その二:転生者を叱る
その日、女神ミャウル・レ・ハトラリックは頭を抱えていた。
「転生して魔王をぶっ倒すってことはよぉ! 魔界のやつらを自由に殺していいってことだろう! ひゃはー! 最高だぜ!」
「いや、魔界にも善悪はあるぞ。基本は民を救うために魔王を倒すんだ…………って、そのくらいの説明、魂管理局で聞いてきただろ?」
「はっ! 魔界を制圧しろと命じる女神様がそんなこと言っても説得力ないぜ? ようは人の国を横取りするってぇわけだからなぁ!」
本日のお客様は、他の転生局でNGを出された問題魂。その名を、ロドリア・ランネという。
「はぁ、じゃあおまえ転生なしな」
「なーら女神様ぶっ殺しちゃおうかなぁ?」
「やめとめやめとけ」
ロドリアは聡明そうな美女…………ではあるけれど、性格は最悪。元は、第二十転生局に送られた魂であったが天使を二名殴り倒してしまったため、より上位の転生局である第十八転生局へ送られてきたというわけである。
「今の私はやべぇぞ? たらいまわしにされて怒髪天だからなぁ?」
「まだ二軒目だろ……っておい、その手離せよ」
「この髪染めてんのか?」
ミャウルの長くさらりとした赤髪を掴んだロドリアがニヤニヤと笑いながら、息を吐きかけるように尋ねた。
「染めてねぇよ」
「真っ赤なのに地毛ぇ? 面白れぇな、刈らせろよ。丸坊主にしてやるぜ」
「頭イカレてんのかおまえ」
「はっ! それ、生前も良く言われたぜ」
「誉め言葉じゃねーぞそれ。死んだ後まで言われてどーすんだよ」
大人の身体のロドリアに、子どもの身体のミャウル。圧倒的な体格差にも、ひるむことはない。
「はっ! 三つ子の魂あの世まで、だぜ」
一触即発の空気。だが、止める者はいない。ミャウルの助手にして唯一の部下であるレイサリスも、夕飯の材料の買い出しで不在のため…………もう二十分ほど二人きりなのだ。
「おまえさぁ――」
「ちょっきーん!」
ロドリアが隠し持っていたハサミで、ミャウルの髪を切る。ハサミの柄には、第二十転生局と記されたシールが貼られていた。
「おい、なに切ってんだよ」
散らばる、鮮血のように赤い毛。その髪によく似た灼熱色の瞳に、怒りの色が浮かぶ。
「なにって、女神様の髪の毛にきまってんだろ――あ?」
ロドリアの視界の色が、突然、変わった。
「弱いなおまえ」
「な……は? え?」
彼女が、ミャウルに転ばされて床に押し付けられたことに気がついたのは――――それから――――数秒後のことである。
「調子、のりすぎたな」
「おい、離せ! 離せクソガキ!」
「ガタガタ喋るな。今から、腕折るんだから、叫ぶ分残しとけよ」
「おいっ! やめろ!」
「やめねぇよ」
ミャウルの身体はとても小さい…………にもかかわらず巨大な石でも乗せられたかのように身体を起こすことができない。
「女神がそんなことしていいのかよ!」
「悪かったな、イカレ女神で。そら、歯ぁ食いしばれ」
「やめろぉおおお!」
「いくぞー、ボキッ!」
ボキッ――――とミャウルは声に出しただけであった。つまり腕は折らず、脅かしただけ。
「…………」
「次、あほなこと言ったら本当に折るからな……あれ? え? えっと」
ミャウルは気がつく。やりすぎたことに。
「う……うぇええええん! ごめんなさぁあああいいいいいい」
零れだした液体は二か所から。涙と、失禁である。
「えっと、その……ちょっと、うん。ちょっと座ろうか。ね?」
「はいいいいい! 女神様の言う通りにしますうううう! なんでも命令してくださぁああああああい!」
ロドリア、超高速で正座。
「お、怒ってないから。怒ってないから」
「生きててすみませええええん! いいいいえええええ! 私死んでましたぁああああ! 死んでてすみませえええええんんんんんんんんんんんん!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔と、湯気を立てながら広がっていく水たまり。前世で死んだ自覚がないまま天に昇ってきたロドリアは、これほどの恐怖を味わったことがないのである。
「ただいまもどりましたー。お豆腐安かったので今晩は薄味麻婆豆……ってあれ? なんかやらかした感ありますねミャウル様」
「助けてくれレイサリス」
ミャウルは、中身が少なく軽そうなエコバッグをぶらさげて戻ってきたレイサリスに心の底から助けを求めた。
「うーん。なんか面白いこと言ってくれたらいいですよ」
「え」
「ギャグ、やってください。私、買い物で疲れてますから笑顔にならないとやる気出ません」
「えっと……………………夕飯の食材を買ってきたレイサリスさん…………こちらの転生者さんへの贖罪を手伝って……ください…………なんてどうかな?」
「ぶっ……ふふ、わははははは! あははははははははは!」
「「え?」」
ダジャレを聞いて爆笑したのは……ついさっきまで大泣きしていたロドリアである。
「なあ、レイサリス。今の私のギャグ面白かったのか?」
「いえ、びっくりするくらいつまらなかったです。ええ、びっくりするくらいつまらなかったですね」
「あはははは! 贖罪、食材って……食材で贖罪ってギャグセン高ぎますってぇ! あははは!」
「やっぱつまらなかったよな。二回も言う必要はねーけどよ」
「ええ、つまらなかったですね。めっちゃつまらなかったです」
「わははは! 助けて! 助けて! 笑いすぎて死ぬ! あ、私死んでましたね! あはははは! 二回死んで食材贖罪! 二回続くはダジャレの神髄! 女神様前にして神髄って! あははははははは」
ロドリアは腹を抱え、足をバタバタさせて笑い続ける。
「うん……なんか、魂管理局が転生に適正アリって判断したのわかる気がするわ」
「だいぶきつい魔界に送ってもよさそうですね」
ミャウルもレイサリスも、冷静な顔で跳ねる尿を躱す。俊敏で精細な動きは、さすが女神と天使といったところか。
「わははははは! 贖罪食材! あはははは! おもしろくてびっくりしすぎてショックざい! いや、無理あるから! 無理あるから私! あははははは! 無理ありすぎてショック罪!」
「おい、ロドリア。ちゃんと善悪判断できるなら転生させるけど、どうする?」
このまま待っていてもらちが明かないので、ミャウルは仕方なく尋ねた。
「あははは! おねがい、おねがいします! あははははは!」
「む、無理しなくていいからな。転生するかしないかは本人の自由だから」
笑い続けるロドリアに、ミャウルはたじたじである。
「あははははは! 大丈夫です! 私女神様に叱られて心入れ替えましたから! しっかりやってきます! あはははは! ショックで心入れ替えてざい! ショックで心入れ替えてざい! ざいざいざい! ざざいのざい! あははははは! おまかせくだざい!」
「そ……そうか。なら、たのむ」
「ミャウル様。お電話です」
「タイミング悪いなぁ。はい、もしもし。第十八転生局のミャウルです」
ミャウルは黒電話のコードを目いっぱい伸ばし、だるそうに対応をはじめた………が。
「はい。はぁ。はい。ええ。ええ。ええ。ええ。はい。ええ。はい。ええ? え? え? はぁ? はぁあああああ? ああそうですか!」
だんだんと表情が険しくなり………。
「わかりましたよ! その通りにしますよ! おいレイサリス、もう電話切っていいぞ!」
ついにはキレて大声をあげ、受話器をレイサリスに返したのであった。
「どうしました?」
「ロドリアは第二転生局が担当するから渡せってよ! くそったれ! 一桁局だからって無茶苦茶言いやがって!」
「え? 私別の女神様のところに行くんですか?」
ロドリアもきょとん。
「そうだよ! よかったな! 私よりずっと上位の女神だぞ!」
「そうですか! それは嬉しいです!」
さすがのミャウルも……きょとんであった。
***
すぐにやってきた迎えの天使にロドリアを引き渡して五分後。定時に仕事を終えたにも関わらずげっそりとした顔をしているミャウルに、レイサリスが淹れたての珈琲を差し出した。
「おつかれさまでした」
「ほんと、つかれたよ」
珈琲に角砂糖を六つ沈めたミャウルは、まだ苛立ちの表情である。
「ロドリアさん、転生適正すごかったみたいですね。一桁台の転生局、しかも第二から呼ばれるだなんて」
「はぁ? ならなんで第十八に来たんだよ! 最初から第二に送れよ!」
「どうも、ミャウル様が腕折ろうとしたときに覚醒したみたいですよ。ほら、転生候補者は頭に検査石埋め込まれてますから、ステータスが急上昇したのを魂管理局が感知して第二に――」
「それ私の手柄だよねぇ! ボーナスくらいもら――」
「第二が絡んでるのに、そういう話はちょっとまずいのでは? うち、十八ですよ?」
「くそが」
「それ、大便じゃなくて小便ですよ」
「そういう意味じゃねぇよ!」
ミャウルの元に残ったのは、ロドリアが漏らした尿だけであった。
「どうでもいいですけど、乾く前に拭いといてくださいね。においが残ったら嫌ですよ私」
「え、それ天使の仕事でしょ?」
「それはそうですけど」
「女神は転生に直接かかわる仕事だけでいいはずだよねぇ! 転生局のお仕事分担って正式にそうなってるよねぇ!」
もう、いろいろな意味で限界のミャウルは、短い手足をバタバタとさせて喚く。
「はい、ミャウル様の言う通りです。でも、私の気分的な話は別問題ですけどね」
「あー! そうですね! やればいいんでしょやれば!」
「おあいこですよ。ほら、先日は私が片付けてあげたじゃないですか、ミャウル様のお――」
「あー! もうなにも言わなくていいから! レイサリスはゆっくりくつろいでて! 買い出しで疲れたでしょうし!」
ミャウルは半泣きで雑巾とバケツを取りに行く。成果をほとんど出せていない貧乏部署である第十八転生局には、モップなどという便利な道具はないのである。