表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

true177の短編小説10作詰め合わせ【3】

幼馴染との、ちょっとした大爆発

作者: true177

「それじゃあ、頼んだよ! 出発しんこーう!」

「任せとけって」


 やっとのことで手に入れた、『男』を見せる絶好のチャンス。期待を背に受けて、秀一しゅういちはペダルを漕ぎだそうとしていた。

 湖上に、他のスワンボートは見当たらない。平日の昼間は、そういうものだろう。秀一たちの独占だ。


 左手に身を置く千紗ちさは、秀一の長いようで短い幼馴染。近づいては離れてを繰り返し、今はもう何度目か分からない近接期なのだ。


 ……これが、ラストチャンスかもしれないからな……。


 小学校、中学校、高校と、敷かれたレールを適時爆破して同じ道を歩んできた。と言うよりも、選択肢が一個しか無かった。田舎とは、そういう場所である。


「秀ちゃん、何かあった? 目が迷子だよ?」


 千紗の促しに引きずられ、秀一の意識がスワンボートに帰還した。


 彼女の光沢ある黒髪は、惜しくも肩につく手前で止まっている。秀一の感覚として、いくら伸びても飽きないくらいだ。


 ペダルを足裏でしっかり捉える。出航の準備は完璧だ。


 貸出屋に頼んで、ペダルのギヤは一番重いものに設定してもらった。自転車と同じ仕組みであった事を初めて知り、己の無知を悔いたのもつい先ほどである。

 客船の眺めを、彼女に体験してもらいたい。横で無心に汗を流す姿に、少しでも淡い感情を抱いてほしい。二つの異なるベクトルが、空間を交差する。


 秀一は、ペダルを目一杯踏み込んだ。備品が壊れてしまったら、どう弁解しよう。その不安が膨張してくるまでに、秀一は熱が入っていた。


「……秀ちゃーん? 風の思うがままも、悪くはないけど……」


 動く気配がしなかった。ペダルを回転させることはおろか、一ミリも押し下がらない。普段からジムで鍛えているならまだしも、一高校生の秀一にコンクリートで固められたようなペダルを漕ぐことは不可能だった。


 不審な様子を察した千紗に、頭を傾けて見つめられる。ネタなのか本気なのか、測りかねているようだ。水分が潤沢に蓄えられた唇が、フリーズを起こして揺れていた。


 ……動け、動けってば!


 まさか、ギヤをわざわざ変更した上に動かせないとあっては、面目が丸つぶれ。語り草にはなるだろうが、それは決して秀一の描く未来と一致しない。


「……何か、ロックでも外し忘れてた気が、する……」


 空いている右手で、レバーなりボタンなりを探った。簡素なスワンボートに、自動車並みの設備があるはずもなかった。


 千紗の顔色が、前進から困惑へと変化していく。規則正しく並んでいた彼女の眉が、波を打っていた。頭上から、はてなマークが取り出せそうである。


 彼女を、満足させることも出来ないのか。自分から散々要望を聞いておいて、動かすこともままならない。

 秀一の計画は、その端から崩れ落ちた。


 このまま隠し通しても、言い訳が思いつかない。


「……ごめん、千紗。出発前にギヤを変えてもらったら、全く動かなくて……」


 これにて、千紗との密接な関係は終わるのだろう。進路の分岐は、すぐそこまで迫っている。『親友』というカテゴリは、いとも簡単に風化する。各々、新天地に順応し、過去の記憶は薄れていくだけだ。


 ……結局、何も踏み出せなかった俺が悪いってことか……。


 時間はたっぷり残っていた、そのはずだ。能動的なアクションを起こす事が出来なかった。一緒に居られれば、それで満足。心理的な余裕が、いつも初めの一振りを先延ばしにさせたのだ。


 その身体がリズムに合わせて揺れている、秀一の相方。心の拠り所になってくれた、活発な少女。存在を、自ら手放したくない。


「……秀ちゃんで無理なものは、だれでも無理だと思うよ……? 謝ることなんて、なんにもない」


 ふんわり温かみを持った手が、秀一の肩に乗る。


 ……だから、離れたくなくなるんだ……。


 お世辞にも、学校ではグループに馴染めていない秀一と千紗。仲間同士ということもあって、度々行動を共にしてきた。

 人前では意見を出さない彼女が、秀一の横では羽を伸ばしている。そのことだけで、疲労など天の彼方へ吹き飛ばしてしまえる。


 起きてしまった事は、元に戻せない。ならば、先を見据えるだけ。


「……どう、帰ろうか……。発端を作ったのは、俺だし……」


 移動手段を失った今、ボートは自然に身を委ねている。いつの間にか岸は小さくなり、千紗の熟した頬と霞む山々が同じサイズに見えていた。


「貸出屋の人も、なんで意地悪したんだろう……。重すぎて、全然動かないよ……」


 千紗の目線は下に落ち、無言を貫くペダルに向けられていた。なるほど、彼女もまた踏ん張っていた。


 ……踏ん張ってる……?


 右側と左側で、対称な構造になっている漕ぎペダル。一本の鉄製の棒で、繋がっていた。


「千紗、漕ぐのをいったん止めてみてくれないか……」


 再起不能だと思われていた逆転計画が、地中の底で復活の時を待ち望んでいる。


 言われるがまま、千紗がペダルから足を浮かす。瞬間、重荷が取れた。

 水面を斬って、スワンボートが前進した。いつもであれば気にも留めない動作が、秀一のやる気を再始動させた。


「……あれ、私……?」


 物事を行き詰まらせていた原因を、千紗も掴んだようである。次々と生み出される水面波と、触れたらケガをしそうな回転数のペダルを、交互に見比べていた。


 何度も瞬きをし、顔をうずめた。震える両手で目を覆い、居ても立っても居られない、と暴れている。緊急脱出ボタンが搭載されていれば、すぐにでも飛び出したことだろう。


 千紗と秀一が拮抗して、ペダルが動かなかった。真実は、それだけである。


「……秀ちゃん……。ああ、もうなんでもいい……」


 表情を見せられない彼女の髪の毛に沿って、引っ張らないよう手を滑らせる。程よく冷えて、引っ掛かりもない。神に恵まれたツヤだ。


 起き上がらない千紗をよそに、スワンボートはぐんぐん加速する。まだ目覚めない春の陽気な風も、吹き抜けて心地良い。


 ……このまま、もうちょっとだけ……。


 高校生の男女を乗せて、湖をかき分けるボート。外からは覗けない想いを秘めて、ひたすら前進していく。



 ーーー卒業式も終わり大学へと旅立つ、その前日であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ