最終章 月城明は覚悟を決め、ひなたは月城を許す side 明
「まだ間に合うよ」
「え?」
「俺が店まで送るよ。自転車なら五分とかからないだろ? 俺が厨房に入ってケーキ作りを手伝うよ。ホールのスタッフが来るまで、俺がホールも回す。二人ならきっとなんとかなるだろ? 早く行こう。早苗らが帰っちゃわないうちにさ」
「でも……」
「急がないと本当に間に合わなくなるぞ」
「それは……そうだけど……」
「何が問題だ? ケーキなんて手抜きの一番早くできるやつを作ればいいし、紅茶は俺が入れる」
「月城は良いの? 地元に戻ってきてること、中学の友だちにバレちゃうのよ? 冷やかされるかもしれないし、バカにされるかもしれない」
「良いんだよ」
「よくない。月城はクラス会には出たくなかったんじゃないの?」
想像するだけで冷汗が出た。クラス会のために喫茶店に集まったら、そこのホールスタッフが、東京で一人暮らしをしていたはずのクラスメートがいる。みんなは奇異の眼差しで俺を見るだろう。クラス会には出ないって言っていたくせに、なんでこんなところでバイトをしているんだという話になる。
体調を崩して親に連れ戻されたことを隠して、クラス会にも出ず喫茶店でバイトをしていたなんて、見られたざまじゃないだろう。
正直に言うと、俺はクラス会なんかには一ミリも関わりたくなかった。でも、里美さんがバイトをやめさせられて、実家に連れ戻されることだけはどうしても許せなかった。
「ここで話している時間はない。とにかく行こう」
俺は里美さんの手を取ると、鍵を握らせた。
「分かった」
里美さんはうつむいたままこくりと頷いた。
俺は早苗にもう少しだけ待っててもらうようにメッセージを送った。
顔を洗って、服を着替えると、里美さんは髪をとかすこともなく乱暴にポニーテールを作った。身だしなみを整えたのはそれだけで、日焼け止めや化粧水も塗らなかった。
俺は自転車の荷台に里美さんを乗せて、ペダルを思いっきり踏み込んだ。
店まで全力でペダルをこぐ。
自分のしようとしていることを理解していた。
冷や汗が止まらず風が異常に冷たかった。
俺は赤信号を強引にわたった。止まってしまったら、そのまま動けなくなりそうだった。今でさえ、何もかも放り出して逃げたいくらいだった。
「正直に言うとさ、本当にクラス会には出たくないんだよ。中学の友だちからすると、『え、月城がなんでいるの? お前、一年ももたずに帰ってきたのかよ』って感じだろ? それをクラス全員に知られるわけだからさ」
俺は自分に言い聞かせるように話しはじめた。そうしないと、闘志が一瞬で萎えてしまいそうだった。
「本当にきまりが悪いんだよ。地元にいるのが、とにかく辛い。誰にも会いたくない」
「じゃあ、なんで? なんで、手伝ってくれるの?」
「でもさ、俺が半年の一人暮らしと、東京での生活で得たものは痛みだけなんだよ。一人暮らしの大変さとか、寂しさとか、地元に連れ戻される痛み、地元の友だちに冷やかされるんじゃないかっていう恐怖。俺が得たものは本当にそれだけなんだ。だから、里美さんの気持ちがわかる。里美さんの絶望が分かる。こんなに共感できるのに、里美さんに手を差し伸べられないなら、俺が一人暮らしをした意味は一つもないだろ?」
それが俺の本心だった。
里美さんの気持ちが誰より分かるのに、もし、里美さんを助けてあげられないなら、俺はこの半年を誇れないだろう。でも、里美さんを助けられたなら、痛みが分かるようになったことだけは、中学生の俺とは違うんだって言えるはずだ。
「ありがとう、月城」
腰に回された手に、力がこもった。
「気にしなくていいよ。里美さんは自分のために頑張ればいい」
店の前にはすでにクラスメートがそろっており、いくつかの島を作って、口々に話していたが、どこか待ちくたびれた様子で周囲を見回す奴もいて、早苗は一人不安そうにスマホを握りしめていた。
「ちょっと通してくれ!」
俺が店の前に自転車を止めると、里美さんは裏口の鍵を開けて、中に入り、それからシャッターをあげて、店を開けた。
「ちょっとだけ掃除するから、ほんのちょっとだけ待ってて? ごめんね!」
里美さんは早苗に向かって言うと「月城、来て」といって俺の手を引いた。
「あれって、うちのクラスの月城? あいつ、こんなところで何してんの?」
あの頃と変わらないギャルの夏子が、遠慮のない口調でそう言い、クラスメートの視線が一斉に俺に注がれる。
俺は俯いたまま逃げるように店内に入った。