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第七話 カモナ ニルス!

 これぞ我が城、我が調度品と信じて愛でた時は一瞬にして終わった。それらは、両親の愛が舞いに舞って出来た命、つまりは姉の舞愛まいあのものだった。

 

 母には階段を登ってすぐの部屋が俺の部屋と聞いたが、そこまでは間違いではなかったのだ。実は舞愛の部屋の向かいにもまだ部屋があった。それが俺の本当の部屋だった。

 今度こそ真に我が城の門をくぐって中を見たところ、わざわざ報告するには及ばないマジで普通の部屋だと分かった。

 姉の部屋のように変わった物は特になく、実にプレーンな部屋だった。自分の事だけど、つまらない部屋だと思った。


 今日は色々なことがあって体が疲れた。その色々の内容がまだ全部は分かってはいない点でまた気疲れも襲ってくる。だから部屋で休もうと思ったのだが、休む間なく晩飯の時間になった。

 母に呼ばれ、気分としては人生初めての晩餐に臨む。

 それの感想がこうだ。


「美味いぞ!美味い!」


 里芋の煮っころがしを突付いたら味噌汁を飲む。そして次には、輝く白銀へと箸を伸ばす。


「美味いぞ!美味い!」


 実に美味い白銀の正体はタチウオだった。俺は里芋とタチウオが好きだったのだと気づく。


「うんうん。元気だね。男の子はそうして元気にもぐもぐ頬張るのが良いね」

 麗椎れいしい母さんはご機嫌だ。


 母の料理の腕は及第点にいくらかおまけをつけてやっても良いくらいの出来だった。つまり上出来だね。


 記憶の喪失部分を精神的な満足で埋めるかのごとく箸が進む。今はとにかく食欲を満たしたい。

 食いたい。すごく食いたいぞ。俺は今生きている。食う度に強く実感するのだった。


「ちょっと、ガツガツしないでもっとゆっくり食べなよ。タチウオって結構高いのよ」

 

 姉がそんな情報をくれるが、魚の市場相場をまるで知らない俺には、聞いたところでありがたみが理解出来ない。とにかく美味いから早く次の一口が欲しい。


 食って落ち着いたところで、家族三人のゆっくりとした会話が始まる。


「で、太郎よ」

 隣に座る姉が俺を呼ぶ。


「これ、聞いてみたかったのよね。記憶を失くしたあんたにとって、お姉ちゃんはお姉ちゃんであってそうではない妙な感覚になっているのよね。つまり、今のあんたは、急に見知らぬイケてるギャルに出会ったことになる」

「イケてるギャル、だと?」


 イケてるギャルという概念が漠然としか理解できず、はっきりとこういうギャルがイケてるという答えが分からない。


「で、どう?お姉ちゃんだけど、他人として遭遇したこのイケてる私、見ていてドキドキしない?またはムラムラ来ない?」


 何を言ってるのだこの姉は。そう思いつつ改めて姉という女を上から下まで、そして次には下から上まで往復して見てみる。


「あんた、まるで舐めるかのようにしっかりと往復見したわね。弟の分際でこの姉を。とか言わないで、弟の特権として見るだけならいくらでも許そう」


 姉は寛大だ。そしてちょっと変。


「ふむ、美人だ。スタイルも良い」

「え!」


 それはただの事実として言えること。でもそれまでのこと。

 やはり姉弟だものな。忘れていても、暗黙の内にそういう邪な想いはシャットアウトされるようになっているらしい。ドキドキとムラムラはやってこないさ。

 良かった。俺には姉を汚らわしい目で見る愉快な趣味は無かったようだ。


「まったく太郎ってば、お姉ちゃんが大好きだな~もう。ちょっとドキッとしたぞ。合格だ弟よ!」

「うわぁ、ちょっと!お茶を飲んでいるんだろうが!」


 人が茶を飲んでいる横で、姉は笑いながら俺の腰をバンバン叩いて来る。


「ところで母さん」

「レイシーちゃんでいいぞ」

「いや……本当に以前の俺はその呼び方だったの?」

「ははっ、まあそれはいいよ。で、なに?」


 俺は気になる事を母に聞くことにした。もしかすると禁句なのかもしれないそれを。


「この家、大黒柱は……」

「というと?」

「母さんの旦那さんは?」

「はっは!何を聞きづらそうに。死んでもないし、離婚でもないよ。釣りに行ってるのよ。そろそろ帰ってくるよ」


 ふぅ~良かった。尋ねることで気まずくなる案件だったらどうしようと思っていた。


 そんな話をした直後にも玄関で音がする。


「ただいま~」


 おっさんの声がする。まだ見ぬ父の声だ。



「おいおい、聞いたぞ太郎。お前大変な事になったんだってな」

 

 普通の父に見える。中肉中背。朗らかな感じ。

 大変な事になった息子を話題にするには顔つきが穏やか、というかニヤけている。


「いや~病院から電話をもらったんだけどな。なにせ釣り竿を一度握ったからには、すぐに離して帰り支度も出来ないだろう?帰りが遅れてすまんな~」


 なんだろう。こちらも変な人臭がする。


「息子が大変なのに病院に向かわないだなんてな。思い出すんだけどさ~大昔に、産気づいた奥さんを放っておいて鯉を釣っている男の映画があったんだよ。あれを見た時には、愛する嫁は一人のみで、鯉はいくらでもいるんだから、すぐに竿を置いて病院に行くべきだってスクリーンに向かってツッコミもしたさ。でもね、これも勝負だから。勝負の途中で席を立つのは難しい。今になって映画の中の男の気持ちが分かるよね」

「はぁ……」

 

 何を言ってるのかよく分からないので、何とも答えようがない。


「で、父さんのことは分かるか?」と釣りバカが俺に問う。


 そんな釣りバカおじさんの事は何も覚えていないのだ。


「そうか~。まぁゆっくり思い出してくれ。釣りもゆっくり待つ。それが勝利への鉄則だ」


 記憶と釣りを一緒に考えるなよな。


「じゃあ紹介しないとな。父の名前も知らないだなんて、自分の半分を知らないも同然だ。だってお前の半分はお父さんで出来ているんだから」

「そしてもう半分はレイシーちゃんね」と愛の片割れが合いの手を入れてきた。


「では自分のもう半分を知ることで、己のルーツの補完とするがよい。刻め、父さんが、そのまた父さんからもらった魂の名、新流主にるすの名を!」

 

「何ぃぃ!ニルス!」

 

 まるで鳥の背中に乗って漫遊するいにしえのお子様のような名前だった。

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