最終章 月城明は覚悟を決め、ひなたは月城を許す side ひなた
ふと何気なく部屋を見渡したとき、うっすらと違和感のようなものを感じた。
私の部屋には小さなベランダにでる南向きのガラス窓があって、そこにお気に入りのネコのカーテンをかけている。
洗濯物を干したときに、きちんと締め切らなかったのだろう。左右のカーテンに五センチくらいの隙間ができていた。
そのカーテンの隙間を何か黒いものが横切った。
何だろうと思って、目を凝らすと黒い影がちらちらと動く。カラスでも来たのだろうか、洗濯物の上に止まられたらイヤだなあと思ってカーテンをさっと開ける。
女一人で暮らしているから、下着や肌着の類は外に干さないようにしている。だから、下着泥棒という可能性はまったく考えなかった。
けど、その数秒後には、自分が無警戒にカーテンを開けたことを後悔していた。
「っ……」
私は凍り付いた。
そこにいたのは男性だった。
どこからあがってきたんだろう。
マスクとサングラスをした体格のいい男の人が、洗って干していたセーラー服を掴んでいる。
「ウソ……」
ふいにカーテンが引かれて、男がびっくりしたように振り返った。男はガラス越しに私を指さして、私を脅かすようにガラス扉を殴る真似をした。それから私の制服姿を想像するかのように、セーラー服を撫でまわし始めた。
咄嗟にガラス扉の鍵がかかっていることを確認した。
そして、腰が抜けそうになった。
私はもつれる足で、部屋を飛び出すと、隣の部屋のインターフォンを鳴らした。
「絵里子ちゃん! 助けて!! ベランダに変な男がいるの!! 開けて!」
インターフォンを連打しながら、ドアをどんどんと打ち鳴らした。すぐに返事があるものだと思ったが、反応がない。
そこで私は絵里子ちゃんが旅行に行ったのを思い出した。
「どうしよう……」
部屋に戻る勇気はない。窓ガラスを割って侵入してくるような気がした。かといって、マンションの外に出るのはもっと怖かった。マンションを出たところであの男と鉢合わせになるかもしれない。
私は絵里子ちゃんの部屋のドアの前に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……」
動けない。呼吸が乱れて苦しい。
「どうしよう、どうしよう。誰か……誰か……」
私はスマホを取り出して、誰かに助けを呼ぼうとラインの友だちリストを表示させた。お母さんもお父さんも東京だ。熊谷さんはうちの場所を知らない。そういえば私は友だちを家にあげることがほとんどないから、私の家を知っている人は限られている。
私はそこでリストの中に「月城」の名前を見つけた。
月城は何度か、うちに来たことがあった。一度目はゴキブリを退治してくれたときで、二度目は一昨日。一人暮らしの私のために早苗ちゃんとカレーを作って食べに来てくれた。
彼なら、場所も分かっているはずで、ここまで来てくれるんじゃないか。
私はわらにもすがる思いで月城に通話した。
「はい、もしもし?」
月城の声が聞こえた途端、身体の力が抜けた。その場で泣きだしてしまいそうなくらい安心したが、下着泥棒がどうなったか分からず、泣くわけにはいかなかった。
「月城……、い、いま、下着泥棒みたいな男がベランダにいたの。た、助けに来てくれない?」
「……分かった。すぐ行く」
「だめ、切らないで!」
私は叫んだ。
「え?」
「繋いでて。返事しなくていいから」
「分かった」
私は月城を待つ間、口元を手で覆いながら廊下を凝視していた。
下着泥棒が廊下から来たら、部屋に逃げよう。
部屋から来たら、廊下に逃げようと思って、ドア越しに中の様子をうかがう。
物音はしない。
ああいう人は私を襲いにくるんだろうか。それとも警察を恐れてもうどこかに行ったのか。男の思考回路なんて全く予想ができなかった。
待っていると、カツン、カツンと階段を上がる音が聞こえてきた。
月城だろうか。それともあの男だろうか。
私は戦々恐々として廊下を見ていた。
カツン、カツン、と音が続く。
月城なら急いで来てくれるだろうから、もっと足早に階段を駆け上がるような音がするのではないか。そう思ったけど、階段の音がゆっくりに聞こえるのは、自分が怯えているせいかもしれない。
「月城……早く来て……」
私がすがるように呟いたとき、廊下の向こうに月城の姿が見えた。
「大丈夫か?」
月城が言った。
「うん、来てくれてありがとう」
私はふいに溢れた涙を手で拭った。




