわらわをからかおうという魂胆なのであろうが、……よろしい。そのような絵空事など無いことを、我が身をもって証明してやろうではないか」
自ら断頭台に立った彼女は、神妙な面持ちでストローに口をつけ、――思いきり吸った。
「ぎゅあぁぁぁああ!」
一切の遠慮なしに吸いあげられた冷酷な炭酸は口内の奥深くまで侵食し、その幼い柔肉に執拗なまでに鋭い刺激を与える。
「ああああああ!」
いたいけな子羊は痛みの矛先を求め、無自覚に彷徨いだす。
「おぉぉぉぉおっ――、っ!」
逃避行を続ける爪先が、立ち塞がる壁に激突する。
「ふんぎゅあ、へぶちっ」
這い上がってくる雷の如き衝撃に、制御を失った幼体は無様に地を這った。
「ひぎゅ、ひぎゅ、ひぎゅ、――」
もはや絶え間なく押し寄せる鈍痛を耐え忍ぶしかない。
つまり、ストローで思いきり吸った炭酸に驚いて暴れまわり、足の小指をぶつけた拍子に転んでしまったのだ。
さすがにこれは同情せざるを得ない。
そんな原因を作った張本人である美弥は、聖母のような慈愛でもって、悲劇の魔王に優しく手を差し伸べた。
「――咲耶さん、痛かったですよね、苦しかったですよね。でも、もう大丈夫です」
「みやぁ、うわわわぁぁぁぁん」
ぴったり抱き合って労わり合う二人。
悲しんでるいる咲耶に、嬉しそうな美弥。
これじゃどちらが魔王だか判らなくなってきそうだ。
ぐずぐず泣いている子羊に、聖母美弥が頭を撫でながら、さらに優しく仄めかす。
「痛いのは治りましたか?」
「うん。ありがとうみやぁ。おぬしのおかげなのじゃ」
いや、そもそも事の発端は……。信弥は口を挟めない。
「咲耶さんも人にいっぱい感謝されるような、立派な魔王様になりましょうね」
「そ、そうしたら、わらわはこんな辛い目に遇わずに済むのじゃろうか……?」
「もちろんです。そうなったらみなさん咲耶さんのことを可愛がって、世界征服だって出来てしまうかもしれませんよ」
咲耶の頭上では、豆電球が光り輝いた。
「――っ! わかったのじゃ……。わらわの進むべき道が、見えた気がするのじゃ……」
果てしなく険しそうな道だった。
「どうやったら立派な魔王になれるんだ?」
信弥はため息混じりに聞いてみる。
「兄さん、ボランティア部なんてどうでしょう?」
「なんなのじゃ? それは」
「世の為、人の為になる事をする所ですよ」
こうして、ボランティアで世界征服への幕が切って落とされたのであった。