5.本邸への侵入
その少女は、くすりと鮮やかな朱の瞳を細めて妖艶にほほ笑む。
長い黒髪と体に沿う衣服、闇に溶け込む黒の中に、白い肌と朱の瞳、朱の唇だけが色を持って浮かび上がっている。
『我は朱の女神アデリア……名乗るのは二度目じゃな』
ディルクは眉を顰めた。
覚えがない。
「女神?」
『そうじゃ、おぬしを死の因果から解き放ち、再びこの世へ回帰させた、我こそは……きゃあ、何をする⁉』
「嘘つくならもっとましな嘘つけ」
「嘘とはなんだ、嘘とは⁉」
「だって、なあ」
ディルクは、羽虫のようなその少女をつまみ上げた。
「ちっちぇえ」
「な、何をいう! このサイズなのには、そもそも壮大にて遠大なる事情あってだな」
「お前、大した力ないだろ? それにも深淵なる事情があるのか?」
遠くにいるように見えたその少女は、実際には目の前にいて、サイズが小さかっただけのようだった。
さらに言うと、女神だと言っているが大した力を感じるわけでもない。
「邪妖精か何かか?」
「ええい、女神をそのような下等なものといっしょにするな! もっと崇めぬか!」
ディルクは、構うのも面倒になってアデリアと名乗る自称女神の邪妖精をぽいっと宙に放った。
「ばかばかしい」
「そなた、このようなことをしてただで済むと思うなよ、覚えておれ!」
涙目だ。
そう叫ぶと邪妖精はふいっと姿を消してしまった。
「なんだったんだ?」
その生き物が何の目的で現れたのか、ディルクにはさっぱりわからなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
ディルクは、その日、本邸の最上階である五階に忍び込んだ。
外部からの侵入だ。外壁に持ち手がないところは、壁の隙間にくさびを打ち込んで足がかりにして登る。
五階に鍵が壊れた窓があることは、母がメイドたちから仕入れた情報で知っていたのでそこを利用した。
──『ディルク、呪いの魔法には必ず媒体が必要なの。クリームヒルト様はそれを見せてくださったわ。手に握りこめるほどの大きさの透明にわずかに中が濁ったガラス玉だったわ』
鍵の壊れた窓はとても小さいが、子どもの体には十分だ。
窓から中に入ると、そこはリネン室だった。
──『そして、その呪いの媒体が、ご自身の宝物庫の中に、高価な品々と一緒に厳重に保管されているとおっしゃっていたわ。寝ずの番に立つ警備兵もいるような部屋だと』
(寝ずの番を立てるなんて、わざわざ宝の場所を喧伝してるようなもんだろ)
ディルクは、廊下に出るとすぐにお目当ての部屋を見つけ、その前に立っていた警備兵にあて身を食らわせて昏倒させる。
警備兵はいた。が、大したレベルの兵ではない。
──『呪う相手にそれがどんなものか知らせたり、それが保管されている場所を教えてることは、解かれるリスクを考えると愚かな行いなのだけれど、クリームヒルト様は、逆に絶対に手に入らないということで私を絶望させたかったのでしょう。あるいは、あがく私をご覧になりたかったのかもしれないわね』
(他人の苦しむ姿を見たがるのは、息子と同じだな。反吐が出る)
ディルクは、警備兵の懐を探って鍵を探したが、見つからなかった。
すぐにあきらめて、鍵穴に細い針金を二本差し込むと、ロックの位置を探る。
耳を近づけながら針金を回転させると、カチリと音がして鍵が開いた。
これも回帰前に学んだ技術だ。
──『でも、私はチャンスだと思ったわ。場所と物がわかっている。ならば『すり替える』チャンスがあるんじゃないかって。だって、ファルケハイン家の人間は、魔法力があるとはいえ感知力が優れているわけではないの。すり替えられてもそれが呪いの媒体かどうかだなんて気づけないからよ』
その部屋は扉の奥にも二つ目の鍵があるが、その鍵もディルクは難なく開けることができた。
簡単にいき過ぎて怪しくなるぐらいだ。
二つ目の扉の奥、宝石箱の隣には、ガラスケースに入れられた呪いの媒体が飾られている。
──『ほら、見て、ディルク。これがあなたにかけられた呪いの媒体とそっくりに作ったガラス玉よ』
(あれだ)
──『安心してね、ディルク。母さまが、隙を見て、どうにかこれを入れ替えて、呪いの媒体を手に入れるから』
(母さんは、それを実行するのが俺だとは思ってなかったろうけどな)
ディルクは、ポケットの上から母が作ったガラス玉に触れると、ガラスケースに向かって一歩を踏み出した。
その時、風もないのに、宝物庫の壁に飾られていたリュートが落下した。
ビーーーーン。
床に落ちた瞬間に弦が切れて、フロア中に大きな音が響き渡る。
「ちっ」
リュートの脇で黒い小さな影が見えたのは、見間違いではないはずだ。
(あの邪妖精! くだらねえ仕返ししやがって)
否定していたが、絶対に邪妖精に違いない。
ざわざわと廊下から声が聞こえる。ディルクは急いでガラスケースに駆け寄る。
「動くな」
足を踏み出しかけたディルクの首元に、背後から冷たいものが突き付けられた。
(波のように光る青白光。<漣>か。なんでこんなところにこいつがいる⁉)
序列二位のガンソード・マギア<漣>を使うのは、ディルクの叔父、カール・ファルケハインだ。
「さあて、こそ泥君。どんな罰を受けたいかな?」
(俺だと気づかれたのか? いや、顔はスカーフで隠してる、大丈夫だ)
<漣>の持ち主でもあるカールは本気でディルクを殺そうとは思っていない。彼が本気なら、一瞬でディルクの首と胴は離れていた。
(とらえて背後の組織まで割り出そうと思ったか、あるいは、一瞬で終わらせるのは面白くないと思ったか。くそっ──どうせなら面白いと思わせてやるっ)
そう覚悟を決めると、跳ね上がった鼓動は急速に落ち着いてくる。
「何も言わないの? じゃあ、まずは顔を見せてもらおう……っ」
ディルクはカールの言葉が終わらないうちに床を蹴って、背中からカールに向かって体当たりを食らわせた。
「……っつ」
<漣>は波のように刀身が伸び縮みする剣で、中距離に強い。それに頼り切った剣技を磨いていた者は、内への攻撃に弱い。
ディルクの首から<漣>の刀身が外れる。
(一手空いたっ)
ファルケハインは、ガンソード・マギアの一族。体術においては、一段下がる。
ディルクは、振り返り、カールの懐に入り込むと、正拳突きを入れる。が、片腕で防がれる。
(予想通り。剣を離さないのもな!)
そのまま体を回転させて剣を構えた腕に肘討ちを食らわせる。
カールの剣を持った腕が大きく外に開いて隙が生まれる。
(ここだ)
開いた腹に向かって、ディルクは両手で掌底を食らわせた。
(入った!)
カールが後ろに吹っ飛ぶ。
その隙に、ディルクは、ガラスケースに向かった。
けれど、次の瞬間。
(来る)
≪銀の波≫
ぞくりとする背後からの気配に、ディルクは頭を下げた。
ガガガガガッッッーー!
轟音と共にディルクの頭上を横なぎに波のようにうねって滑っていったのは、銀剣<漣>だ。
(っぶねえっ……)
「へえ、君はこれを知ってるんだ。ますます興味がわくね……面白い」
(言わせた……俺の勝ちだ)
ディルクに向かい、カールは一歩ずつ近づいてくる。
横なぎにされた部屋の壁は、三面にわたり、一直線に亀裂が入っていた。
──当然、ディルクの求めたガラスケースも。
ガラスケースからこぼれた呪いの媒体であるガラス玉は、まるで導かれるかのようにディルクの足元へと転がってきた。
ちょうどディルクの影で、カールからは見えない位置に。
ディルクは、カールに背を向けたまま、足元に、ポケットの中のガラス玉を落とす。
二つに並んだガラス玉。
ディルクは、自らの呪いの媒体である片側のそれを踏み潰した。
瞬間、ディルクの中、心臓の近くで、何かがはじけ飛んだ。
抑え込まれていた何かがあふれ出してくる。
さながら嵐の後に渦巻く谷川の激流のごとく。
体中が、熱を帯び、満たされていくその感覚を、ディルクは今まで知らなかった。
(これが、魔力──)
どんなに焦がれても手に入れられず、憎しみさえ感じていた、その存在に、涙がこぼれる。
ディルクの体が帯びる淡い光は、カールが破壊した外壁から差し込む月光に紛れた。
淡い月光が縁どるシルエットに、カールは、目を細めた。
「君は……」
ディルクはカールに背を向けたまま、外から差し込む月光に向かって走りだした。
先ほどまで壁だったそこは、カールの攻撃で、大きな穴が開き、外が見えていた。
(あいつは、面白いと思った相手は、絶対殺さない)
ディルクは、追撃がないという確信と共に、そのまま五階から飛びだしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「なぜ賊を取り逃がした」
「兄上」
荒れた部屋にいつの間にか現れた当主テオドールにギロリとにらみつけられ、カールは背筋を正す。
「犯人の目星はついているため、あえて泳がせました。ですので、この件は、私に委任して戴きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「いいだろう──ファルケハイン家のためになるならば」
ファルケハイン家のためになること。
それがこの兄の唯一絶対の判断基準だった。
そこに感情をさしはさむ余地はない。
兄はそう育てられ、その通りに生きてきた。
それを一番そばで見てきたのも自分だ。
「もちろんです」
カールは、笑わない当主である兄の背を見送った。
「だけど兄上。そんなことをしていると、大事なものを見逃してしまいますよ?」
誰にでもなくそう告げるカールの背後で、クリームヒルトの絶叫が邸に響き渡る。
「いやああっ! 私の、私の宝物庫がっ」
「……ああ……。俺、あの人苦手なんだよねえ」
この惨状の状況説明位はしなければならないが、きっと今でなくてもいいだろう。
「あ、待ちなさい! そのケースは、触れた人間の痕跡が残る魔法がかかっているのよ! 調査にかけるから触れてはだめよ」
クリームヒルトのその言葉を聞き、カールは足を止め、自分の為した惨状に目を向ける。
「……狙って俺に切らせた? まさかね」
賊の目星がついているのは本当だが、だからこそ本気で追いかけるつもりはない。
「いやあ、本当に、将来が楽しみだなあ」
カールは叫び続けるクリームヒルトに背を向けると、現場を放置して、あくびをしながら、自室へと戻るのだった。




