第一章 月城明は地元に戻り、妹への気遣いからヒロインから嫌われる side さくら(2/10)
「もっと喜んでよ。幸せのおすそ分けなんだよ?」
「返品します」
「返品しないでよ!」
美央ちゃんは分かってないのだ。
お兄ちゃんが帰ってくることがどれだけ嬉しいことか。
両親が共働きの我が家では、小学生の頃から夜八時に両親が帰ってくるまで、二人っきりだった。晩ご飯は近所に住むおばあちゃんが作ってくれていて、子どもだけでそれを食べなさいと言われていたのだが、家族みんなで食べたくて、二人が帰ってくるのを待っていたのだ。
だけど、その間どうしてもお腹がすいてしまう。そんなとき、お兄ちゃんはよくミスドとか、ファミレスに連れて行ってくれた。
お兄ちゃんはわたしをミスドに連れていくために、お小遣いをほとんど使わなかった。本当は買いたいゲームとかおもちゃがあったはずなのに、週に一回か二回、二人でドーナッツを食べるのに使ってくれた。
そういう日が週に一度あるだけで、晩ご飯を食べずに両親を待つのが苦にならなかったのだ。
その習慣が今年の春まで続いていた。
お兄ちゃんが一人暮らしを始めてわたしはずっと一人になった。八時までお腹が空いても、ミスドに行くことはなくなり、わたしは家で空腹を紛らわした。
そんなときはいつも食パンを食べるのだが、一人の家で食パンを齧っても惨めなだけで、空腹は少しも癒されない。
寂しさを少しでも満たしたくて、わたしは食パンを二枚も食べてしまう。そのあと八時にも夕食を食べるから、お兄ちゃんが一人暮らしを始めてから私の体重は急激に増えている。しかもその太り方が全然ダメで、身長は少しも伸びないのに、お腹だけがぽっこりと出てしまったから恥ずかしい。
たしかにせっかく東京の高校に入ったのに、不眠症から不登校になって、それがお母さんとお父さんに伝わり、実家に戻ってくることになったのだ。たぶん、喜んじゃいけないのだろうけど、わたしとしてはやっぱり嬉しかった。
「ということで、この唐揚げあげるね」
わたしは美央ちゃんにそう説明して、唐揚げを突き出した。
「さくっち、これこそが幸せのおすそ分けだよ?」
美央ちゃんは図々しいことを言って、唐揚げにかじりつく。
「違うよ。これはただの残飯処理。お兄ちゃんが帰ってくるならダイエットしないとね」
「なにそれ、兄貴が帰ってくるからってわざわざダイエットしてやるの?」
「お兄ちゃんは世界一、優しくて、世界一、繊細で、世界一、頼りになるの」
お兄ちゃんに太った姿は見られたくなかった。
「むむ……それは聞き捨てならないことを言いましたな。言っておくけど、世界一、優しいのはうちの早苗姉さんだからね? 世界一、繊細なのも早苗姉さんだし、世界一頼りになるのも早苗姉さんだから!!」
美央ちゃんは急にムキになってそんなことを言い出した。
美央ちゃんには二歳年上のお姉ちゃんがいる。美央ちゃんはお姉ちゃんっ子だから、意味の分からないところで急に負けず嫌いになるのだ。
まったく子どもっぽいというか、みみっちいというか。美央ちゃんが張り合ってくるせいで、私たちはときどき兄、姉自慢で言い合いになることがある。
「ふーん、うちのお兄ちゃんの方が優しいに決まってるんだけど……。じゃあ、早苗ちゃんはリビングで寝てたら、風邪引かないように毛布を掛けてくれる?」
「はん! その程度なんだ。早苗姉さんなんか、美央が居眠りして風邪ひかないようにってリビングのソファを早苗姉さんの部屋に持って行ってくれたんだよ?」
「それ、ソファ私物化されてるだけでしょ」
「ち、違うし! じゃあ、さくっちのお兄ちゃんは、さくっちのことを歌にして歌ってくれる?」
「う、歌? 早苗ちゃんは美央ちゃんの歌を作ってくれるの?」
「ほうら、やっぱり。そんなことしないでしょ。さくっちのお兄ちゃんは所詮、その程度」
「するし!! お兄ちゃんだって、さくらの歌を歌ってくれるもん。それにわたしのお兄ちゃんは料理が上手い!!」
むきになって嘘をついてしまったが、もう後には引けない。お兄ちゃんがさくらの歌を歌ってくれたことなんかないけど、この際事実はどうでも良い。この勝負に勝つことが大事なのだ。
「早苗姉さんだって料理上手ですから。それに早苗姉さんはセクシーなパンティを履いてるんだよ?」
「わ、わたしのお兄ちゃんだってセクシーなパンティくらい履いてますから!!」
「それはキモすぎるでしょ」
「美央ちゃんが知らないだけだよ。男の人も大人になったら、レースのひらひらのセクシーなパンツを履くんだから」
「し、知ってるし。それくらい常識じゃん? うちのお父さんだって履いてるから」
口から出まかせを言ったつもりが、ものすごい誘導尋問になってしまった。まさか美央ちゃんのお父さんがそんなパンティを履いているとは。
「それにお兄ちゃんは手が大きい!」
わたしは慌てて話題を引き戻した。
「早苗姉さんは占い屋さんでバイトしてる!!」
「なっ……」
負けたと思った。お兄ちゃんは占い屋さんでバイトなんかしてない。