4.母の想い
ファルケハイン公爵家本邸の地下室は、夏だというのにひんやりと冷たい。
ディルクの母マヌエラの前にいるのは眠そうにあくびをするオスカー、そしてその母、アルトナー公爵夫人のクリームヒルトだ。
何の装飾もない殺風景な地下室に、不釣り合いに豪奢な椅子が置いてあるのは、この二人のためだった。
どさりとその椅子に腰かけると、息子と同じ金の巻き毛に垂れた目元を細めて、クリームヒルトが冷たく言い放つ。
「さっさと始めなさい」
「そ、その前に少しよろしいでしょうか」
マヌエラは、クリームヒルトの冷たい視線にひるみそうになるが、ぐっとこらえて続ける。
「私は、オスカー様の魔力の器を広げるお手伝いをしてまいりました。お約束通り、来年にはディルクの呪いを解いていただけますね」
「ふざけるのも大概になさい! 魔法を絞り出すぐらいしか役に立たない能無しがっ」
「ですがっ、お約束ではっ」
「お黙り!」
クリームヒルトが立ち上がってマヌエラに手にしていた扇を投げつける。
マヌエラの頬から血が流れた。
「まあまあ。それぐらい、いいじゃないですか。母上」
クリームヒルトは、オスカーが妾であるディルクの母をかばったのが気に食わない。まだ何か言おうとしていたが、オスカーの表情を見てそれ以上言うのをやめた。
「オスカー。お前がそういうのなら、考えてやってもいいわね」
「ええ、だから早く済ませてしまいましょう。こんな地下に長い時間いたら、母上のお体にもよくありません」
「あなたは、本当に母親想いのいい子ね。──お前、オスカーに感謝なさい」
「はい! はい! ありがとうございます、オスカー様」
マヌエラは、オスカーの前にひざまずいた。
オスカーの顔に浮かんでいたのが、どす黒い笑みだとは気づかずに。
「終わ……りました」
「オスカーが学院に戻るまでの間、あと三回は行うから、そのつもりでいなさい」
「はい」
精根尽き果ててふらつくマヌエラを追い出すと、クリームヒルトは、オスカーの方を満足げに見やる。
「どう、オスカー? 魔力の器は広がったのかしら?」
「はい、いつもながらにこの施術はすばらしいですね。私の魔力の器は一割ほどは上がったように思います」
「ああ、素晴らしいわ。これで、二年後の試しの儀ではもっと序列の高いガンソード・マギアを手に入れられるわね」
「ええ、きっとそうなるでしょう」
「それにしても忌々しい。あの女、自分の息子の呪いを解いてほしいだなんて、ここに住まわせてやっているだけで感謝すべきなのに」
「ええ、約束など守る必要はないでしょう。あのクズが、魔力が多少あった程度で使い物になるとは思えませんが、あいつが魔力を使えること自体に腹が立ちます」
「ただ、騒ぎ立てられると面倒なのよね──まあ、その時は殺してしまえばいいわ。『代わり』は、いるものね」
クリームヒルトの笑みもまた、息子以上にどす黒いものだった。
◇◇◇◇◇◇◇
母マヌエラは離れへたどり着くなり倒れてしまった。
ディルクは、母をどうにかベッドへと寝かせると、その手を握りしめた。
(母さんが、俺のために何を犠牲にしてくれていたのか、やっとわかった)
今までそのことに気づきすらしなかった自分に吐き気がする。
ディルクは、本邸の地下室での出来事を全て聞いた。母が去ってからの二人の会話も全て。
途中、何度もあの場に駆け込んで止めようかと思ったが爪を手の平に食い込ませて耐えた。
そうしたところで、今のディルクにはその後のよくなる未来が思い描けなかったからだ。
(あいつら、絶対に許さない)
「ディルク?」
「母さん、気が付いたのか?」
「あら、私どうしちゃったのかしら。もう朝ね。ご飯の支度をしないとね」
弱々しくほほ笑んで起き上がろうとする母を、ディルクはベッドへ押し戻した。
「疲れてるんだろ。今日はいいよ。俺とラウラでできることはするから」
「でも」
「母さん、俺、昨日の夜、母さんの後をつけたんだ」
「え?」
「全部、聞いたんだよ。地下室でのこと。母さんが、俺のために、あいつらにどんなふうに尽くしてきたのかってこと」
母は、はっと胸を突かれたようだったが、すぐに笑みを浮かべる。
「そう。情けないところ見せちゃったわね。驚いたでしょう。でも、あなたは何も心配することはないわ。母さんが全て何とかするから、ね?」
「母さん。俺はもう、守られてばかりの子どもじゃない。まずは、全部話してほしい。それから、どうすべきか、一緒に考えよう」
「ディルク……」
沈黙の後、母は顔を歪めると、声を震わせて全てを語り始めたのだった。
ディルクの母マヌエラは建国の八家、錫杖魔法を冠するアルトナー家傍系の子爵家出身だったこと。祖父の代で没落し、売られるように魔力を求めるファルケハインに妾としてやってきたこと。
そして、幼いディルクの魔力が、ある時から感じられなくなったこと。
それは正妻であるクリームヒルトの仕業だとわかったが、その頃には不義を働いたとされ、マヌエラの話を聞いてくれる者は誰もいなくなっていたこと。
以降、クリームヒルトに脅され、オスカーの魔力の器を広げるための施術を行っていること。
先日のディルクとオスカーとの練武場での件を聞いて、ディルクにできるだけ早く魔力を取り戻させなければと思ったこと。
「魔力なしでもディルクは幸せになれると思っていた。でも、きっとそうじゃない。あなたもファルケハインの家に生まれたんだもの。ガンソード・マギアを受け取る資格はある。魔力を取り戻しさえすれば、あんな嫌な思い、しなくて済むはずだもの」
(母さんがあんなにも必死だったのは俺のためだったんだ)
「オスカーへの施術……、あれはいったい……」
「あれは、アルトナー家だけに伝わる、魔力拡張の施術なの。建国の八家がどんどん魔力を失っていく中、アルトナー家だけが魔力を保っていられたのはあの施術があったからよ。個人が持てる魔力量は、生まれ持った魔力の器の大きさで決まるわ。それを自分の魔力を使って、広げてあげるの」
「母さんの体は、そんなことして大丈夫なのか?」
「……ええ、一晩休めば」
(嘘だ)
ディルクは母の瞳の揺れを見逃さなかった。
大丈夫なら、母はディルクが九歳の時に亡くなったりしない。
「母さん、母さんに何かあったら、あいつらは、ラウラを代わりにするつもりだ。そう言っているのを、さっき聞いた」
ディルクの言葉に、母は蒼白になった。
「それは……それだけはだめよ……逃げなくちゃ、でも、どうやって……きっと追ってくるわ」
「母さん。言っただろう。一緒に考えようって。母さんはもう、一人じゃないんだ」
ディルクは、そっと母をだきしめる。
「ディルク……ありがとう、ありがとう」
◇◇◇◇◇◇◇
闇に眼を慣らし音を立てずに行動する訓練には、この時間の暗さと静けさがちょうどいい。
ディルクは深夜、ファルケハイン邸の裏山で、回帰前に培った体術と剣術の修行をやり直していた。
知識はあるが、体は完全にその知識を使いこなせてるレベルに達していない。
あまり筋肉をつけすぎると、体の成長を止めてしまうので、訓練はほどほどにしなければならない。
体の感覚をものにするのと、体力をつけることが最優先だ。
木々の間を足音を最小限に駆け抜ける。途中、枝から枝へと渡り歩くが、手の大きさの感覚を間違え、つかめない太さの枝に飛び移ろうとし、失敗する。
が、そのまま回転して落下し、地面に落下してすぐに剣を抜き放つ。
着地した瞬間に視線を感じ、背後の闇に向き合う。
何かが、いる。
「誰だ」
森の奥のひときわ闇が深くなる場所に、一人の少女が立っていた。
朱の瞳の少女が。




