最終章 月城明は覚悟を決め、ひなたは月城を許す side 明
「悪いことしちゃったわね」
ケーキを食べ終えて、クラスメートたちが解散したあと、俺は一人残って片づけを手伝っていた。
結局、ダメになったケーキは二つだけで、俺の食べるはずだったケーキと里美さんが自分の分にとっておいたケーキを回して、なんとか数を揃えた。
夏子は感情の起伏が激しいが、その分、性格はさっぱりしていて、「家までこれで帰るとか超恥ずかしいんだけど、でも、このケーキマジでおいしくない?」
と同じテーブルの女子と笑っていた。
「何が?」
「私がクラス会に出ろって言ったから、恥をかかせちゃったでしょ」
「いや、良いんだよ。けっこう楽しかった」
俺は皿をまとめて厨房に運び、汚れを水で軽く流して、食洗器に入れていく。食洗器が皿でいっぱいになると、食洗器を回す。
「でも、里美さんがこの喫茶店で働いてたとはなあ。俺、この喫茶店のクルミとオレンジのロールケーキが超好きなんだよ。クルミの食感と香ばしさが絶妙なんだよな」
俺はさくらと来たときのことを思い出した。
「うそ!? あんたまずいって言ってたじゃない! あそこの席で、まずいまずい、って面白がるようにして食べてた」
里美さんが一瞬目を見開き、すぐに怒りと戸惑いを含んだ目を俺に向けてくる。
「あ……もしかして里美さん、あのときいた?」
俺はあの日のことを思いだし、自分が何をしたか理解する。
「いたわよ。あんたが座ってた場所まで覚えてる。あそこの席の奥で、私はじめて注文してもらえたから、反応が気になってて様子を見てたのよ」
俺は今になって恐ろしくなってきた。
「それ、冗談じゃないよな?」
「ええ、だからあんたのことは大っ嫌いだった。ゴキブリが出たときも、昨日も下着泥棒にあったときも、しょうがなく助けを呼んだだけで、あんたのことが本当に嫌いだった。今日はいろいろと助けてくれたから、大っ嫌いから、嫌いに変わったけど、それでもあのことは許していないわ」
衝撃の事実に戸惑ったが、そう考えるといろいろなことが納得できた。
里美さんがはじめて会ったときから俺を睨んでいたのは、俺が里美さんと会う前から彼女を傷つけていたからだし、パンツを履かせようとしてきたのも、里美さんなりの仕返しで、俺が女物のパンツを履いているところを写真でも撮ってネットにあげるつもりだったんだろう。
「いや、違うんだよ。あれは嘘なんだ」
「嘘? 今さら見え透いた言い訳はやめて!」
里美さんの目尻がきっと釣りあがった。
「本当なんだ。俺、あの日、実家に戻ってきたばかりで、まだ新しい学校に通う前だったんだ。一日中家にいて、妹の顔色ばかりうかがってたんだ。その妹がさ、今ダイエットしてるとかで、ケーキを食べるのを我慢しててさ、そんな妹の前で「美味い、美味い」って一人だけケーキ食えないだろう? だから、あまり羨ましくならないよう、まず……いじゃなかった、美味しくないなあって、嘘をついたんだ。でも、実際はすごく美味かったぞ。だから、仲直りの印をプレゼントしたときも里美さんにも食べてもらおうと思って持っていきたかったんだけど、この店では作らなくなってたから、他の店で似たような味のケーキを買って持って行ったんだ」
釣りあがっていた里美さんの目尻が、俺が話をするうちに、垂れ下がってくる。ついに、泣きそうな表情になって、里美さんは何かをこらえるように唇をかんだ
「嘘……、じゃあ、本当は美味しいと思ってくれてたの?」
「当たり前だろ。メニューの新商品って文字からも自信が伝わってきてさ、食べる前から絶対美味いと思ってたよ」
「私に他の店のケーキを渡したのも、これを食って勉強しろって意味じゃなくて?」
「違う、違う。そんな性格の悪いことするわけないだろ。本当に食べてほしかったのは、このお店で食べた、みかんとクルミのロールケーキだったんだ。でも、この店では作らなくなっていたから、似たような味のケーキを持って行っただけだ。里美さんに里美さんの作ったケーキをプレゼントするなんておかしな話だけど、そのときはまだ、里美さんが働いている店だって知らなかったから」
「そんな……私、バカみたいじゃない……。一人で怒ったり、泣いたり、悩んだり……本当に傷ついたんだからね!? もうあのケーキ作れなくなったんだから……」
里美さんは唇を噛んで俯いた。
涙がこぼれて、頬を濡らした。
俺は気づかないうちにとんでもないことをしていたのだ。
俺は里美さんに近づき、彼女の頭に手を置いた。
「ばか……ばか……ばか……」
里美さんは泣きながら俺の胸を殴ってきた。
どん、どんっと重たい衝撃が伝わってきて、俺はどれだけ彼女を傷つけていたか理解した。
「ごめん、本当にごめん。でも、誤解なんだ。本当は人生で食べた中で一番うまいケーキだった。実家に戻ってきて、何にもいいことがなかったけど、あのケーキを食べたときは久しぶりに良いことがあったと思ったんだ。お世辞で言ってるんじゃない。本当にすくわれたんだ」
「遅い!! 遅すぎるわよ!! ばか!! ばか!! ばか!! ばか! ばか――、ばか……」
里美さんの攻撃が弱まり、罵声も徐々に勢いをなくしていった。里美さんは、最後には俺のシャツを掴んだまま、動かなくなり、すすり泣きの声だけが小さく聞こえていた。
「うん、本当にごめん」
俺は里美さんを抱きしめた。それ以外に俺ができることはなかったし、何を言っても言い訳にしかならないだろうと思った。
里美さんは嫌がるでもなく、すなおに腕の中で泣いていた。
里美さんが泣き止むまで俺はそうしていた。
里美さんが泣き止み、俺が離れようとすると、彼女は俺のシャツを掴んだまま離さなかった。
「……里美さん?」
「まだ……もうちょっと……」
「いや……でも……」
「いいから、じっとしてて……」
気まずい沈黙の中、里美さんに腕を回して固まっていると、「ぎゅるるるるる~~~」と間の抜けた音が響いてきた。
「里美さん、お腹すいた?」
考えてみれば、二人とも朝から何も食べていなかった。
「わ、私じゃないし!! 月城でしょ」
確かに互いの体が密着していて、どっちのお腹が鳴ったのか、ハッキリしない。言われれば自分のお腹が鳴ったような気もしてくる。
「早く片付けて、駅前のミスド食べに行かないか?」
「なんで」
「なんでって、お腹すいたし、お詫びにミスドでも奢ろうかと。嫌なら行かなくてもいいけど」
「行く」
里美さんはさっと体を離して、片づけの続きを再開した。
「また作ってくれるよな? みかんとクルミのロールケーキ」
俺は残りの洗い物を食洗器に入れながら言った。誤解が解けたなら、またあのケーキがショーケースに並ぶはずだ。このまま一生、里美さんがあのケーキを作らなくなったらと思うと、本当に誤解が解けてよかったと思った。
「ふん」
里美さんが機嫌悪そうに鼻を鳴らした。
「俺、本当に好きなんだよ、あれ。また食べにくるからさ」
ふと視線を感じて振り向くと、里美さんは再びうるみ始めた瞳を俺に向けていた。
「うるさい、月城には一生作ってあげない」
里美さんはプイッと顔をそむけた。
最終章 月城明は覚悟を決め、ひなたは月城を許す〈終〉