その四:下級天使に金を借りに行く
その日、女神ミャウル・レ・ハトラリックは、プライドという言葉を忘れようとしていた。
「マジっすかミャウル様。マジっすか」
「うん、マジ」
ミャウルが頭を下げている相手は、マレイラという下級天使である。
「信じられないんで、もう一度言ってくれます?」
「お金……貸してください」
マレイラはレイサリスの同期。つまりは、レイサリス同様の成熟した肉体をもっているため、子どもの身体のミャウルから見ると大きな存在。
が…………
女神という階級から見れば、かなり格下の存在である。
「なんでレイサリスと同居してるのに、お金ないんすか?」
ミャウルに生活力がないことは、マレイラもよくわかっていた。そして同時に、レイサリスが優秀であることもよくわかっている。
「まあ……第十八転生局の仕事と……家事にかかりっきりなので」
「うわ……レイサリスの無駄遣いっすね」
「ぐぬぎ」
このマレイラという下級天使は、とかく金を稼ぐのが上手い。
「申し訳ないっすけど、ミャウル様には貸せないっす。絶対返ってこないっすもん。賭けにすらならないっすわ」
「ぐぬぎす」
その収入の九割以上は、ギャンブルによるもの。読み、引き際、運…………なにをとってもマレイラは一流のギャンブラーなのだ。
「でも、レイサリスになら貸せますよ」
「本当? ありがとう! すぐにレイサリス呼んでくる!」
「そうやってすぐ喜んじゃうから、ミャウル様には貸せないんですけどね……」
走り去るミャウルの背中を見て、マレイラが静かにぼやく。
***
川沿いで釣竿を持って座るレイサリスを見つけたミャウルは、大げさな身振り手振りをつけてマレイラの件を伝えた。
「嫌ですよ、友達にお金借りるとか最低じゃないですか。ミャウル様は私たちの友情を壊したいんですか」
「え……ご、ごめん。そこまで考えてなかった」
ミャウルは涙目……ではなく、ぽろぽろと泣き出してしまった。この三日で口にしたのは川の水と、ちょっとだけむしって茹でてみた畳だけ。さらに、電気はまだ止められたままなので夜になれば家は真っ暗。もう、お腹も心も限界なのである。
「たしかに、水道まで止められたのはきついですけどね。でも、見てください! 川にはこんなにお水がありますから!」
「うう……そうだよね。そんなに綺麗な川じゃないけど、小石と砂つかってろ過して煮沸したら飲めるもんね…………ってあれ? え! なに食べてるのレイサリス!」
「ドーナツですけど。あげませんよ。これ、私が勝って買ったんですから」
「かってかった……?」
「ギャンブルです。マレイラに教えてもらったんですよ、初心者向けのギャンブル」
「その手があったか!」
全速力で、ミャウルは走る。再びマレイラの元へと行き、勝てるギャンブルを教えてもらうために。
***
川に石を投げて遊んでいたマレイラを見つけたミャウルは、大げさな身振り手振りをつけて私にもギャンブルを教えてくれと懇願する。
「別にいいですけど、ミャウル様多分負けますよ」
「多分、ってことは勝てる可能性もあるんだよね?」
「ポジティブなのはいいっすけど、そもそも賭け金ないっすよね?」
「……………」
ミャウルは腕を組んで考える……………………。
「あ、明後日お給料が入る」
「それ……給料担保は死にますよ。いや、マジでほんとガチのアドバイスっすけど、ミャウル様は絶対ギャンブルやっちゃだめなタイプっすからね」
「でももうお腹がすいて死にそうなの! なにか食べないと明日を迎えられない! 賃貸だから畳もあんまり食べられないしさ!」
「畳……」
「人に見られたらヤバいから虫も草もとったらだめだってレイサリスが言うし! 夜中に川の水を汲むのは許してくれたのにおかしいよね!」
ミャウルはまた、ぽろぽろと泣き出してしまった。
「女神が天使の前で泣かないでくださいよ。まぁ、だからと言って金を貸す気はないっすけどね」
「ううん、お金はもういいの。ごめんね、変なこと言って」
「でもまぁ、ごはん奢るくらいならいいっすよ。私、バカ勝ちした日はゲン担ぎのために誰かに飯奢るって決めてるんで」
「ほんと! ありがとぉおお!」
ミャウル、ガチ泣きである。
「で、なに食べに行きます?」
「えっとね、えっと畳じゃなければなんでも……あ、ごめん。すごくわがままだと思うけど、奢ってもらうの私じゃなくていい?」
「ゲン担ぎ的には問題ないっすけど」
なにかを察したマレイラは、ニヤリ。
「ありがとう! あのね、レイサリスになんか奢ってあげて! レイサリス私より動いてるし、がんばってるし、畳も食べてないから! さっきもさ、川で釣りを…………きっと、私のために缶詰を釣ろうとしてるんだよ!」
ミャウルは空腹でおかしくなりかけていたが、レイサリスへの想いがこもった言葉は本物である。
「女神の意地見せたっすね。いいっすよ。レイサリスに豪華な飯、おごるっす」
「ありがとう! ありがとう! え…………これくれるの? ありがとう!」
マレイラから飴玉を一つもらったミャウルは、深々と頭を下げた。
***
釣り針のついていない糸を川に垂らして暇をつぶし続けているレイサリスを見つけたマレイラは、落ち着いた口調でミャウルの意志を伝えた。
「あーじゃあごちになりますかね」
「いい上司っすね」
「まあ、頭は悪いですけどね」
ミャウルは知らない。レイサリスがこれから奢られるごはんは、本日三度目のごはんであることを。
「たしかに頭は良くないっすね」
昨晩レイサリスは、マレイラ直伝のギャンブルでバカ勝ちしていたのである。
「で、ミャウル様はどうしました?」
「飴ちゃんあげたんで、舐めて耐えてるんじゃないっすか?」
「良い笑顔で舐めてそうですね」
レイサリスの言う通り、ミャウルはさっきまでマレイラと話していた場所で一人、満面の笑みで飴玉を舐めていた。
本当に本当に、良い笑顔で。