十五、秦宮姉妹の妹
もぉ~、恥ずかしいからヤメテよ。お姉ちゃん!
「ねぇロリコン。話があるから、ちょっと来なさいよ」
信弥に対してそう上から物申すのは、委員長である秦宮詩織だ。
クラスメイト達はまさかの凸撃に対して、遠巻きに彼らをうかがっている。
「まさかとは思うが、ロリコンとは俺のことかな?」
「そうよ。いま学園で一番有名なロリコンといえば、アナタのことよ」
傷口に塩を塗られた信弥は大人しく従うことにした。
それに、彼女とは昨日の魔王発言からまだ話せずにいたので、ちょうどいい機会だと思ったのだ。
だが美弥たちとの昼食の約束もある。
「昼休みは咲耶と一緒に先約が入ってるんだ。先に咲耶だけでも送ってもいいかな」
「かまわないわ。私も東條君と二人だけでお話しがしたいの」
ということで、信弥は妹に短く用件だけ入れたメールを送り、咲耶だけを迎えに来てもらうことになった。
信弥は不安がる咲耶の手を引いて、昇降口まで連れて行く。
その後ろからは詩織がぴったりと付いてきていた。
これから島流しにされるかのような咲耶は、信弥の顔を見たり、下を向いたり、もじもじとしている。
ずいぶんと可愛い仕草だが、信弥は心を鬼にしなければいけなかった。
「ここに居れば美弥がすぐに来てくれるから」
「信弥が、我を置いて、どこかへ行ってしまうのだ……。こ、これからは、もっとよい子にしておるから、わ、わらわを捨てないで、ほしいのじゃ……」
「そんなに大袈裟なことじゃないから……。だれも取って食いはしないよ」
信弥は頭を撫でてやってから、咲耶を残しその場を後にした。
隅っこで丸くなり、彼が見えなくなるまでちらちらと見ている魔王をあのままにしておくのは忍びなかったが、よく出来た妹がすぐに見つけてくれるはずだ。
信弥が黙って詩織の後ろを付いていく。
二年生エリアである三階のさらに上。
普段使われない屋上へと続く薄暗い階段へやってきた。
咲耶は無事に保護されたらしい。
この学園にも一応屋上がある。
しっかりとフェンスで囲まれてはいるが、とうぜん一般生徒は立ち入り禁止である。
そんな屋上の鍵を、秦宮詩織はどこからともなく取りだした。
鍵を鍵穴にあてがってから、釈然としない態度で言う。
「ちょっと、何で私がこんな物持ってるのか気にならないの?」
「え? それはまぁ気になるけど……」
「そうでしょう? 人に吹聴してまわるような話でもないから、念のためにね。こういう機会でもないとなかなか来れないのよね」
詩織は得意げな感じで言ってはいるが、鍵を差し込もうと暗がりの中で悪戦苦闘している。
〈カチャリ〉
鍵が開く音が鳴った。
彼女はドアノブを握ったまま振り返り、
「屋上から見る桜もいいものよ」
そう言って開け放たれたドア。
暗い廊下をうららかな日差しが照らし、誇りっぽい空気を吹き飛ばすように涼しい春の匂いが吹き抜けていった。
四階の高さから見る桜は新鮮で、信弥はその大きさを改めて実感した。
パノラマに広がる桜花がカーテンのように樹木を覆い隠しており、舞い上がった花びらが床には散っていた。
普段は見ることができない顔の桜を鑑賞していた信弥の視界に、詩織が映りこむ。
「じゃ改めまして、秦宮詩織よ。よろしくね東條君。お姉ちゃんのこともあるし『詩織』、なんなら『委員長』って呼んでくれてかまわないわよ?」
「東條信弥だ。詩織さんって呼ばせてもらうよ。こちらこそよろしく、詩織さん。やっぱり秦宮先生とは姉妹だったのか」
「こんなに引っ張るつもりはなかったんだけど。あなたがたが面白くって、ついね」
そう言って、ウインクしながら舌を出しておどけてみせる詩織。
青い空、長く黒い髪、素敵な笑顔、華やかな制服、白いコンクリートに散る桜。
絵になる光景だった。
「だから魔物のことについては一通りは理解してるわ。あの魔王ちゃんのことで困ったことがあったら私に相談してちょうだい。女同士だし、力になれることもあると思う」
「ありがとう。そのときは相談させてもらうよ」
信弥は、咲耶の味方が増えたことが心強かった。
「それにしてもさっきのロリコンは言いすぎじゃないか? 俺のガラスのハートが音を立てて砕け散ったぞ」
「あんた、お姉ちゃんをいやらしいし目で見てたでしょ。そのお返しよ」
ガン見してたのをしっかりと目撃されていたらしい。
信弥は開き直る。
「見てたのは、俺だけじゃないだろ」
「やっぱり見てたんじゃない……」
確かに、あの光景は目に焼き付けたので、いつでも思いだすことができる。
そう、あの大きなムネとすべすべの足――。
〈ドカッ〉
彼のスネに蹴りが飛んできた。
「な、なにすんだよ。いきなり」
「東條君、今いやらしいこと考えてたでしょ」
「…………」
手ごわい相手のようだ。
信弥は仕切り直すように咳払いを一つして、
「それにしても、秦宮先生は魔物の類か何かなのか? 俺の予想ではサキュバスだと」
「はぁ? 今の台詞お姉ちゃんが聞いたら……、マジでどうなるか、わからないわよ」
青い顔をして引いたように言う。
立場的にも姉がかなり強いらしい。
もしかすると、彼は大変なことを口走ってしまったのかもしれない。
「ん? ちょ、東條君。その理屈から言うと、妹の私も魔物だと思っているの?」
「そこまでは言ってないよ」
「東條君が思わなくても、そう言われているのと同じなのよ。いい? 私達はれっきとした人間よ。私はあなたと同い年で、お姉ちゃんとは、少し年が離れてるだけよ」
魔物扱いされて怒っているのだろうか。
信弥は少し強い口調で言われてしまう。
「わかったよ。……それにしても今日の秦宮先生は刺激的だったな。普段からあんな感じなのか?」
彼女は姉の話になると、急にしおらしくなって話し始める。
「私って、今日初めてお姉ちゃんの授業受けたのね。それで、お姉ちゃんが私のことをからかうためにあんな派手な格好してたんだと思う。いつもはもう少しだけ大人しい服装なんだけど……、私服はあんな感じね。今朝やけにニヤニヤしてると思ってたら、ああいうことだったみたい。恥ずかしいったらないわ」
楽しそうな姉妹の仲らしい。
「内緒だけどね、お姉ちゃん彼氏が出来ないの気にしてるみたい。『私には仕事があるんだー』とか酔った勢いで叫んだりとかしちゃって。妹の贔屓目無しに見ても、お姉ちゃんって若くて、スタイルもよくって、顔だっていいじゃない? 信弥君はどうしてだと思う?」
「んー……。やっぱり高嶺の花って感じがするな。完璧すぎておいそれと手が出せないというか」
素直にそう思う。あの先生に手を出せる自信のある男はそうはおるまい。
「やっぱり男の人ってそう思っちゃうのかしら。教師って忙しいみたいだし、神社のお仕事もあるから出会いも全然ないってぼやいてたわ」
詩織は聞いてもいないことをぺらぺらとしゃべりだす。
信弥はあの秦宮先生の意外な一面に耳を傾けていた。
だがこの情報はお墓の中まで持っていかなければならない類の物であった。
下手にしゃべると、あの先生に何をされるかわかったものではない。
ヒールで踏まれて、ムチや蝋燭を使って……。
ある意味ご褒美と取れなくもないが、その先にどんなお仕置きが待っているか想像してしまうと、信弥は思わず背筋が伸びて、お尻がキュンとなってしまう。
不可抗力とはいえ、信弥はこれ以上の情報を聞いてしまうことに身の危険を感じ取り、詩織の話に割り込んだ。
「詩織さんは先生と仲がいいんだな」
「な、なんでそうなるわけ。わ、私も将来はお姉ちゃんみたいになりたいから、失敗しないように参考にと思って……。って何言わせてるのよ!」
自爆気味の詩織は怒ったからなのか、恥ずかしかったからなのか、赤くなった顔を逸らした。
「そうそう、昨日お姉ちゃんから聞いた。魔王と一緒にボランティア部に入部したそうじゃない」
「咲耶がどうしてもといって聞かなくてな」
「私も紹介してよ。ボランティア部に入ってあげるわ」
「どうしてそうなるんだ?」
「私が入ると五人になるじゃない?」
「橘遥香と、俺と美弥と咲耶と、詩織さんで、5人になるな」
「そうしたら、部として認められて部室棟に移れるかもしれないわよ?」
「そ、それは魅力的だな」
信弥は思わず飛びついてしまった。
毎日あの嫌な金属音を聞かされると頭がおかしくなりそうなのだ。
詩織の言うことは本当で、部室棟に部屋が与えられる部の条件の一つとして、部員数は五人以上という規定があった。
「それに、魔王はちゃんと監視しておかないとね」
詩織はさも当然のように言った。
「咲耶はそんなに危険だとは思えないが」
「そうかしら。心あたりとかは無いの?」
そう言われてしまうと、信弥あの一件を思い出してしまう。
言葉を詰まらせた彼に、詩織が見透かしたように言う。
「そういうわけで、今日の放課後にでもよろしくお願いね」
「しょうがないなぁ」
詩織はその答えに満足そうにうなずいた。
そう約束して、彼らは屋上を後にした。