死龍の山?
山頂から、血の匂いが混じった生温い風が吹き下ろす。魔物の血が水を穢し、大地を汚染していた。
スケイルドラゴンが死んで以降、テウザ山の主を決める魔物同士の争いは、泥沼化している。
ネコショウ(化け猫モード)で進めば魔物の注意を惹いてしまうため、俺たち一行は徒歩で慎重に山を登っていた。
ちなみに、頂いた食料や軽微な荷物は、デュナンの風魔法で浮かせて運んでいる。
「それにしても、不気味な山だな」
辺りは薄い霧に包まれ、生き物の気配が感じられない。いや、正確には――何かが潜んでいる気配だけが、まとわりつくように残っている。
霧の向こうで、何かが湿った地面を引きずる音がした。足音ではない。這いずる、音だ。
「ここは慎重に行きましょう。既に山の主が決まっている可能性もありますが、地面に付着した血液はまだ新しいですわ」
カサンドラは俺の背後で剣の柄に手を置き、周囲を警戒している。
最前列はもちろん、タンク役――そしてラッキースケベ役の俺だ。
「カサンドラ、怖かったらいつでも俺に抱きついていいんだぞ!」
緊張を和らげようと冗談を振る。
「死んでも嫌ですわ。あなたに抱きつくくらいなら、ドラゴンの糞に抱きつく方がまだマシですわよ」
「カサンドラさん……そこまで言わなくても……」
前々から嫌われているとは思っていたが、ここまでとは。
「ちょっと、あなたたち。緊張感が足りないわよ」
後方から、ミザリアの叱咤が飛ぶ。
「酷い臭いですね……鼻が曲がりそうです」
ネコショウが鼻を押さえ、鼻声で言った。
肉の腐ったような臭いが、辺り一帯に漂っている。
……あれ? ネコショウ、背中に剣を携えている。
前から持ってたっけ? クリステラで買ったのか。
「ステラ、こんなところに本当に君の友達はいるのかい?」
「うん。しばらく山からは降りてないと思う」
デュナンの問いに、ステラが頷く。
こんな場所に滞在している女の子――
どう考えても、ヤバいやつだろ。
――バキバキバキッ!
思考を遮るように、前方から木々をなぎ倒す音が響いた。
「皆、構えろ!」
アグリアスの指揮が飛ぶ。
「なんですの……こいつは……」
霧の向こうから現れたのは、無数の触手を纏う巨大な魔物だった。
見た目は、厚手の濡れモップみたいだ。
次の瞬間、触手が一斉にうねり、俺たちへと迫る。
「――危ない!」
俺は咄嗟にカサンドラを後方へ突き飛ばした。
触手が俺の身体に絡みつき、締め上げる。
――くっ、痛くはない。
だが、拘束が解けない。
こんな触手プレイみたいなことを俺にされても、
ラッキースケベでもなんでもない。
「ステラ、リョウカくんごとやるよ!」
「えっ……そんなことして大丈夫なの?」
「大丈夫、僕を信じて!」
「わかった…今は信じるわ!」
触手に絡め取られたままでも、二人の声ははっきり届く。
「閉ざされた檻、円球の闘技、深緑の瞳――」
「細剣の舞踏、舞い乱れる剣閃、荒ぶる風――」
デュナンの詠唱に、ステラが重ねる。
これは…確か…二重奏ってやつか。
「「大気を満たし、刃よ乱れ飛べ」」
二人の声が完全に重なった。
「“円陣舞踏会”」
視界が歪む。
俺ごと、風の球体に閉じ込められた。
球体の内部では、かまいたちが無秩序に舞っている。
「うぉぉぉ……!」
あいつら、俺のラッキースケベを過信しすぎだろ!
かまいたちが触手の魔物を細切れにし、球体の中で――俺以外のすべてが、細切れになっていく。
「ステラ、枠の安定は僕が保つ! 遠慮せずマナを出し切って!
ミザリアさん、トドメの火種を頼むよ!」
「わかった!……って、同調させるなら私も詠唱が必要よね」
ミザリアが、ため息交じりに肩をすくめた。
「――黒豚ちゃん。丸焦げよ!
“熱魔法・火達磨”」
風の球体内部に火の手が上がり、触手の残骸と――俺の服が燃え上がる。
やめてくれ。
熱くはない。むしろサウナみたいで心地いい。
だが、俺の尊厳が燃えていく。
俺はただ、身に纏っていた衣類が燃え尽きるのを見届けることしかできなかった。
焼け焦げた地面の上に、生まれたままの姿の俺だけが立っていた。
「お、お前! 何をしている!」
アグリアスが俺の裸体を見て悲鳴を上げる。
続いて、カサンドラとステラの悲鳴。
そして、デュナンの歓喜の声。
ミザリアは平然と直視しており、
ネコショウは恥ずかしそうに顔を両手で覆いながら――指の隙間から、俺をがっつり見ている。
「いや、これは俺のせいじゃないだろ!」
まじで誰得のラッキースケベだよ。
あれほど慎重に進んでいたにも関わらず、
死の山に、叫び声だけが虚しくこだました。
――山の主を巡る戦いより先に、
俺の尊厳が死ぬとは、誰が予想しただろうか。




