第178話 氷姫?
月夜に照らされ、四方から青い壁が迫りくる。
天を覆う津波だった。
高波は天を覆うほどの高さで、兵も遺体も民も、全てを飲み込もうとしている。
領土全体を覆うほどの規模。
……こんな魔法、存在していいのか。
――誰もが慌てふためく中、一人の男が大剣を構える。
「いや……私の出る幕ではないか」
アーサーはそれだけ言葉を残し、剣を下ろした。
「ウェイン公……まさかこのような暴挙にでるなんて」
透き通るような声が絶望の中に響いた。
白銀のドレスに流れる銀髪。
美麗な女性が、氷の結晶が飾られた細剣を天に向ける。
――静寂。
時が止まったかのように、誰もが固唾を飲んだ。
女性の白い吐息が漏れる。
大気が凍てつき、津波は一瞬にして凍りついた。
「ふんっ!」
続けざまに、アーサーが大剣を振るう。
周囲を囲む氷塊は砕け散り吹き飛ぶ。
煌めく氷の結晶が星空に溶ける。
「シュウスイ……ウェイン公爵を甘く見ていましたね」
女性が口を開くと、シュウスイと呼ばれた男が銀の指揮棒を持って歩み出る。
「申し訳ございません。完全に私の見立てが甘かったです。城下町の民は私のタクトで防ぎましたが……郊外の領民は……」
シュウスイはそこで言葉を噤む。
「反省は後です。今は領民の救助を優先しましょう」
「お言葉ながらヴァレンタイン公。私がウェイン公なら、ここでさらに追撃をします」
「わかりました。
――聞きましたか七幹部たち。
今すぐ橋へ向かい防衛を固めてください」
ヴァレンタイン公と呼ばれた女性は七幹部に命じる。
「――御意に」
アーサーが頭を下げると、七幹部はネコショウとリザリーを残して、橋へと向かった。
「あの……リョウカ様、私も向かわないと……離していただけますか?」
「嫌だ」
「イヤだって言われても……」
ネコショウは困った顔でリザリーに助けを求める。
「リョウカ、ネコショウを離してくれ……事情ならことが済んだら説明する」
リザリーが間に入るが、断固として拒否する。
「いやだ!」
「駄々をこねないでください……」
ネコショウの尻尾が心なしか跳ねている。
「まったく……私たちの存在をすっかり忘れているだろう」
アグリアスがアリサと歩いてくる。
「アグリアスさん……ありがとう。光の爆発から守ってくれて」
アリサが小さくお礼を言う。
「ああ、礼を言われるほどのことではない。
それよりリョウカ。今は事態の収拾を優先しよう」
アグリアスの言うことはごもっともだが……
ネコショウはもう絶対に離さないと決めた。
腕の中の温もりが、まだここにある。
もう、一人にしない。
今度こそ、離さない。
「君たちは、昼間の侵入者か?」
ヴァレンタイン公とシュウスイがこちらに歩み寄る。
白銀の瞳と視線が合う。
「貴方は?」
「俺はリョウカだ。ネコショウの夫」
「私はカタリーナ・ヴァレンタインだ。貴殿の目的は?」
カタリーナは軽く会釈をする。
「家出した妻を連れて帰りに来た」
「なら、あなたたちはウェイン公の刺客ではないと?」
カタリーナはアリサを睨む。
少なくとも彼女とは面識があるようだ。
「……はい。ウェイン公に嵌められました」
アリサはおずおずと答える。
「確かにウェイン公ならやりかねません」
シュウスイはそっとカタリーナに耳打ちをする。
「なるほどな。ともかく貴殿らの処遇は保留だ。
本当にウェイン公の刺客でないなら、戦って信を得てみせよ。さもなくば、ここで氷の墓標となるぞ……」
カタリーナの目は本気だ。
「承知致しました。
元より我らが招いたことでもあります。
迎撃に加わります」
アグリアスはカタリーナに深々と頭を下げる。
「橋は三方あります。アーサー殿は北東の橋に一人で向かわれました。
ガラハシャット殿、アリス殿、ジェーン殿、ウリアナ殿は南東の橋に……できれば、アーサー殿の援護に向かってください。
兵たちには領民の救助にあたらせます」
シュウスイが確認のため、カタリーナを見やると、彼女はこくりと頷いた。
「あれ、橋ってもう一つあるんじゃ?」
ミザリアが指摘するとシュウスイは首を横に振る。
「あと一つは東にある、中央の大公の居城に続く橋です。今は無人ですが、彼らがしきたりを無視して居城から攻め込むとも考えづらい。
でも、万が一の時は私が対処しましょう」
シュウスイの言葉に、皆納得し、俺たちはネコショウとリザリーを連れて、アーサーのいる北東の橋を目指す。




