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六、戦慄の、あ~~ん

もぐもぐ……、もぐもぐ……。

 テーブルに座った咲耶は、今か今かとそわそわしていた。


 台所から次から次へと運ばれてくる我が妹お手製の色鮮やかな料理。 

 ご飯にお味噌汁から始まり、おひたし、厚焼き玉子、お刺身、天ぷら、鳥のから揚げ、ハンバーグにポテトサラダ。


 香ばしくも甘い匂いが食欲をかきたてる。


「ずいぶんと豪華な夕食だな」

「今日は家族が増えた記念すべき日ですから、奮発してしまいました。咲耶さんのお口にあうと嬉しいのですけど」


 当の本人は、眼前の料理をギラギラとした目つきで食い入るように見ていた。


 何事かを尋ねられたことに気付いた咲耶は、白く長い袖で口元をごしごしとぬぐってから答える。


「うむ、くるしゅうない。して美弥よ、これは全部食べてもよいのか……?」

「もちろんですよ。待ちきれないみたいですので、いただきましょうか。咲耶さん、お腹いっぱい食べてくださいね」


 「いただきます」と皆で手を合わせる。


 よく出来た妹の手料理ほど旨いものはない。


 甘くて絶妙な塩加減のふわふわな玉子に、甘辛く揚がったジューシーなから揚げ。

 やわらかくて中までしっかりと火の通ったハンバーグは、箸を入れると肉汁があふれ出てきた。


 カチャカチャと食器を鳴らす音が響いてた。

 咲耶がその小さな手で箸を使って食べ物を口へかきこんでいる。


 こぼれて散らかり世辞にもお上品とはいえない。 


 その様子を見かねた美弥は、食器棚からあるものを持ってきた。


「咲耶さん、これを使って食べてみてはどうでしょうか」


 いわゆる先割れスプーンというやつを勧める。取っ手がプラスチック製で扱いやすそうだ。


「それはなんじゃ、旨いのか?」

「これはお箸の代わりに使います。食べやすいと思いますから使ってみてください」


 素直に受けとる咲耶。

 いぶかしげにスプーンを見たあと、おもむろにその鉄の塊にかぶりついた。


 ――ガリッ。

 かぶりついたままの格好で動かなくなってしまった。


 その一部始終を目撃した信弥は思わず口の中のものを噴き出しそうになる。


「ゴハッ、ゴハッ。な、なにやってるんだよ咲耶。……くっくっ、はははははっ」 


 咲耶は耳まで真っ赤にしながら下を向いて、必死に何かを耐えている。

 さすがの美弥も、これには口元を隠してくすくすと笑っていた。


 咲耶は遠慮なく笑っていた信弥をむすっとした表情で睨みつける。

 その後、何事もなかったかのようにスプーンでハンバーグを乱暴にぶつ切りにしてご飯といっしょに口に運んだ。


「咲耶さん私が食べさせてあげましょうか。はい、あ~~んしてください」

「……」


 美弥は箸で摘んだ玉子を差し出すが、咲耶はそれを知らんぷりする。

 負けじと玉子を頬につんつんと当て続ける。

 たまらず、


「よい、食事くらい一人でできるのだ。おい、こら、よさぬか」


 お冠な咲耶。


「私のお料理は、お口には合わなかったでしょうか……」


 美弥は肩を落として下を向き、ずいぶんとわざとらしく残念そうに振舞う。


「べ、別に不味いなどとは言っておらぬではないか……。むむぅ、しょうがないの。い、一回だけじゃからな」


 その言葉を聞いた美弥は、玉子を再度お口の前へ持っていく。

 咲耶はまるで親鳥に餌をねだる雛鳥のように首をのばす。


 ちまっとしたお手手を下に広げて、くりっとしたお目目を閉じ、ぷにゅりっとしたお口を広げ、にょろっとした眉をひくつかせ、ふさぁっとした髪をなびかせ、ぷにぷにっとしたほっぺを僅かに赤く染めながら、


 ――「あ~~むぅ」


 ちまっとしたお手手をほっぺに当て、くりっとしたお目目を細め、ぷにゅりっとしたお口を閉じ、にょろっとした眉を緩ませ、ふさぁっとした髪を戻し、ぷにぷにっとしたほっぺを僅かに膨らませながら、


 もぐもぐ……、もぐもぐ……。


 玉子を与えた美弥に衝撃が走った! 

 「あ~~ん」する咲耶が狂おしい程にめんこいのだ。

 信弥もその庇護欲あふれる光景に、ただ心を奪われていた。


 天真爛漫なこの姿を拝した全ての者は己という矮小な存在を自覚して、彼女にさらなる供物を奉納することになる。


 咀嚼する命と生産に携わった人全てに感謝を表現した「もぐもぐ」はやがて天へと昇り、世界を幸福と安寧に導くだろう。


 彼女の手は全てを包み込む掌であった。また、彼女のお目目は全てを見通してきた眼であった。そして、彼女の口は全てを愛した唇であった。さらに、彼女の眉は全てを支えた柳眉であった。おまけに、彼女の髪は全てを変えた頭髪であった。最後に、彼女のほっぺは全てを守った頬であった。


 命を紡ぐ、単純そうでいて、過酷な連鎖。

 そんな食事という行為でさえ、彼女にとっては全てを赦すという事なのかもしれない。


 彼女のひと噛みで人々は笑顔を取り戻し、彼女のふた噛みで人々は幸せになる。

 彼女が口の中の物を全て呑み込む頃には、世界に平和が訪れているはずだ。


 つまり、咲耶のあまりにも可愛らしい仕草に放心してしまった美弥。

 意識を取り戻すと、今度は贅沢にもエビフライを雛鳥に向かって差し出した。


「はい咲耶さん。今度はエビフライです。あ~~ん、してください。あ~~ん」

「い、一回だけと、言うたではないか……。これで最後じゃからな」


 ――「あ~~んぅ。あむぅ、あむぅ」


 もぐもぐ……、もぐもぐ……、もぐもぐ……。


 まんざらでもない様子の咲耶は、差し出された餌を小さなお口でぱくつく。

 長細いエビフライは彼女がついばむ姿を長く見せてくれた。


 美弥は頬に手を当てて、うっとりしながらその様子に見蕩みとれている。

 彼女の箸には、既に次の料理がスタンバイしていた。


 ――「あ~~むん」


 もぐもぐ……、もぐもく……、――ゴックン。


「も、もうこれで、もぐもぐ……さ、さいごじゃから」


 ――「あ~~む」


 もぐもぐ……。


 なんだかんだ言いつつも律儀りちぎに美弥の「あ~~ん」に答える。


 もぐもぐ……、もぐもぐ……。


 ――「あ~~ん」


「も……、もう。もぐもぐ……。ちょ、ちょと、もぐもぐ……、ま、待っ……」

「はい、どうぞ。あ~~んしてください」


 咲耶は差し出されたから揚げを頬張ってから、たまらず席を立つ。

 信弥に走り寄り、美弥から隠れるようにしてすがる。


「もぐもぐ……、もう、もぐもぐ……、ゴックン。よ、よさぬか。もぐもぐ……。なあ信弥、そなたからも、もぐもぐ……なにか、言うてやるのじゃ。もぐもぐ……」


 口からえびの尻尾を出している雛鳥が、もぐもぐと親鳥に向かって威嚇する。

 助けを求められたが、信弥はこの誘惑に勝てなかった。


「咲耶……。はい、あ~~ん」



「――っ!」



 呆然と立ち尽くしている咲耶。

 信じていた信弥に裏切られて、絶望のどん底に落ちている。

 この場に、彼女の味方は居なかったのだ。



 しばらく動けなかった咲耶。

 我に返ると、再度お口をもぐもぐしだす。


 ――ゴックン。


 そして、観念したかのように差し出されたハンバーグにかぶりついた。


「もぐもぐ……、もぐもぐ……。――ゴックン。こ、これでよいのじゃろ……」


 涙目になりながらもぐもぐする咲耶は、とても可愛かった。

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