第七十二話 CASE 心同 繋:極めるカルチャー秋の陣 3
「フォッフォ!お主も相変わらず丸いの。性根は尖っておっても体型はこのように昔から丸い。良き良きフォッフォ!」
フォッフォと笑いながら坊さんは校長のタヌキ腹をポンポンしている。弾力がすごい。
「お主も滝に打たれるが良いぞ。校長とはいえど、時には初心に帰って精神鍛錬を行うと良いだろう。学問の世界こそ現場百遍の心得で望むべきじゃろうて。基本も応用も幾度となく研究してこそ教育者の鑑として完成されるというもの。それから単純に、教え子が作った文化発展の結晶を責任者がしっかり評価するのも務めじゃろう」
坊さんは教育者にまで説教を始めた。そうと聞けば背中を押されるがままに校長は滝行に参加することとなった。
着替え終わった校長が出て来た。
滝を発射するのは太郎の役目だった。
「おい太郎、校長が入ったぞ」
「おお、通りで見慣れた感じのする丸さだと思った」
普段見慣れた丸い人間も、真上から見ればよその丸い何かに見えたようだ。なんだか早口言葉みたいな感想。
「素敵な文化発信の場を提供してくれた我が校のボスだ。そうとくればしっかりサービスしてあげなきゃ」
サービス精神旺盛な太郎のやつは、普段設定の水圧をぐーんと上げてまるで槍のような水を御見舞した。
真上から落ちる槍に校長の頭はぶち抜かれて首がすっ飛んだと思った。事実、何かが向こう側に飛んだのだ。
あまりの水の勢いに校長は姿勢良く立位を維持することが叶わず、大の字で水面に倒れ込んでしまった。
「おいぃ!太郎!校長を殺す気かぁあ!」
「あっ、いけね。せっかくだから勢い良く浴びてもらおうと思ったら、コイツってばハイパーマシンの性能を持っているから老体にはキツかったなぁ」
太郎は呑気に高圧洗浄機の性能を褒めていた。確かに凄い。染み込んで四半世紀の汚れもぶっ飛ばしそうな勢いだ。
俺は校長に駆け寄った。
水飛沫が上がって周囲の視界が曇るが、すぐにクリアに晴れる。
うつ伏せで水に沈む校長を確認する。良かった、首はついている。じゃあさっき何かが飛んで行ったと思ったのは何だったのか。錯覚か?
辺りを見回してみる。そして俺は見つけてしまった。校長の少し横にプカプカ浮かぶ黒い塊を。
それを拾ってみる。
「これは……毛?」
不自然なまでに固まった毛を手にした俺は、それが毛に違いないと知ってもなお疑問が解けなかった。
「そりゃカツラじゃな。元気な毛根を演出するための被り物じゃ」
和尚の説明は残酷なまでに明確なものだった。
腹の状態以外で校長がどういった人間かの説明がまだだった。
校長の身長は150後半で160cmに届かないくらいだ。小柄のおっさんである。そして髪の毛は生えすぎなこともなく、かといってハゲてもいない自然な毛量としてジャストな範囲で生えていた。さっきまでそのように思えた。そう過去形なのだ。
今の彼の頭を見れば、本の数秒前と比べて明らかに毛量が減っている。これは、立派な大人が行う立派なハゲ隠しの術だった。それがバレた瞬間だった。
校長の毛量は、残酷なまでに人生の栄華の頂点を過ぎ去って減っている。横に少し残っているばかりで中央にはピカピカの肌色ラインが敷かれていた。それも滝に洗われて余計にピカピカツルツルしている。
これが漫画のワンシーンなんかに挟まれたとしたら、さぞ間抜けで面白い景色に見えて視聴者は笑ってしまうだろう。だが俺は全く笑えなかった。
これはなんというか、ズボンのチャックが全開なのを忘れてギャルの前に出ていった時の羞恥心や気まずさを80倍に拡大したようなものだった。あれの80倍の世界だぞ。ならば誰が笑えるというのだ。
その場に10数名の生徒がいた。お客さんもいた。皆硬直状態だった。
やがて水面から顔を上げて起き上がった校長は、頭がスースーするのに気づいて辺りを見回す。そして俺が持っている毛の塊に気づく。これによってまたこの場で硬直する人間の数が増えた。
やってくれたな太郎。この状況をどうしてくれるのだ。
「煩悩だけではない。身にまとった偽りをも流して真実との邂逅を叶える。それもまた滝行における精神鍛錬の賜物。その歳になってもなお、お主は一皮向けて真実に到達した。ならば良き良き、これにて文化が成った。滝行こそ大日本有数の一級文化よ!」
和尚の有する広大な徳の世界観による力強き説法に感動した皆は拍手を飛ばし唸りを上げる。
なんか良い流れになったことで、カツラのことは全員が一旦置いておくことが出来た。さすが、徳の高い老人はやることがすごい。もはやマジック。
「おい、校長ってばカツラだったな」
1人カツラの記憶を忘れない太郎の口を塞いでおいた。これ以上カツラの話題に触れては不味い。
人はいくつになっても「傷つく」事に鈍感にはならないのだ。歳に関係なく、今日校長が負ったダメージは少なくない。
文化祭の出し物は、教師陣や地域の人が見て回って評価するのだという。その評価が高かったクラスはなんともありがたい栄誉に預かり、他にもありがたい商品を貰えるとか。
俺達が頑張った滝行も結構評判が良かった。多くの教師から好評を得たものの、校長がそこに不満というか、怒りと悲しみを持ち込んだことで出し物評価での大賞は逃す事となった。
良い所まで行けたのは太郎がアイデアを出したから。そして真に良い所への到達を逃したのもまた太郎の困った一手があったからだった。
まぁ色々あったが、丸っと総合的に評価してこの体験は俺達にとって楽しく良いものになった。校長には気の毒だがな。
滝行という文化の完成と発信に向かってクラス全員が心を繋げて丸い回線が出来た。その感動と快楽を味わうことも出来た。俺にはとても良い想い出になったんだな。これだから人と人とが繋がるって素晴らしい。
それから、将来カツラにお世話になることのないよう、今からでも我が頭皮とは蜜月状態になっていつまでも仲良くしようと思った。髪の毛が死ぬほど大事って訳でもないが、やはりしっかりハゲると寂しいものな。
こうして俺達は、文化と頭皮ケアの大切さを知る良き秋を迎えたのだった。