第一章 月城明は地元に戻り、妹への気遣いからヒロインから嫌われる sideさくら(1/10)
一章 月城明は地元に戻り、妹への気遣いからヒロインに嫌われる
Side さくら
早く言いたい。
うずうずと落ち着かない気分がずっと続いている。
誰かに言いたい。今すぐ誰かに言いたい。
だけど、わたしはじっと黙っていることしかできない。
理科の松下先生が教壇に立って、電磁誘導についての解説をしている。
本当は授業なんて頭に入ってこない。今すぐ授業を中断していて、自分の頭の中にあることを教室中に発表したいくらいなのだ。
時計を見る、あと一分でチャイムが鳴る。そうすれば昼休みになって、わたしは美央ちゃんと一緒にお昼を食べる。
いきなり「美央ちゃん聞いて!!」って言えるだろうか。美央ちゃんの方に話したいことがあったら、どうしよう。相手の気持ちも考えずに自分の言いたいことを一方的に語るオタク語りになってしまったらどうしよう。
いや、それでもいい。オタク語りになりたい。
チャイムが鳴って、授業が終わる。松下先生はすでに解説を済ませて、委員長に号令の合図を送る。
わたしは委員長が号令と言わないうちに立ち上がった。
昼休みになると、美央ちゃんはいつものように、お弁当を持ってわたしの席に近づいてくる。前の男子の椅子をくるりとわたしの方に向けると、「お腹すいた~」と言いながら、そこに座る。
美央ちゃんは結び目の固さに苦戦しながら、お弁当の包みを開いた。それから、わたしの顔を覗き込む。
「あれ、さくっち今日は機嫌が良いね!!」
美央ちゃんこと、九兵衛美央はわたしのことをさくっちと呼ぶ。月城さくらだから、さくっちだ。ほんとうのことを言うとちょっとまぬけなニックネームだとは思うが、美央ちゃんからそう呼ばれるのは嫌ではなかった。
美央ちゃんはちょっとした変化によく気が付いてくれる。
「さすが美央ちゃん! どこでそう思うの?」
わたしはそこでようやく頬を緩めた。
朝起きたときからずっとうれしい気分だったのだが、何もないのにニヤニヤしていると思われるのが嫌で、ポーカーフェイスを保っていた。
それでもわたしの機嫌が良いのを悟ってくれたのは、さすがというしかない。さすが美央ちゃん、だてに付き合いが長いわけではない。
「どこってさっきからずっとニヤついてたじゃん」
「ウソ? わたし、ちゃんと真面目な顔してなかった?」
わたしは思わず頬を触った。だって、この表情で登校して、この表情でホームルームを受けて、この表情で体育の持久走を走ったのだ。
その間、にやけそうになる頬を引き締めているつもりだったのだ。
朝一の持久走で、グラウンドを七周もしながらずっとニヤニヤしていたとすれば、わたしは完全な変人だと思われたに違いない。
「全然、教室にイルカが紛れ込んできたのかと思った」
わたしは去年水族館で見たイルカを思い浮かべる。プールから顔を出して、観客を見上げるイルカは、口角がくいっとカーブしていて、常に笑っているように見えた。あんなに口角があがっていたら大変だ。
「そんなに?」
「で、どうしたの? なにか良いことでもあった?」
「うん、それはもう。今年に入って一番、良いことがあったんだ」
「ははあ、さては彼氏ができたとか?」
「その程度で朝からニヤニヤする女の子じゃありませんから」
「じゃあ、なによ。朝からニヤニヤするくらいなんだからよっぽど良いことなんでしょう? 美央にも幸せのおすそ分けしてよ」
幸せのおすそ分け。なんていい言葉なんだろう。わたしがずっとしたかったことはそれだと思った。だって、おすそわけしなきゃ、にやけ顔が取れないくらいなんだから。
「じゃあ、美央ちゃんにも教えてあげるね。今朝、お母さんに教えてもらって知ったんだけど、お兄ちゃんが退学したの!!」
わたしは喜びを分かち合えると思って美央ちゃんを見たが、美央ちゃんが顔をしかめたまま五秒ほど停止した。
「さくっちのお兄ちゃんって痴漢学校に行ってたんだっけ?」
「なにその痴漢学校って!」
「ほら言うじゃん。夜の校舎でいかがわしいことを教えてる学校があるって」
「それは夜間学校だよ」
夜間学校でいかがわしいことを教えているなんてすごい誤解だけど、面倒なので訂正しなかった。
「いや、だって退学して嬉しいって言うから、てっきり変態の学校に通ってたのかと」
「ううん、確かに嬉しいとは言ったけど、別に退学したことがうれしいんじゃないんだよ」
これは、わたしの言い方が悪かったと思った。
「お兄ちゃんは二学期になって不眠症から不登校になったの」
「それは嬉しいよね。朝からニヤニヤが止まらないはずだ」
「これは嬉しくないんだって」
「お兄ちゃんって東京の高校に行くために一人暮らししてたんだけど、それですっかり不登校になって、一人暮らしもままならなくなって、お父さんに連れ戻されたんだよ」
「分かった! お父さんが東京に行ってる間に、好きなテレビが見られるんだ!!」
「そんなことで朝からニヤニヤすると思う? もう、早くあててよ、美央ちゃん。それか黙って聞いてて」
早くこの喜びを共有したい。美央ちゃんに幸せのおすそ分けをしてあげたいのに、美央ちゃんに話の腰を折られてばかりだ。
「だって分からないんだもん」
「分かるでしょう? お兄ちゃんが、うちに帰ってくるんだって。それが嬉しいんだよ。またお兄ちゃんと住めること」
キャーッと歓声をあげて、手を合わせてくれると思ったのに、美央ちゃんは退屈そうに顔をしかめ始める。
「なーんだ、そんなことか」