十九、ぼらんてぃあぶ♪始動
人が入った不思議な箱で
乱雑に掃除ロッカーに入れられた箒というのは、先がオサレな靴みたいにくるりんとしている。
ちゃんと釣って保管しないからこんなことになってしまうんだ。
と、信弥は心にも埃にも波風立てなそうな箒を手にとり、黒板があるほうから個人ロッカーが並ぶ教室の後ろへ、順序よく掃いてゆく。
ふだんは五~六人でやるこの作業も、一人+魔王様だと埃が思うようにまとまらず、意外に時間がかかっているようだ。
集会を一人教室でサボっていた罰としては、この程度で済んだのは幸運なのだろう。
最近できた黒い噂はともかくとして、信弥は普段まじめな生徒で通しているのだから、当然といえば当然ともいえる。
「東條君、やっぱり私も手伝おうか?」
信弥が孤軍奮闘しているのを黙って見ていた詩織が話しかけた。
「いやいや、詩織さんにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないよ」
信弥は先程、鬼のような形相の先生を諌めてくれた詩織に頭が上がらなかった。
「そんなの気にすることないのに。それに今朝だって、お昼休みにだって、ちゃんと言ってあげれなかった私にも責任あると思うし」
「それこそ俺の不注意だよ。いろいろ不幸な偶然が重なってしまったんだ」
「そうは言ってもねぇ……」
詩織は立ち上がると、ひざを曲げずに柔らかな体を前屈させて、指先を床の上で滑らせた。
すくった指に眉をひそめて、それを信弥に見せ付けるようにしながら高飛車に言う。
「ほおぉぁぅら、指先についているのは何? こんなに埃が溜まっていてよぉ」
詩織の高圧的で見下すような目には、ご飯は柔らかめに炊いて味噌は赤、食後は熱すぎない番茶、という口うるさい姑の魂が乗り移っていた。
信弥は今までの詩織の認識を改めることにした。
委員長なんぞに立候補するくらいの堅物なイメージを持っていたのだが、屋上での会話といいこの熱演といい、けっこう気さくな性格なのかもしれない。
「いまから嫁いびりの練習でもしてるのかよ」
「いやあね、冗談よ。……でも本当に手伝ったほうがいいとは思うの」
演技派の詩織は胸の前で小さく指差した。
その指が示した先では咲耶が足を肩幅に開き、両手で箒の柄の先端を持ち、肩に担いで溜めた後、地面に向かって振り子のような軌道を描いて、スイング!
豪快なゴルフドライバーを決めていた。
すがすがしいショットを放って遠くを見つめる彼女の目には、遙か彼方まで飛んでいくナニカが映っている……、わけがない。
せいぜい教室の天井か、ぶら下がってる蛍光灯だ。
誰に教わったのか、はたまた閃いてしまったのか。
信弥は三途の川原で石積みさせられていたような気分になった。
「ふふふ、ね?」
詩織は手を後ろで組んで、肩を揺らしてけらけらと笑う。
「う、うん。やっぱりお願いしちゃおうかな……」
なかなか埃が集まらかったのはこれが原因だった。
間者を見つけて援軍まで来てしまったら、この戦いは値段の高いカップラーメンの完成を待つより早く終わってしまった。
信弥は仕返しとばかりに、持っていた箒の柄で咲耶の頭を小突く。
猫が夜なべをして獲った甲虫をご主人様の寝ている枕元にそっと置き、良いことをしたと思っていたら何故だか怒られてしまった。
そんな顔をした咲耶だったが、すぐさま眩しい笑顔を信弥に向けた。
イノセントなその表情にすっかり毒気を抜かれた信弥は、小突いた頭を少しだけ乱暴に撫でてやり、笑ってごまかした。
咲耶を詩織に任せて、信弥はゴミ箱を手に集積所へ行く。
そこには学園中の知識というエキスの搾りカスが文字通り山になっていた。
信弥は空気中に漂う埃を吸い込まぬように息を止めて、ゴミ箱をひっくり返しバサバサ振って中身を出す。
信弥が教室に戻ってくると、詩織と咲耶がいちゃいつていた。
といっても、一方的にはた迷惑な愛情を向けていた詩織が、もがき苦しむ魔王を逃がさまいと抱きすくめているようにも見える。
「それじゃ、ぼらんてぃあぶ♪に行くとしますか」
信弥はいたたまれない魔王を助けるように言ってやった。
「なんでそんなにメルヘンな言い方なの?」
信弥の口調とはかけ離れた「ぼらんてぃあぶ♪」の響きに詩織は手篭めにしている魔王そっちのけで不信感をあらわにした。
「行けば分かるさ」
口の端だけを怪しく歪ませて答える信弥だった。
三人は部室へと向かう。
信弥が咲耶の手を引いて先導している。
詩織はひょこひょこ歩く咲耶を後ろから眺めながら後に続いた。
部室棟までやってきた。
立派なプレートが吊り下げられている部室を次々と横切り、蛇口が五つ並んでいるピカピカな水のみ場を過ぎて、明るく清潔感あふれるトイレを越えて。
「え……、東條君どこまで行くの?」
最奥の部屋を過ぎてから、詩織がその疑問を口にした。
〈ギュンッギ!〉
信弥が開けた扉からは、砂埃が詰まった金属板をこすり合わせた音が鳴り、一同苦虫を噛み潰したような顔をする。
この扉は、深山幽谷への入り口だ。
まだ日中だというのに建物の影はもちろんのこと、場の雰囲気からしてどんより薄暗い。
広がる雑木林には、この辺では見かけないであろうジメっとしたシダっぽい植物や、ツルが巻きつく樹が密生している。
巨大な昆虫が出てきてもなんら不自然ではない。
その光景を見た詩織は、身構えて半歩後ずさる。
「こっちさ」
信弥は大胆不敵な詩織が狼狽している姿に優越感を感じながら、
「よさぬか! わらわは行かぬぞ! これっ! ん~~!」
逃げ腰の咲耶の手を無理やり引っぱって進む。
向かう先、うすらぼんやりとさえ見えてしまうプレハブ小屋に続いているのは、黒いスノコのヴァージンロード。
悪趣味なトタン屋根のヴェールを頭上に戴く詩織は、遥香が言う「被害者」ならぬ、「生贄の花嫁」といったところだろう。
信弥はホテルのボーイがする感じで、やうやうしく手書きのプレートに手を添えながら言う。
「こちらが、ぼらんてぃあ部♪になります」
「う、うん」
詩織は扉を開ける際、嫌な音によって一層顔をしかめはしたが、諦めたようなため息をついて中へと入っていった。
信弥たちも続く。
部室には遥香が昨日と同じ位置に座っていた。
読んでいた本を机に置き、メガネフレームのフチを片手でクイッと上げて三人を見る。
「遥香、連れてきたよ。こちら俺と同じクラスの秦宮詩織さん」
「よろしくね。あなたが橘遥香さんね? お姉ちゃんのこともあるから、詩織って呼んでね」
人懐っこく詩織が自己紹介をした。遥香はメガネのレンズを通して見ている詩織に向かって言う。
「よろしく……。私も遥香って呼んでくれてかまわない」
「なんだ、知り合いなのか?」
「そういうわけではないけど、私が個人的に知ってるだけ」
信弥が椅子に腰掛けると、詩織も向かいの席にちょこんと座った。
ボランティア部の顧問が秦宮先生なのだから、あらかじめ知っていたとしてもあまりおかしくは無いかもしれないが。
と、信弥は懐疑的な目を詩織に向ける。
うやむやにしてしまいたい感じの詩織は、自ら新しい話題を振った。
「ところで東條君。どうして遥香は呼び捨てで、私はさん付けなの? なんだか私だけ距離をとられているみたいで、やだなー」
ぶりっ子が拗ねたような感じで言うが、本心からの行動ではないだろう。
「ええっ。だって昼休みにそう決めたじゃん……」
「いいから、私も呼び捨てにしなさい。私も信弥君って呼ぶから」
「わかったよ、詩織……」
「し、信弥君……」
信弥は耳を赤くしている。
遥香のときはドライな彼女の性格やその場に美弥も居たので自然な流れであったが、改めるように女の子を呼び捨てにするなど顔から火が出る思いだった。
詩織はうつむきながら肩にかかる髪を指先でくるくるしてる。
「ラブコメなら外でやってちょうだい」
遥香の声で椅子が二つ、同時にガタリと鳴った。
「お、俺は別に変じゃなかったろ?」
だれがどう見てもあわてた感じで言っては説得力が無い。
兄にこれ以上みっともない言い訳をさせてはならないのか、よく出来た妹が部室にやってきた。
「遅くなりましたっ」
急いでやってきた様子の美弥。
信弥の隣で大人しくしていた咲耶が自らの居場所を求めて彼女に吸い寄せられるように抱きつきに行った。
「信弥君の妹さんね。私は秦宮詩織よ。『詩織』って呼んで」
「はい、一年三組の東條美弥です。よろしくおねがいします、詩織先輩」
美弥はぺこりとお辞儀をして答えた。
これで全員が揃った。
魔王の封印を解いてしまった信弥。
いじめられっ子ではあるが、その封印されていた魔王こと咲耶。
信弥の妹で、さっそくみんなの分の飲み物を入れている美弥。
ぼらんてぃあぶ♪の部長であり、少しミステリアスな橘遥香。
真面目そうに見えるが、意外とお茶目な秦宮詩織。
ガチョウの雛鳥が親と思った者の後をついて行くかのごとく、咲耶が美弥の後をついて回っている。
その様子を先程から目で追っていた詩織は、咲耶が傍まで寄って来た瞬間、背後からひょいと抱え上げるとそのまま椅子に座って魔王をひざに乗せた。
カマキリのように鮮やかな手腕だった。
咲耶は捕縛されてしばらく何が起こったのか理解できなかったが、詩織が肩越しに頬擦りしたことにより、ようやく自分が囚われの身になってしまったことを知ったようだ。
「魔王は危険だから、しっかり監視しておかなくてはいけないわ」
さもマトモなことを言っていますという体ではあるが、ずいぶんニヤケた顔をしている。
「見張るだけなら、そこまでしなくてもできるんじゃないか?」
「ひざの上が一番監視しやすいと思うの」
むちゃくちゃな理論だった。その間にも、もがき続ける咲耶。
「はなせ! 嫌なのじゃぁ」
「むふふ、かわいいじゃない」
教室でもこんな感じにいちゃついていた二人。
咲耶は身をよじって抜け出そうとしているが、両手でがっちりとホールドされている。
「信弥、こやつをどうにかするのじゃ!」
たまらず魔王が助けを求めた。
信弥は考えた。
ひざに乗せた魔王を弄ぶ詩織をぎゃふんと言わせるにはどうしたら良いか。
彼女のことをよく知っているわけではないが、一度激しく取り乱した光景を見ていた。
信弥は手拍子と共にその祝詞を唱えた。
「しおり……、しおり! しおり! しおり!」
詩織のだらしなかった顔は徐々に引きつったものへと変わり、ついには悲痛な声を上げた。
「いやぁー! 止めてっ!」
信弥の思った通り。
委員長就任時の戴冠式が彼女のトラウマになっていた。
たった今、詩織の脳内では盛大な「しおり!」コールが巻き起こっている。
前後不覚に陥った彼女は咲耶を抱いたまま前傾姿勢になり、激情に任せてその腕に力を込める。
「ぎゃああぁぁぁ!」
助けるつもりで言った信弥の祝詞だったが、実際は咲耶に追い討ちを掛けてた。
我を忘れた詩織にぎりぎりと締め上げられる魔王は悲鳴すら上げることができず、苦悶の表情を浮かべるのみである。
「ぁぁぁぁ………」
いっしょうけんめい腕を前に突き出し、何かを掴むような動作を行ってその苦痛から必死に逃れようとしている。
その間にも鳴り止まぬ信弥の「しおり!」コール。
受難多き魔王であった。
そんな最果ての部室に、さらにもう一人やってきた。
ドアノブを回した短いスイッチ音が鳴るが、扉は開かない。
突如、どばぁんと大きな音を立てて開かれた扉からは、赤いタイトミニから伸びるまっすぐなラインを描いた美脚が飛び出していた。
扉を上手く開ければ嫌な音が鳴らないことをその美脚の持ち主は知っていた。
といっても、その音にイライラしてドアを蹴り開けた際に偶然見つけたものなので、まったくもって褒められたことではなかった。
そもそもドアを蹴り開けること自体よろしくない。
「あ、お姉ちゃん」
「学園では先生と呼べと、いつも言っているだろ」
中に入ってきた美脚の持ち主――秦宮先生は軽いチョップを詩織のおでこへとお見舞いした。
「あいたっ」
痛そうなチョップには見えないが、当たったおでこに手を当ててどことなく嬉しそうな詩織だった。
その隙を突いた咲耶が戒めを抜け出し、命からがら信弥の隣に戻っていった。
その様子を見届けた秦宮先生は一人一人の顔を確認してから言う。
「全員居るみたいだね。とりあえず、この五人でボラ、……ぼらんてぃあぶ♪だな」