表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

川の幽霊

 ひっそりと、噂が流れていた。学生同士で、家の中で、会社の同僚同士で、マンションの外での井戸端会議で、その噂は少しずつ広まっていた。


 曰く、街の中を流れる河川に、幽霊が出るという。どこでもありそうな、極めてありきたりな話だった。それだけなら噂として広まるほどのものでもない。


 しかし、その幽霊が出る川というのが少し珍しかった。場所は大きな街の中心を通る小さな川だ。それも、オフィス街が建ち並ぶエリアで、傍には川にせり出したお洒落な水上カフェまである。昼間は天気が良ければボートを楽しむ者もいる、開けた場所だ。


 夜中でも多くの街灯とビルの灯りで彩られた都会の小川で、夜中に幽霊が出るという。その場違いな噂が、多くの人の関心を引いたのだろう。


 夜遅くまで働き、駅まで歩く道のりで、何となくそんなことを考えた。別に、幽霊なんて信じていない。話を聞いて、たまたま夜遅くにそこを通ることになったから、ふと思い出しただけだ。


 だから、川のすぐ横の道を歩きながら、水上に浮かぶように作られたカフェを見下ろした。今はもう閉店している為、広いオープンテラスに無人のテーブルとイスが並んでいるだけだ。灯りでくっきりとした影がカフェを廃墟のように見せている。


「……?」


 不意に、そのカフェの端。オープンテラスの先端に動く人影を見たような気がした。嫌な感じがして、すぐに視線を逸らす。


 別に、幽霊なんて信じていない。恐らく、酔っ払いや不良が閉店した店のテラス席で寛いでいるのだろう。それくらいに考えて、気にしないようにした。


 それからは何事もなく、駅について終電の一本前の電車に乗って帰路についた。何故か、川の人影のことを忘れることができず、電車の中でも、家についても、何かに見られているような気分で落ち着かなかった。


 わざとテレビをつけて、少し音量を上げて部屋の中を賑やかな雰囲気にし、シャワーを浴びて早々に眠る。体は疲れていたから、ベッドで横になっていればすぐに眠りにつけた。





 翌日。駅で電車を降りて、出社の為に川の傍を歩く。今朝は最悪の気分だった。眠りが浅かったのかもしれない。寝汗もすごかった為、朝からシャワーを浴びて栄養ドリンクを片手に家を出た。電車で乗り物酔いしたわけではなく、胃が悪くて気分が優れない。普段はそんなことは思わないが、アスファルトの道を歩き、革靴の底越しに足の裏で道の硬さを感じるのが心地よかった。


 暑さではない汗を額から流し、まだ開いていない水上カフェを横目に見る。昨夜と同じくオープンテラスには無人のテーブルと椅子が並んでいるが、朝の景色であれば不気味なことなど何もない。川面は朝日を反射させて輝き、カフェをより一層綺麗に見せている気がした。


「……え?」


 だが、一つだけ違和感のある景色があり、思わず声を出して立ち止まる。


 誰もいないはずの開店前の水上カフェ。そのオープンテラスの一番端の席だ。そこに、髪の長い女がいた。テーブルとイスがあるのに、そこには座らず、ただ川を眺めるように立っている。


 その姿を見て、昨日の夜の光景が蘇ってきた。


 昨夜、人影が見えた気がして視線を逸らしたが、本当に全く見ていなかったのだろうか。視界に入れたから、人影だと認識できたのではないか。では、なぜ、それがどんな姿か思い出せなかったのか。


 夜の、無人の水上カフェにいたのは、あの髪の長い女ではなかったか。


 そう思った時、不意にオープンテラスの奥の席に立つ女が動いた。


 首を大きく傾げて、顔の正面をこちらに向けようとしている。


 そう気が付いた時、即座に視線を逸らした。そこで、ようやく気が付く。昨夜も、同じようにこちらを見る女がいたのだ。その姿が普通ではないような気がして、異常なものに感じて、酷く不気味に思えて、見なかったことにしたのだ。


 そこまで気が付いてしまったら、もう駄目だった。今から向かう会社は、この水上カフェを眺めることができるビルの十五階だ。


「……いや、何を馬鹿なことを。俺は、幽霊なんて信じないぞ」


 今日は休めない。今日出社して、自分が主で受け持つプロジェクトだけ進めて、午後から帰らせてもらおう。そう思って、弱気な心を振り払って出社した。上司は冷や汗をかく俺の様子がおかしいと思ったのか、体調を尋ねてくれた。二つ返事で早退を申し出て、帰る準備をする。


 絶対に、川の方は見ない。遠くなっても、反対方向の駅から自宅へ帰る。そう思いながら退社の準備をしていた。しかし、無意識に廊下から見える川が視界に入ってしまう。


 見てはいけない。そう思っているのに、どうしても気になって視線がそちらへ向く。


 あの女は、まだいた。小さな人影にしか見えない距離なのに、どうしてだろう。女がこちらを見ていることが分かる。視線が合っていると、分かってしまう。


 それが幽霊なのかも分からない。だが、すぐに俺は転職して、アパートも引っ越した。絶対に、あの川には近づかないと決めたのだ。


 それなのに、今も誰かに見られている気配を感じているのは何故だろうか。




自分の中では珍しい短編ホラーです(*゜▽゜*)

ほんのり怖いとか、ほんのり不思議なお話が好きなので、仲間がいたら嬉しいですね(*'▽'*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ