最終章 月城明は覚悟を決め、ひなたは月城を許す side 明
Side 明
先ほどまで怒っていた里美さんがやけに優しい。
俺は薄気味悪いものを感じながら、里美さんの方を見た。
時刻は一時。
里美さんはさっきから何度もベッドを譲ろうとしてくる。泊まってくれたんだし、床で眠らせるのは申し訳ないと。
どうも様子がおかしい。
なぜか俺の顔をまっすぐ見ようとしないし、かと思えば俺が視線を外すと、顔色をうかがうように俺を見てくる。
「ほら、月城、早くベッドに行きなさい。私は下で良いから」
「里美さんがベッドで寝ればいいだろ。明日は大変なんだし、しっかり休んだ方がいい」
何度目かのやりとりで俺は強引に里美さんをベッドに寝かせた。
そして、俺は床の座布団を縦に並べて、そこに寝転がった。
「じゃあ、寝るわね」
「おう」
里美さんが電気を消して、視界は真っ暗になった。
俺は眠りにつこうとするが、慣れない環境だからか、やたらと寝心地が悪いことに気が付いた。やっぱり、ジーンズだとリラックスできない。さっきから、腰の周りが妙に締め付けられるのだ。
それでいて肌を包み込む感触が妙に柔らかい。
最近太ったから、パンツがきつくなったんだろうか。
実家に戻ってきてから、三食、まともなものを食べるようになった。一人暮らしをしていたときは、メンタルをやられてからは一日一食が当たり前で、それもカップ麺やコンビニ弁当ばかりだった。
実家に戻ってきたときは、さくらに泣かれるほど瘦せていたのだ。
だから、少し太ったのはいいことだが、こんなにパンツがきつくては喜んでもいられない。
俺は寝苦しい座布団の上で、何度も寝返りを打った。
そわそわとして落ち着かない気分だった。
「ちょっとトイレ」
俺は立ち上がると、ワンルームから通路に出て、浴室の手前にあるトイレに入った。ズボンを下ろして、便器に座る。
小便をするときに便器に座るなんて男らしくないかもしれないが、女の子の家でトイレを汚すわけにもいかないので、座って用を足すことにした。
「やっぱり太ったのかなあ。パンツがきつくなったような気がするんだよなあ」
俺は言いながらパンツを見た。これは自分が持っているパンツの中でも比較的ゆるいものだったか、それともぴったりめのものだったか。ゆるめのパンツがきつくなっているなら大変だと思って、パンツを確認した。
「そうそう、これはだいぶ前からあるピッタリ目のパンツで……」
「え、なんでピンクになってるんだ!?」
俺はずり下ろしたズボンの中を二度見した。
知らないうちに自分のパンツが淡いピンク色になっていた。
「なんで? 俺、痔になったのも気づかないまま洗濯しちゃった?」
俺は小便を中断すると、慌ててズボンを脱ぎ、ズボンの中からパンツを引きずり出した。
「良かった、これ女物のパンツだ」
痔にも気づかないほど、ぼんやりしていたわけではなかったから、それは良かった。
「って何にもよくないわ!! というか意味が分からないんだけど!?」
さくらのパンツを間違えて履くはずもないし、女物のパンツを間違えて買うこともない。
何が起こったのか、全く分からないまま、自分が二重人格なのではないかという疑念に取りつかれて怖くなる。記憶がないうちに第二人格の俺が女物のパンツを履いていたということだろうか。
しかし、よく考えるとこのパンツには見覚えがあった。ある日、俺のことを好きだという女子から、このパンツを履いてくれと手紙で送られてきたものが、こんな形だったし、学校の水道で、里美さんにズボンを濡らされたときに渡されたパンツもこんな柄だった。
というか、里美さんは何度も俺にパンツを履かせようとしてきたわけで……。
だとすると、考えられるのは一つしかなかった。
俺は用を済ませると、トイレを出た。
暗闇の中、感覚を頼りにベッドの上に上がり込むと、眠っているであろう里美さんの肩を掴んだ。
「里美さん……、なんで俺がここに来たか分かるよな?」
「ひぃっ……いやっ……月城っ、これはちょっと強引よ?」
里美さんがくぐもった声をあげた。
「一回目はイタズラだと思って無視したんだ。二回目はわざとじゃないと思って、気にしないことにした。でも、三回目となればもう我慢の限界だ」
「我慢の限界……確かにお風呂に入る前はちょっと思わせぶりなこと言ったかもだけど、べ、別に今晩どうにかなろうとか思って言ったわけじゃないし……。そんなあんたが我慢できないとか……知らないんだから……」
里美さんの語気がだんだん弱くなる。
「この期に及んでまだそんなことを言うのか? どうにかどころか、なるところまで、なっちゃってるだろうが」
俺は女物のパンツ履かされちゃっているんだ。これ以上、どうにかなりようがあるか?
「た、たしかに客観的に見たら、私の家でお泊りしてるわけで……言い逃れはできないけど……でも、こんなの……きっとよくないわ……」
「良くないんだよ。それをしたのは里美さんだろう」
俺は里美さんの腕を掴むと強引に彼女を起き上がらせた。
「ちょっとっ……分かったから、もっと優しくして……」
里美さんは諦めたようにおとなしくなると、俺の腕を握り返してきた。
俺はそのあたりで何かが食い違っていることに気が付いた。
俺は女物のパンツを履かされたことを問い詰めたかったはずなのに、里美さんは震える手をすがるように俺の腕に添えている。
どこでどう間違ったんだ。俺はベッドの上に置かれた蛍光灯のリモコンを取ると、とりあえず電気をつけてみた。
「へっ……?」
電気が付くと、里美さんの顔が思っていたよりも近くにあることに驚いた。里美さんは切なげに瞳を閉じて、震える唇を俺に向けている。艶っぽい上唇がつんと上を向き、次の展開を待ちわびているように見えた。
え、これ里美さんのキス顔……?
あまりのいじらしさに俺の心臓がドキンと跳ねた。
しかし、その表情はほんの一瞬のもので、すぐに蛍光灯の明かりに反応して眩しそうにきゅっと目を閉じてしまう。
俺は今の表情の意味を確かめる暇もなく、すぐさま手に持ったパンツを突き出した。
「これはどういう意味だ?」
「へっ?」
「このパンツだよ。なんで俺に女物のパンツを履かせたんだ? そもそもどうやって履かせたんだよ?」
「あぁ……そのことね。分かってたわよ、そのことだって……。それは……その……あんたをちょっとからかってみようと思っただけよ」
里美さんは一瞬、思案するように視線を泳がせた。
「からかってみた?」
「そ、そうよ。あんたが転校生だからちょっといじめてみたくなっただけ。どうやって履かせたかは簡単よ。あんたがズボンもパンツも一緒に脱ぎ捨てて置いてあったから、その中のパンツと私のパンツをすり替えておいたのよ。それをよく見もせずに履いてあんたってほんとバカね」
里美さんはそういったあと俺の顔をうかがうようにみた。
「そのために俺を泊まらせたのか?」
だとしたら最低だと思った。
「え……いや、それは違うのよ。下着泥棒にあったのも本当だし、一人じゃ安心して寝れそうになかったのも本当。私、そんなことまでするような女じゃないから。月城がシャワーを浴びてるときに、これ、パンツをすり替えても気づかずにそのまま履くかなあ、履いたら面白いなと思っただけなのよ」
里美さんはしどろもどろになりながらそう言った。すべてがこのために仕組んだ嘘だと思われるのは里美さんとしても不本意なようだ。
確かに、セーラー服はなくなっていたし、助けを呼ぶときの声も演技には思えなかった。
「本当にからかってみただけなんだな?」
「ええ、そうよ。もうしない。本当にしないから」
「そうか、それならいい」
「それで、どうたった?」
里美さんは俺の顔をちらりと横目で見る。
「何が?」
「私のパンツを履いてみて、どうだった? エロかった? 恥ずかしかった?」
「い、言うわけないだろ!」
俺はたまらずベッドから降りた。
改めてそんなことを聞かれると、俺は里美さんのパンツを履いてしまったんだという実感がわいてくる。
里美さんが普段履いていて、お尻とかふとももとかをぴったり包み込んでいたパンツが、俺の体に密着していたのだ。
ドキッと心臓がはねた。
不意に里美さんの下着姿が脳内に浮かぶ。里美さんのこぶりなお尻とか、頼りなくきゅっと絞られたくびれを想像してしまう。
さっきまではなんともなかったはずなのに、今になって背中が熱く、じっとりと汗ばんできている。
後ろをちらりと振り向くと、里美さんはどこか満足そうに俺を見ていた。
「なんで、ちょっと満足そうなんだよ」
「べ、別に、そんなことないし……」
里美さんが視線をそらした。
からかわれていることに気が付いて屈辱を感じた。
それなのに、その屈辱感に陶酔しそうになる。満足げな里美さんの目が俺を見下しているにも関わらず、目の前の里美さんに、下着姿の彼女が重なり、被虐的な気分にくらくらしてくる。
「あ、洗え!!」
俺は開きかかった変態の扉を閉じようと、里美さんにパンツを突き出した。




