3 現実を見ましょう。
めでたしめでたしで終わることが実はとても低確率であると知ったのはいくつの時だっけ?
そんなことをぼんやり考えながら、私は現実逃避をしていた。
こんなこと、視聴者投稿の再現ドラマでしか見たことがなかった。
実際自分で体験する羽目になるとは思いもしなかったのだ。
将悟の部屋から大戸が出てきて、しかも抱き合って玄関先でチューしてる。
たまたま、早起きした今朝、朝の占いでかに座は最高の運命で、
朝市に行くとさらにラッキーが待っていると言っていたくせに。
テレビ局にクレームを入れてやろうか。
そんなバカなことを考えて、また現実逃避をする。
ここにいることがばれるとまずい。
突然頭が回りだし、私はダッシュで彼のアパートから離れようとした。
そこで、神様は私にさらに意地悪をする。
「あ、松森主任・・・」
大戸のかわいらしい声が背中をたたく。
いつも大戸のあいさつを無視している私も、この日ばかりは無視できなかった。
「あはははは、おはよう。」
私は乾いた笑いであいさつを返す。
将悟は何とも言えない顔で私を見ている。
私が大戸に詰め寄るとでも思っているのだろうか。
詰め寄るわけがなかろう。
大戸は出勤前の、かわいらしいけどきっちりとしたOLさんスタイル。
メイクもナチュラルに見えるが、かなり作り込まれた薄モリメイクだ。
おまけに、スカートからのびる長い脚がお洒落なストッキングで包まれている。
かたや、私は商店街の朝市帰り。
ジャージにパーカー。つっかけサンダルで、手には長財布とねぎの飛び出たビニール袋。
メイクは、日焼け止めとBBクリーム、一応眉だけ書きましたという感じ。
もう、勝負付いているじゃないですか。
みじめになりたくないじゃないですか。
「やだ、見られちゃいましたね。松森主任、内緒にしてくれます?」
困ったような、でもかわいく見えるよう計算された笑顔で将悟にひっつきながら私に言う。
「当り前でしょ。プライベートは関係ないから。」
私は8年間営業で鍛えたポーカーフェイスをここぞとばかりに使った。
「よかった!松森主任、今日はどうしたんですか?」
黙ったままの将悟に気が付かず、大戸は聞いてくる。
「そこの商店街の朝市に行ってきたの。今日はほら、代休だから。
いや、佐伯さんが同じ駅とは知っていたけど、まさかこんなに近くにお住まいとはびっくりですよ。」
私は、心に血をながしながら必死に会話をする。
「えー、松森主任もこの変に住んでるんですね。
私も、ここに引っ越してきたいなぁ~」
かわいく将悟に甘える大戸を見ていたくない。
「そろそろ、出勤の時間大丈夫?」
私は話を切り上げるときの常等手段。
お時間大丈夫ですか作戦を駆使する。
ええ、私は根っからの営業ですから!
「あー遅刻!時間差出勤しなくちゃだから大変なんです。
将悟さん、会社でまた!松森主任、また明日!お疲れさまでーす。」
そう言って大戸はかわいく走り出した。
将悟は固まったまんまだった。
「付き合っているんだ?」
そのまま通り過ぎるのも、悔しくて強がりで聞く。
「・・・うん」
将悟の答えを聞いて、なんで馬鹿な質問をしちゃったんだろうと後悔する。
自分をいじめてどうするよ。
「いつから?」
やめとけと、心の中の私が止めるのに何故か口が勝手に動く。
「3か月ぐらい・・・前から。」
めっちゃかぶってるやんかーい!
何故か、心の中で髭男爵がワイン片手に突っ込んできた。
そういえば最近山田ルイ13世みないなぁ。
そんな風に、また現実逃避を始める。
どこをどうやって帰ってきたのか覚えていないが、いつの間にか部屋に帰ってきていた。
部屋に帰ってきたのだから、いつもの道をいつもどおりに帰ってきたのだろう。
部屋に帰ってくると、急に悔しさがあふれだした。
私は今朝、ゴミ捨て場から拾ってきて、大切に枕元に飾ったぬいぐるみをゴミ箱に投げ入れる。
悔しくって、悔しくって、哀しくって、悔しくって・・・。
私は狂ったように、ビーンズが入ったクッションを床にたたきつけた。
たたきつけて、殴って、暴れて。疲れて。
それでも、怒りは収まらなくって、哀しくなった。
哀しくなって、虚しくなった。
私と、将悟の8年は何だったのだろう。
哀しくなって、虚しくなったけど、おなかも減った。
私は床に投げっぱなしになっている、朝市で買った野菜と卵をまたいで、
シンク下のお気に入りのカップ焼きそばとカップラーメンを取り出す。
二つとも、乱暴にパッケージを開けて、お湯を注ぐ。
3分待つことなく、まだ堅い麺を口に入れる。
おいしくない。それでも口に入れた。
振られて、食欲がなくなって、やせて美人になって、前の彼氏よりももっと素敵な新しい彼氏を捕まえる。
何年も前に読んだ少女漫画ではそんなストーリーだった。
でも、現実はおなかも減るし、前の彼氏よりももっと素敵な人なんて早々見つからない。
そう知ってしまっているのだ。私の年代では。
30歳を過ぎると、挽回するのが難しくなる。
視界が涙と湯気で曇る。
私はラーメンをスープ代わりに、カップ焼きそばを完食した。
ゴミを捨てて、空っぽになった部屋に、空っぽの私がいた。
朝、開けたままのカーテンの外はすでに薄暗くなっていた。
あのカーテンを開けた時は、素敵な気分だったのに。
このまま、料理をして、ダイエットをはじめて、
新しい私になったらまた将悟とよりを戻せると思っていた。
20代の頃、彼氏と別れたと泣いていた親友を慰めた。
すぐにいい男が見つかるよ。
若いんだし、かわいいんだし、男がほおっておかないって。
すぐにもっとかっこいい彼氏ができるよ!と。
将悟とうまくいっていて、結婚も彼とするのだろうと漠然と確信していた。
そう。漠然なのに、確信していたのだ。
だから、友達を無神経に慰めていられたのだろう。
そして、その慰めていた彼女たちが20代の後半に次々と結婚していくのを見送った。
次は、私の番。次は私の番だと自分に言い聞かせて。
30代になって、周りの友達は子供なんかもいて。
私を慰めてくれる子はいない。
慰められたくもない。
20代の若くて売り出し時だった頃ならば、次の男を見つけると自分を叱咤できただろう。
40代で、キャリアを築ききっていたのならば、男なんていらないと開き直れただろう。
30代。若くもなく、だけど、人生の選択肢はまだある。
次の恋のチャンスもあるかもしれない。無いかもしれない。
そんな不安定な年齢で、8年も付き合った彼と別れるなんて思っていなかった。
どうせ、振るのならなんでもっと若いうちに振ってくれなかったのだろう。
一番、かわいくて、若くて、おいしい時代をすべて将悟にささげてしまったのに。
残った私は、若いころより、12キロも太ってしまって。
肌も、年齢を感じるようになってしまっている。
空っぽの部屋、部屋の片隅で昨日磨いた鏡が私を映し出している、
泣いて、パンパンにはれた瞼。
ガサガサに荒れた肌の私が、ぼんやり私を見つめていた。
現実を見ましょう。
これが、私だ。
これが、『今』の私だ。
そして、過去はどうしようにもないけど『今』と『未来』を私はどうにでもできる。
そう、『今』の私は知っているのだ。
『過去』の経験から。
若い時には気がつかなかったその事実を。
私には慰めなど必要がない。
私は投げっぱなしにして、しなびてしまった野菜の入った袋を拾うと、
冷蔵庫の中に一つ一つ大切にしまっていく。
卵は投げた衝撃で半分割れてしまっていた。
フライパンを取り出す。
今日のメニューは卵尽くしだ。
卵のスープ。オムレツの卵焼きのせ。
久々に料理をした。
久しぶりの料理は、だけど、おいしかった。
私はゴミ箱からぬいぐるみを拾い出した。
「ごめんね」と謝って。
30代の私に、慰めは必要ない。
30代の私には、20代には無かった経験がある。
30代の私には、40代には無いであろう未来がある。
今の私に必要なのは、現実を見つめて、打開する方法を探ることだ。
鏡の中の私は、強いまなざしで、私を見つめ返していた。