第一章 月城明は地元に戻り、妹への気遣いからヒロインから嫌われる side ひなた(7/10)
Side ひなた
絶対に許さない。
私は抑えきれない怒りに拳を震わせていた。比喩や言い回しではない。本当に怒り、思わず握った拳に力がこもったのだ。
爪が手のひらに食い込んで痛いくらいに。
東京に住んでいた私が、中学を卒業してこの街にやってきたのは、こんな仕打ちを受けるためじゃない。あんなやつに否定されるために絵里子ちゃんを頼ってきたんじゃないのに。
料理上手なおばあちゃんに憧れて、子どものときからパティシエになるのが夢だった。
根っこにあるのは、何か美味しいものを作って、誰かに食べてもらいたいという思いで、それは子どものときに見た、台所に立つおばあちゃんの姿がもとになっている。
私は真剣だ。
本当は調理師免許の取れる都内の高校の栄養科学コースに進学するつもりだったのだが、両親が高校までは普通科に行きなさいと強く説得してきた。
大学からそういった学科に進んでも遅くはないし、他になりたい夢ができたときにやり直しがきくからと。
どうしても栄養科学コースに進学したかった私は親と衝突し、結果的に私が折れた。親の言うことはどこまでも正論だったから。大学からでも遅くはないし、普通科に行った方がやり直しはきく。
それはそうだけどさ……。
意地になった私は普通科ならどこでも良いだろう、と親を納得させ、神戸市にある岡本高校に通うことにした。お母さんの妹の絵里子ちゃんが、神戸でスイーツ専門の喫茶店をしていて、絵里子ちゃんの店で経験を積ませてもらえるようにお願いしたのだ。
絵里子ちゃんは快く受け入れてくれて、絵里子ちゃんのアパートの隣の部屋に住むことになった。
そんな私の決断までもあの男に侮辱されたような気がした。
クルミとみかんのロールケーキの注文が入ったとき、私はそれをどんな人が食べるのか、気になって厨房から出て、ホールを覗いた。
そこにいたのは私と同じくらいの高校生と、その妹と思しき中学生くらいの女の子だった。女の子の声は距離があって、上手く聞こえなかったが、男の方は厨房から近かったこともあり、良く聞こえた。
「う、まずい!!」
男の声がしたとき、身体から血の気がサーっと引いた。
美味しくないものをお客さんに提供してしまった申し訳なさと、私が作ったケーキが否定された衝撃で頭が真っ白になった。
だけど、好き嫌いは誰にでもあるものだし、そのまま手をつけずに帰ってくれたなら何の問題もなかった。悲しいことは悲しいけど、一か月もすれば立ち直れたかもしれない。
でも、その男は追い打ちをかけるみたいに、まるでマズいことをおもしろがるみたいに再びケーキを口にした。
「さ、最悪だよ。このケーキ、よくここまでマズく作ったなって感じ。さくら、本当に食べなくて正解だよ」
これ以上、聞いていられないと思い、私は厨房に戻った。
それからは何をどうしたかよく覚えていない。ただオーダーが入ると冷蔵庫からケーキを出したり、コーヒーを入れたり、そんな作業を呆然とこなした。
忙しくてよかった。
「ひなちゃん、お疲れー、今日はどうだった?」
みかんとクルミのロールケーキを否定されてから、二時間が経った。
私はいまだにショックから立ち直れないでいた。
カランコロンと来客を告げるベルが鳴り、ホール担当の平野さんの「いらっしゃいませ」という声が聞こえる。
「やっほー」
気が付くと、制服姿の早苗ちゃんがカウンターから厨房を覗き込んでいた。
「あ、早苗ちゃん、いらっしゃい」
私はほおを緩めた。早苗ちゃんはこの近くでバイトをしているらしく、ときどきお店に来てくれる。どこでバイトをしているのかは知らないが、なんでもすごく楽なバイトだそうで、イスに座ってお喋りをしていたら、がばっとお金が入るとか言っていた。そんなバイトがあるんだろうか。
「ここ座って良い?」
「いいよ。いつものやつでいい?」
早苗ちゃんはいつもここで紅茶とクッキーのセットを頼む。私は言いながらティーポットを準備する。
「いや、今日は体育があったからお腹すいた。たまにはケーキでも食べてみようかな」
早苗ちゃんはメニューを開いた。
「ケーキセットね」
「これ美味しそう! みかんとクルミのロールケーキにしよっと」
早苗ちゃんが言った途端、ドキンと心臓が跳ねた。背中がじんと熱くなり、息があがる。
「ダメ!!」
気が付くと私は言っていた。
「だめなんだ?」
「うん、それ失敗作なんだ。私が作ったケーキなんだけど、評判が悪くってさ、絵里子ちゃんが作ったケーキのほうが美味しいよ」
私は早口になっていた。
本当は食べてほしい。
食べてあの男の舌がおかしかったことを証明してほしいのだが、早苗ちゃんにマズいと言われたら立ち直れないような気がした。
せっかく作ったから誰かには食べてほしいのだが、早苗ちゃんはだめだ。せめて、知らないお客さんに一度、食べてもらってからでないと。
すぐに自分がとてもヒドい考えをしていることに気が付き、自己嫌悪に陥った。お客さんに優劣をつけるなんて最低だ。
らしくない。