黒猫?
二人の騎士の胸に顔を埋める。
……痛い。
鎧とビキニアーマーで、普通に痛い。
全然ラッキースケベでも、何でもなかった。
笑えるはずなのに、
胸の奥が冷えていく感じしかしなかった。
「きゃあああああ!」
「ぎゃあああああ!」
二人は叫び声を上げ続ける。
状況は最悪だったが、主導権は完全に向こうにあった。
その後、組んず解れつの二回戦に突入し、
よく分からないまま、俺は縄で拘束された。
……多少、事故もあった気はするが、覚えていたくなかった。
状況を整理する余裕はなかった。
反論も、弁明も、選択肢も――
気づけば全部、置き去りにされていた。
やがて、抵抗する間もなく、
俺は王城の謁見の間に連れてこられていた。
話は、俺の想像を超えた場所まで転がっていた。
白髪に髭面の大男。赤いマントに豪奢な服。
ちょっとサンタクロースにも見える。
「アグリアスとカサンドラだな。
して……これは何事かね?」
王様が、縛られた俺を見下ろす。
この場にいる全員が、俺を見ている。
――いや、正確には「見ていない」。
視界の端に引っかかった、
処理すべき異物を見る目だった。
左右でアグリアスとカサンドラが頭を下げる。
「はっ、市街で民に暴行を働いておりまして!」
王様は大きくため息をつく。
「そのような些末な問題は君たち騎士団で解決したまえ。今は近隣村まで迫っている魔王軍の対応で忙しいのだよ」
どうやら俺の問題は、国の事情の前では取るに足らないらしい。
「はっ、それでは牢獄へ──」
そう言ってカサンドラが俺を肩に担ぐ。
しかし──
「うわっ!」
カサンドラが手を滑らせ、俺の体は弧を描いて落下する。
……痛くない。むしろ柔らかい。
「きゃあああああ!」
気付けば俺は、
カサンドラの腰から伸びるスパッツとお尻の隙間に、逆さ吊りで頭を突っ込んでいた。
何がどうなってる?
柔らかい。でも……息が……。
嬉しいとか以前に、
普通に呼吸が危うい。
俺はそのまま気を失った。
✡
目を覚ますと、薄暗い牢獄の中だった。
鉄格子の前に、石のように硬いパンと
カビの生えたチーズが置かれている。
……メシだ!!
剣も、距離も、視線もない。
ここが安全圏だと、体が理解していた。
夢中で頬張る。
――こんな場所で安心している自分が、少しだけ怖かった。
「……ぐずっ、ぐずっ」
涙がぽろぽろ溢れてきた。
「こんなことなら……
誰にも触れられない力なんて、要らなかった……」
そう思わずにはいられなかった。
少なくとも、この夜までは。
こうして王都の夜は更けていく。
✡
翌朝。
鉄格子の窓から差し込む光で目を覚ます。
「うーん! よく寝れた!」
野宿と空腹が日常だった俺にとって、
ベッドと屋根があるだけで天国だった。
皮肉にも、今までで一番まともな朝だった。
「ここでの生活も悪くないな……」
そう思いかけた瞬間──カンカンカンッ!!
けたたましい鐘の音が鳴り響く。
「魔王軍が城門まで迫ってるぞ!
騎士団もギルドも応戦中だ! お前も来い!」
見張りが呼ばれて走っていった。
嫌な予感しかしない。
何事かと鉄格子を掴んで覗き込む。
……あれ?
ぬるん。
俺は鉄格子の隙間をすり抜けていた。
「おい、嘘だろ!?
鉄格子にラッキースケベ判定ってなんだよ!」
もはや何に発動するのか、自分でも分からない。
訳もわからず脱獄し、城外へ出ると──
気づけば、王城の外門だった。
突如、兵士の波に飲まれた。
完全に流れに逆らえない。
「早く城門へ急げ!」
「うおぉ!?」
兵士の鎧や筋肉に揉みくちゃにされながら
運ばれていく。
……こんな時まで発動しなくていいんだよラッキースケベ。むさ苦しいのは嬉しくない。
やがて兵士の足が止まる。
気付けば王都の外まで運ばれてしまったみたいだ。
そこには、巨大な黒猫がいた。
城門よりも大きい巨体。
戦う、という発想自体が間違いだと。
恐怖が、思考より先に答えを出していた。
三本の尻尾が空気を裂き、兵士たちを軽々と吹き飛ばす。すれ違うだけで地面が抉れ、黒い毛が雷のように静電気をまとっていた。
「フハハハ!
人間共よ、我が眷属ネコショウを前にひれ伏すがよい!」
魔物の背に立つ赤髪の魔族女が高笑いする。
事態は、完全に戦争の規模だった。
「行くぞクラリウス!」
聞き覚えのある声が響く。
「あれは……アグリアス!」
金髪が戦場に輝く。
アグリアスが黒猫へ跳び上がる。
「はあああああッ!!」
——覇光斬。
眩い光とともに彼女の剣が巨大化し、
斬撃が黒猫へ迫る。
だが──
黒猫の尾が三方向から鞭のように襲い、
光が砕け散り、アグリアスは地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
切り札でも、通じない。
「姉様!!」
カサンドラが駆け寄る。
黒猫の巨体が影を落とし、二人へ迫る。
「ここまでか……
カサンドラ、お前は逃げろ……!」
「嫌です!
姉様と一緒に……!」
泣きながらアグリアスを抱きしめる姿に、
胸の奥がズキンと痛んだ。
理由は分からないが、目を逸らせなかった。
今まで俺をボコボコにしていた相手なのに。
それでも──放っておけるわけがなかった。
だって、女性は俺の憧れで……
どれだけ扱いが雑でも、冷たくされても、
目の前で傷つけられるなんて、絶対にイヤだった。
これは理屈じゃない。ただの性分だ。
気づけば、足が勝手に前へ出ていた。
「おいおい……俺、何やってんだよ……!」
アグリアスとカサンドラを庇うように、
俺は黒猫の前へ立ち塞がる。
三本の尻尾が唸り、ただの風圧で肌が裂ける。
普通なら震えて動けないはずだ。
喉が勝手に鳴って、息の仕方を忘れていた。
でも――
不思議と、足は一本の棒みたいに固まっていた。
逃げる選択肢は、もう消えていた。
「……来いよ、化け猫。
この呪い、使い切ってやる」
拳を握りしめる。
女神から与えられたチートが、
本当に役に立つかなんて知らない。
死ぬ確率の方が高い。
それでも、立ち止まるよりはマシだった。
巨大な黒猫と真正面から対峙した。
ここから先は、引き返せない。




