最終章 月城明は覚悟を決め、ひなたは月城を許す side 明
里美さんは女子のテーブルにチョコケーキを運んでいる最中だったが、俺の方に気を取られて、横目で俺の方ばかり気にしていた。
里美さんはきゅっと目を閉じて、小さく俯いた。
「ほんとごめん! 近況報告がはじまるなんて思ってなかったのよ」
何度もそう謝るように、俯き、俺に視線を向ける。
里美さんが体のバランスを崩したのはそのときだった。俺の方に意識を向けていたため、テーブルの足に躓いて、お盆をひっくり返したまま盛大に転んだ。
ガシャンっ、とすごい音がして、運んでいたケーキごとソファに突っ込んだ。
「ちょっと、何するのよっ!!」
夏子が金切り声をあげる。そっちを見やると夏子のワンピースがチョコまみれになって、里美さんは顔にチョコをかぶったまま、深刻な表情で頭を下げている。
「ごめんなさい、ちょっとつまずいちゃって……」
「どうしてくれんのよ、この服! 全然店もあけないし、ケーキ、ぶちまけるし、この店、どうなってるわけ?」
待っている段階からピリピリしていた夏子が怒りをぶちまけた。里美さんは泣きそうな表情で、何度も頭を下げている。
「なあ、月城、黒ギャルの彼女を作ってくるんじゃなかったのかよ」
向かいに座る今井は店の構造上、奥の惨事にまだ気づいておらず、そう茶化してくる。
俺は答えを求められて、口内で舌を噛んだ。そっちはどうこたえようか、奥の席ではブチ切れた夏子が金切り声をあげて、里美さんは委縮しきった表情で何度も頭を下げている。
「あんた、どんだけどんくさいのよ! 店を任されてるのが不思議だわ!」
夏子が履き捨てるように言って、気が付いたときには、身体が動いていた。俺は夏子のいるテーブルに向かうと、チョコをかぶって真っ黒な里美さんの肩を抱いた。
「東京で黒ギャルの彼女を作る予定だったけどさ、この子を追いかけて戻ってきたんだよ。真っ黒ですげータイプなんだよな」
俺はそう言うと里美さんの頬についたチョコを指ですくい、ぺろりとなめて笑って見せた。
途端に「ひゃーっ」っと女子たちがドン引きして、一部の男子が苦笑し、一部の男子が笑い転げている。今井は「誰がうまいこと言えって言ったんだよ」っと言って手を叩いている。
視線は俺たちだけでなく、夏子にも集まっている。
夏子は、自分も一緒になって笑われていることに気が付いたのか、急に大人しくなり、
「わ、悪かったわね。今日、ちょっとアレの日でイライラしてたっていうか。顔洗ってこれで拭いてきなさい。そのままだと月城が絡まれるでしょ」
と顔を赤くしてハンカチを渡しはじめる。
「ヤバ、ほんとチョコまみれだね。夏子大丈夫?」
夏子のフォローは早苗がしてくれて、彼女のワンピースについたチョコを取り除き、胸元の汚れを濡れたタオルで叩いている。
「ほんとサイアク。洗濯して取れるかな」
「絶対とれるって、大丈夫、大丈夫」
早苗が夏子の頭を撫でる。
俺は失笑とドン引きと、一部の内輪的な爆笑の中、自分のテーブルに戻った。
里美さんはハンカチを握って、厨房に戻っていくが、そのとき俺の方を振り返って、何か言いたげな視線を俺に送ってきた。
俺は少しだけ反省した。
咄嗟のこととはいえ、俺がしたことはベストな方法とは言えなかった。里美さんにまで恥をかかせちゃっただろう。でもまあ、夏子はその前からピリピリしていたわけで、あそこまで怒ったら二人だけでは収集がつかなくなっていただろう。
「でも、俺はあそこで動けたんだ」
俺は誰にも気づかれないように小さく呟いた。
たぶん、中学のときの俺はこんなふうに自分が恥をかいてまで、誰かを助けようとはしなかっただろう。一人暮らしを頑張っている里美さんにここまで感情移入することはなかっただろうし、俺がなんとかしてあげるんだとも思わなかったはずだ。
言い聞かせるように言ったが、自分でももうわかっていた。あの一人暮らしは何もかもが
無駄だったわけじゃない。
代償は大きかったが、それなりのものを俺は得たのだ。だからといって、堂々と胸を張れるわけではないが……。
「大丈夫だ、俺は大丈夫」
だから、俺は誰にも気づかれないようにもう一度呟いた。