第一章 月城明は地元に戻り、妹への気遣いからヒロインから嫌われる side ひなた(8/10)
以前は、こんな風に考えたことなんてなかったはずだ。たとえ、お客さんがケーキを残して帰ったとしても、ここまで弱気にならなかっただろう。食べ物を残して帰るお客さんは意外といる。そんなにお腹が空いてなかったのかもしれないし、急用ができてお茶を飲んでる場合ではなくなったのかもしれない。
私の作ったものに限らず、絵里子ちゃんの作ったケーキも一定数残して帰る客がいるのだから、そんなことで傷ついたりしない。
だけど、もし早苗ちゃんがケーキを残して帰ったりしたら……。
「そうなんだ。じゃあ、こっちのチョコレートケーキ」
「う、うん。分かった」
心の底では早苗ちゃんが「えー、絶対美味しいよ。良いからこれちょうだい」なんて言ってくれるのを期待してしまう。そこまで言ってくれたら私もそのケーキを出せるし、そのケーキを褒めてもらえれば少しは立ち直れるかもしれない。
でも、やっぱりそのケーキを出すのが怖くて、私は冷蔵庫からチョコレートケーキを出して、紅茶と一緒に早苗ちゃんに渡した。
だめだ、やっぱりあのケーキはもう出せそうにない。
これも全部、あいつのせいだ。
それからは何をどうしたかよく覚えていない。ただオーダーが入ると冷蔵庫からケーキを出したり、コーヒーを入れたり、そんな作業を呆然とこなした。
忙しくてよかった。
「ひなちゃん、お疲れー、今日はどうだった?」
気が付くと、六時になっており、絵里子ちゃんが厨房に入ってきた。絵里子ちゃんはさっきまでお昼の休憩を取っていた。
私がバイトさせてもらえるのは月、水、金曜の四時から六時の間だけで、お菓子作りは週末に教わることが多い。絵里子ちゃんは六時から私に代わって厨房に入る。
「ぜ、全然、普通だったかな」
私は怒りを悟られないようにして言った。
「そっか、じゃあ、後は私がやるからあがっていいよ。今日もありがとうね」
「はい……」
「スーパーで唐揚げ買ってきたからひなちゃんの分、持って帰りな」
「うん、ありがとう」
晩ご飯はいつも絵里子ちゃんがお惣菜を二人分買ってくれる。わたしは絵里子ちゃんの買い物袋の中から唐揚げのパックを一つ取り出して鞄に入れる。
それからスタッフルームに入る。
「あいつだけは許さない。あいつだけは許さない。復讐してやる。復讐してやる」
私は制服に着替えながら、そう繰り返した。
あの男はなんの特徴もない普通の顔だった。
ケーキで例えるならいちごのショートケーキ。それも変わらないことにこだわった昔ながらの庶民的なショートケーキ。いや、あいつの顔はそんないいものじゃない。
ただただ、特徴のない顔だ。ケーキで例えるなら……いや、あいつなんかケーキに例えてやるものか。米だ。米。それも特別おいしくもない、古米を炊いたまま、炊飯器の中で二日くらい放置した米だ。別にマズくはないが、とんかつをおかずにしても、生姜焼きをおかずにしても何の相乗効果ももたらさない古米だ。
よし。
私はあの男を古米男と名付けた。
そんな特徴のない顔でも、一瞬で脳裏に焼き付いて離れなくなった。あいつが私を怒らせたからだ。
だから、復讐してやりたい。呪い殺してやりたい。
あいつへの呪詛を百万通りくらい繰り返しながら、外に出る。
仕返しの方法を考えながら、家に帰ろうと思ったとき、ふと隣の店の黒板が目とに止まった。
隣が占い屋なのは知っていた。店の前には看板がわりの黒板がかけられており、
「ブードゥー占いさちこ 占い、人生相談、おまじない、憑きもの落とし。しゃっくりも止めてみせます」と書いてある。
「人生相談か……」
多分、今の私に必要なのはそれだ。今日の出来事を打ち明けて、相談に乗ってくれる人。占い師が明るい未来を占ってくれるかもしれないし、お守りやお祓いによって悪い気を払ってくれるかもしれない。
私は思い切ってその店に入ってみることにした。
中に入ると、小さな待合室があり、奥にはカーテンで仕切られた小部屋がある。カーテンの下から占い師の足が見えている。真っ黒のローファーに真っ黒の靴下はいかにも魔女っぽい。
「お客さん?」
中から占い師の遠慮のない声が聞こえた。
「は、はい!!」
「そこにある診断書を埋めてから中に入ってきて」
その堂々とした口調に私は物おじしてしまう。
「分かりました」
私は待合室の真ん中に置かれたテーブルから、診断書を取って、質問事項を埋めた。「名前(仮名可)」の欄に「ひーちゃん」と書きこむ。おばあちゃんがそう呼んでくれるのだ。
あとは、「占い師に求めること」の欄の人生相談に丸をする。あとは、年齢、職業を書く欄を埋めて、私はカーテンを開けて小部屋に入った。
小部屋は修道院の懺悔室のように二つに区切られており、占い師の顔は見えない。仕切りの間に、小さな穴があり、そこから診断書を差し込んだ。
「ふむふむ、ひーちゃんと呼ぶよ」
「はい!」
声は若い女の人のものだけど、ハッキリした口調をしている。
「今日はどうしたのかしら?」
「そ、そうですね……」
私は何をどこから言えばいいか考える。
「今日、バイト先に、すごくイヤな男の子がいたんです」
「ひーちゃんはその子に何をされたの?」
「私、飲食店でバイトしてるんですけど、私の料理を否定したんです」
「その子の口に合わなかったのかしら」
それは、そう。
「で、でも、私にとってはそれがそのお店で出せるたった一つの料理なんです。まだそれしか店長に認められてなくて、お店に出させてくれないんですけど、そのレシピはもとはと言えば、おばあちゃんから教わったもので、厳密には私が考えたレシピじゃないんですけど」
私は話しながら泣きそうになっていた。