第一章 月城明は地元に戻り、妹への気遣いからヒロインから嫌われる side 明(6/10)
さくらに私服に着替えるように言うと、俺もジーンズとティーシャツに着替える。
二人して家を出ると、駅に向かって歩き出した。駅と家のあいだには小さな商店街があり、その商店街の入り口にレオンズビルというビルが建っている。
なんの変哲もない普通のマンションなのだが、商店街の前ということで客が集まるのを見込んで、一階はテナントになっている。そこにラーメン屋、喫茶店、ブードゥー占いさちこと書かれた占い屋が入っている。
早苗がここでバイトしていると聞いていたが大丈夫か? ブードゥー教ってハイチのゾンビを作る宗教のことだろう。不気味過ぎて占ってもらおうという気にならない。
そこを通り過ぎると、スイーツ工房と看板がかかっている。どうやらスイーツが美味しい店のようで、店頭のメニューには様々なケーキの写真が貼られている。
「うわあ、美味しそうだね」
「そうだな、とりあえず入るか」
店に入ると店員さんが奥のテーブル席に通してくれる。このお姉さんも美人だが、噂の女子高生ではないのだろう。どう見ても二十代だし、女子高生は厨房で働いているといっていた。
「せっかくだし、ケーキを頼むか」
お腹は水でタプタプだったため、俺は飲み物を注文せず、ケーキを頼むことに。メニューには新発売のクルミとみかんのロールケーキというのがある。クルミとみかんは珍しい取り合わせだと思った。
メニューの空白いっぱいに手書きで書かれた「新発売」という文字にも惹かれた。コピックか何か、淡い水色のペンで書かれ、緑色のペンでギザギザと周囲を囲って強調している。
それともどうしても食べてみてほしいのか、これを書いた人の熱意が伝わってくる。
「俺は決めたよ、さくらは?」
俺は二人の間に置いたメニューをさくらが見えやすいように九十度回してやる。
「うわあ、ほんとだ。色んなケーキがあるね。わたしは何にしようかなあ」
さくらは一瞬目を輝かせた後、すぐさま表情を曇らせた。
「ううん、やっぱり飲み物だけにしよっと」
「ケーキは良いのか?」
「……うん。いらない」
「そうか、分かった」
店員を呼んで注文をした後もさくらは未練がましくメニューを開いていた。
あまり見ないようにしているが、やっぱり気になるようで顔をあげたまま、ちらりとケーキの写真を見る。さくらは宇治抹茶ケーキの淡い緑のスポンジケーキに見惚れていたかと思うと、ふるふると首を振って、メニューをぱたんと閉じた。
「どうしたんだ? ケーキ食べたいんじゃなかったのか?」
「ううん、食べたいんだけどね。実はわたし今ダイエットしてるんだ。お兄ちゃんが東京に行ってた間、わたし太っちゃったんだよね」
「成長期だし平気だろう」
「そんなこと言ってられないんだよ」
さくらが深刻な表情で言う。
「そうなのか?」
「そうだよ。お腹がぽっこりでて、幼児体系に逆戻りだよ」
「そんなに食べてたのか?」
「それもお兄ちゃんの責任だからね。お兄ちゃんがミスドに連れてってくれなくなったから、家で食パンを食べすぎちゃったの」
「それは悪いな……」
俺のせいで太ったと言われれば、家族の目が気になっている俺としてはかなり委縮してしまう。妹がいまさら戻ってきたことを非難している気さえした。
しばらくするとさくらが頼んだ紅茶とロールケーキが運ばれてくる。
とても美味しそうなケーキだった。
黄色いスポンジの断面図はきれいな渦を巻いており、その隙間にほどよくクリームが塗られている。クリームに紛れて、クルミの欠片や、オレンジの果肉が覗いている。
その光景は、ダイエット中のさくらには少々刺激が強過ぎたようだ。
「あああ、何も見えてない、何も見えてない、何も見えてない」
さくらがぎゅっと目をつむる。
「一口食べるか?」
「あああ、何も聞こえない、何も聞こえない、何も聞こえない」
「俺一人食べちゃって悪いな」
「ほんとだよ! 良いなあ、お兄ちゃんは学校にも行かずにケーキ食べれて」
「うぐっ」
俺はその言葉の裏に確かな毒を感じ取った。これはつまり俺がダイエット中の妹の前で一人ケーキを食べることを非難しているのだ。お前は一日中家にいて、一生懸命学校に行った妹の前でケーキを食べるのかと。自分だけケーキを食べてお前はそれで美味いのか、さくらはそう言っているのだ。
俺は震える手でフォークを掴むと、居心地の悪さを覚えながら一口口に運んだ。
「美味しい?」
「う、うま……」そこまで言った途端、さくらの顔が羨ましそうに歪むのが分かった。
「う、まずい!!」
「まずいの?」
「さ、最悪だよ。このケーキ、よくここまでマズく作ったなって感じ。さくら、本当に食べなくて正解だよ」
俺は額の汗を拭った。本当はこのケーキ、めちゃくちゃ美味しい。みかんの口あたりのいい酸味と、クルミの香ばしさが絶妙にマッチしている。しっとりとした生地とクルミのクリスピーな食感が病みつきになる。
だが、妹の前でうまいなんか言った暁には「こいつ、退学になって家に戻ってきたくせにのうのうとロールケーキを食いやがって」と思われるだろう。だから、俺はダイエット中の妹を刺激しないためにもマズいというしかなかった。
「そ、そんなにマズいと逆に気になっちゃうかも。やっぱり一口もらっていい?」
「ダメ!!」
俺はケーキの皿を抱え込んだ。
「なんでよ」
「本当に後悔するほど不味いんだよ。食べなくていいから、ダメだ。まずすぎてめまいがしてきたよ」
このケーキ、うますぎる!! うますぎてめまいがしてくるのだ。
「そんなにまずいなら無理して食べることないんじゃない?」
「これは退学になった自分へのお仕置きなんだよ。だから、無理して食べてるから、さくらがうらやましがることないんだぞ?」
俺はさくらに気を使って、心苦しい嘘をつかなければいけなかった。