すべてが嫌になったよお
結論から先に述べると、結局はパンク、なんだなと。
というよりも、遠藤ミチロウさんが好きなわけ。スターリンはもちろん大好きだけど、アコギ一本で全国のライブハウス周ってた時期も痺れるほど好き。
ミチロウさんが、アコギをジャカジャカやって、キョーッて奇声を発すると、もう勃つよね。魂が。瞬間エレクチオンですよ。ミチロウさんが、お元気ですかーって吠えると、もうイクよね。魂が。条件反射オルガスムスですよ。なんか椎名林檎のアルバム名みたいだね。条件反射オルガスムス。椎名林檎は嫌いです。
本当、いまだに信じたくないね。ミチロウさんが亡くなってしまったなんてね……しんみりしてもしょうがないのでね、曲いきましょう、ザ・スターリンで……あ、ダメ。曲、いかない。
はい。というわけで、私が阿部千代です。なめんなよ〜、ヨロシクゥ。
おできができたのだ。尻に。いやおれの。
唐突にへなちょこなナンシー関の真似をしてみたのだが、もちろんおれのお尻におできなどはできていない。いつだってすべすべさらさら、真っ白なお尻の持ち主といえば阿部千代と答えておけば、ほぼほぼ問題はないといったところだ。
元々が女性が羨むほど肌の綺麗な阿部ちゃんなのである。体毛も目を凝らさなければ見えないほど薄く、脇毛は3本しか生えていない劇画オバQのような男なのだ。それが結構なコンプレックスだった。
髭を、もみあげを、腕毛を、すね毛を、脇毛を、おれにくれ。神様、おれに、おけ毛を、おくれよぅ。そう願ってやまなかった若かりし頃のおれだ。
生まれてきた時代を完全に間違えたよな。ちょっと焦りすぎてしまった。だっていまや男が脱毛する時代なんでしょう。スキンケアーなど当たり前の時代なんでしょう。薄い塩顔がモテるのでしょう。もう完全におれじゃないですか。それ、おれ。マジ、おれ。
とは言ってもだ。ではおれがいま若者として生きていたとして、おれが女性にモテモテだったのかといえば、おそらくそうはならなかったろう。おれは郷に入っては郷に従わない男だ。集団の中においては異物となり、不協和音をもたらす。群れて騒いでいるやつらがなにより嫌いなのだ。わざわざそいつらの前に赴いて、これ見よがしに唾をぺっと吐くようなことを日常的にやっていたのだ。にやにやへらへらと生きるなどまっぴらごめんなのだ。
勘違いをしないでほしいが、こいつはルサンチマンではない。ではなにか、と訊かれると困る。端的にいうと、むかつくから、としか言いようがない。おまえら絶対に腹ん中に一物隠し持ってるだろう、楽しくもねえのに楽しいフリしてやがるだけだろう。その汚い本音を曝け出してみやがれクソ野郎どもめ。
若かりし頃の阿部ちゃんは、とても自分勝手だったのだ。おれが楽しくないことで楽しんでいるやつらは、全員嘘つきのぺてん師どもに違いないと、本気で思い込んでいたのだ。自分だけが正直者なのだ、そう信じて疑わなかったのだ。
だがそれも嘘だった。おそらくだが、この世に正直者などいない。というよりも、誰も自分の本当の気持ちなどわかりゃしないのだ。そんな風なことに気づいた時、ヤング阿部ちゃんは爆散した。五臓六腑をまき散らし、汚え花火になった。だがやつは死んではいない。成仏できずに、おれの隣でいじけている。
そうだ、あの頃のおれは、おれがガールズバーに行って、にやにやへらへらしているなどとは夢にも思わなかった。だがこれは夢じゃない。現実なんだ。最初は反発もあった。あの頃のおれがむっくり顔をだすこともあった。おれはゆっくりと諭した。違うんだ、ヤング阿部ちゃん。そうじゃないんだよ。おれは変わったんじゃない。楽しく生きてみたくなっただけなんだ。ううん、ヤング阿部ちゃん、きみは間違っている。おれは阿部千代さ。ねじくれ曲った性根のまま、恨みつらみを拗らせたままさ。この世はクソ野郎に溢れているし、そいつらの頭を片っ端からぷちぷちと潰していってやりたいって気持ちはまだまだ健在さ。
だけどね、気づいたんだよおれは。そこまででもなかったなって。確かにいるよ、クソども。うん、むかつく。そりゃ、むかつく。でもヤング阿部ちゃんみたいに9割9分の人間がそうだってのは、言い過ぎだって気づいたんだよ。ホントホント。きみが思ってるより、いい人が結構多いみたいだよ。
ヤング阿部ちゃんはきかん坊なので、なかなか納得してくれず、まだそのへんでいじけている。だが日に日に存在感は薄れているようにも思えるのだ。
さて。もう書きたいことは書いた。だが個人的なこだわりが、この文章を終わらせることを許してくれない。だから本当にどうでもいいエピソードを書いてみよう。心底どうでもいいと思うが、是非お付き合いいただきたい。
おれの姓は、阿部だ。実はこの阿部、後付けなのだ。おれが阿部と名乗るようになったのは14歳の頃からだ。阿部の前の姓は安西だった。おわかりかな? 両方、あ、で始まるのだ。
おれはずっと出席番号1番になりたかった。だが安西は弱いのだ。あん、だからね。大抵が2番、3番に収まってしまう。そんなわけで阿部にクラスチェンジをしたとき、まあ複雑な思いは色々あったものの、出席番号に関してはかなり有利になったなと思った。
おれの読みは当たった。中学三年生の時に念願叶い、出席番号1番をゲットしたのだ。卒業式にクラスの中でいの一番で呼ばれる栄光を授かったときは、クソ保護者ども見やがれ、このクラスはおれ様のものなんだぜ、と壇上で得意満面だったことはあまり知られていない事実だ。