三、魔王
世界征服、なのじゃ
遥か昔、人間と魔物は共存していました
魔物とは、多種多様な種族を含む、力を持つ者の象徴
神、天使、悪魔、幻獣、妖精、ある地方ではドラゴン、ヴァンパイア、妖怪
その中でも、人には為しえない御業を起こす存在で、特に強い魔物を――魔王と呼んだ
彼らは良き隣人であった
しかし時を重ねるにつれ、人間はマ物の持つ力を恐れるようになる
そして、人間たちはマ物の討伐を決める
力ある人間――勇者の活躍もあって、マ物を常世へ還した
昔の大和で
力の強いマ王が、東と西、南、北に分かれて暮らしていたはずだ
彼らは自ら常世へ還った
だが、東のマ王は最後まで還らなかった
このマ王はあまりの強い力ゆえに常世へ還ることができなからしい
時の勇者――東比之守は、マ王の力の源である肉体と精神ではなく、マ王の心を封じて、常世に還したのでした。
マ王の歴史 その1
生徒が闊歩する学園において、唯一犯すことの出来ない神域。
それがここ、職員室だ。
生徒達が占有する教室とは明らかに異質な空気のここは、呼び出された生徒を静かに威圧する。
そして、先ほどの放送で信弥一行を呼びだしたのは、二学年副主任である秦宮真理子先生である。
抜群のプロポーションと端麗な顔の持ち主で、型破りな性格ではあるが生徒達からの信頼は厚く、人気が高い先生だ。
呼び出された信弥たちが職員室に入るなり、秦宮先生から渡されたその紙。
裏に英語の問題が書かれたプリントを再利用した、手書きのパンフレットである。
後半になるにつれ、だんだんと雑になっていくのは仕方ないのだろう。
書類が乱雑に積まれている机の椅子にどかりと座りこんでいる秦宮先生は、すらりと長い足を組みかえて、めんどくさそうに言う。
「読み終えたかい? そういうわけで、その子は魔王なんだ。よろしくしてやってくれ」
「よろしくと言われても……。魔王が復活って世界規模でやばい感じがしませんか? なんとなくですけど……」
「そういう魔王も居るかもしれないな。でもその子は大丈夫だろう。それに弱い魔物――君たちが思うところの悪魔だとか妖怪なんかは現世に結構居るんだよ。世間にはあまり知られてないかもしれないがね」
秦宮先生が天のなんとか――咲耶と名乗った少女に視線を向けようとすが、彼女は信弥の後ろに隠れてしまっているので結果的に彼を見ることになっている。
こんな子が魔王だなんて信じろというほうが無理である。
魔王として、圧倒的に何かが足りない。
「魔王クラスの魔物だってちょくちょく現世に来てるよ。今は西の魔王――稲荷神が遊びに来てるんじゃないかな」
その名前が出た瞬間、信弥の背中に引っ付いていた魔王がガタガタと震え上がった。
信弥は困ったように腕を掲げげて、秦宮先生を見やる。
「心配しなくても、昔は仲良く暮らしていたんだ。早々めったなことは起こらないよ」
とりあえず世界が滅亡するとか、そういうわけではないらしい。
「神様でも魔王とよばれる理由はなんとなくですが理解できました。でも勇者って何かおかしな感じがしませんか?」
「魔物や魔王、勇者ってのは世界中にいるんだ。グローバル化の波に乗って、国際規格を決めて日本語訳にすると勇者だったんだ。あきらめろ」
「はぁ…………」
「それで、ここからが本題なのだが」
秦宮先生はダルそうにしていた顔を少しだけ真面目にして、
「天白羽神玖珂院咲耶之姫様はそのパンフにも書いてある通りちょっとばかし特殊でね。魔王なのに幼く感じるのは封印のせいだろう。それをあんたが解いちゃったんだろうね」
「でも俺、封印なんて言われても……。何がなんだかさっぱりです」
本当に心当たりが無い信弥はちんぷんかんぷんだ。
「それは、そこの魔王様にお伺いしてみるのがいいんじゃないのかな」
「聞いていたか? 咲耶の封印ってどんな物だったんだ?」
信弥は足元でマーキングしている猫のようにうろちょろしていた咲耶に訊ねた。
「われを封じた呪術を解くには三つの要素が必要であった。一つは東の血族であること。一つは慈愛の心。一つは相手を思いやるものと、頭を撫でるときの言霊じゃ。わらわが現世に再び参る時に『味方になってくれる者が必ず居るように』と、東がはからってくれたのじゃ」
確かにあの時、信弥は慈愛の心で美弥に「大丈夫?」と声をかけ、彼女の頭を撫でてはいた。
「素敵なお話ですね」
いままで話の流れを見守っていた美弥が言った。
「……なるほどね。本来この東武学園は、咲耶様を見守るためにできたんだよ。私はその現管理人みたいなもん。当時としては追い出す形になってしまったが……。現世と常世の交流は続いてるの。封印の解き方が分からなかったから、咲耶様を現世にお呼びする事ができなかったんだよ」
秦宮先生は複雑そうな顔をして、咲耶を見つめていた。
「それにしても、天白羽神様はけっこう上位で取り扱い注意な魔王様なんだけど。どうしてこんなに内気なのかしら?」
確かにこのままだと魔王としての体裁が悪いので、世間様を騒がせない程度に改善の必要があるのかもしれない。
そう感じた信弥は咲耶に問いかける。
「咲耶、どうしてなんだ?」
「常世でみんなでわらわに意地悪するのじゃ。いやだって言ってるのに離してくれないし、あちこっちさわってくるし、むりやりご飯たべさせられたり。なにかにつけてわらわをいじくりたおすのじゃ。もう嫌なのじゃ……。わ、わらわにも人権というものがあるのだ。それに――」
言っているうちに、だんだん目に涙を浮かべていく。
これだけ聞くとなんとなく卑猥に聞こえてしまうが、決してそういうことではない。注意してほしい。
魔王は腕をぶんぶん振りまわして必死に訴えている。
かわいがる気持ちも分からなくもないが……。
思いの丈をぶつけ終えた咲耶はすごすごと信弥の背中に隠れてしまった。
「なるほどね、つまり……」
秦宮先生は咲耶の話をまとめる。この時信弥は、すさまじく嫌な予感がした。
「この魔王様は、いじめられてこんな性格になってしまったらしい」
「…………」「……っ!……」「…………」「…………」
まるでモノクロカメラで撮られた写真のように、世界が停止している。
言いにくいことを本人に向かってド直球で言った秦宮先生は悪びれもせずしれっとした顔でいる。
一方の信弥は張り付いた笑顔を浮かべていた。
咲耶はそんな彼の制服の袖をつかんで固まったように動かない。
身動きをとることは許されないだろう。
動いたら最後、威厳や自尊心などといった魔王を構成するイメージ的な何かがシュレッダーで細かく裁断されてしまうに違いない。
――この沈黙を破ったのは、意外にも咲耶自身だった。
信弥の袖をぐいぐいひっぱりながら言う。
「……せいふく。せ、世界征服じゃ。あやつらを見返すには……、この地をわらわのもにするしかないのだ! 信弥もわれの右腕となり、存分にその腕振るうとよかろう。期待しておるぞ。な? よいじゃろ……?」
信弥の予感はこんなときだけ隣の的に見事命中し、取り扱い注意の魔王に世界征服を宣言させてしまった。
さらに、それを信弥に手伝えと言っている。
というか、お願いされている。
だがこの子が彼の背中に隠れているうちは、世界は平和なままだろう。
魔王の宣言を完全にスルーの秦宮先生は、思い出したようにハッとした表情をして、
「東條、一番大事なことを言い忘れていたよ。咲耶様は今日からあなた達の家で暮らすことになったから。ついでに明日から信弥君と同じクラスで授業を受けてもらうことになると思う」
「はぁ?」
何事かと思えば、信弥はあまりの突拍子の無い話に思わずタメ口になってしまった。
秦宮先生はそんなことなど意に介さずに、
「咲耶様も信弥君に懐いているみたいだし、現世に慣れてもらうには丁度いいじゃないか。……なんだい。親御さんから魔王について、本当に何も聞かされてないみたいだね」