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第五十七話 CASE キンキン:黄金を生む一族 1

 金は天下の回りもの。だから回っている金を抑えればそれ即ち天下を握るに等しい。

 それが一代で人生を黄金色に輝かせた祖父の考え。その教えはそのまま息子に、そのまた息子の僕にまて降りて来た。

 金は確かに尊い。それが無駄なもの、軽んじる物とはとても思えない。

 僕はこれまで金に助けられて来た。不自由が無いどころか人より+αでもβでも贅沢が出来る衣食住のありがたさを僕はよく知っている。それは金があってこそ叶うものだ。

 金を持っているから、常にそれが近くにあり触れているからこそ僕は金のありがたさを知っている。


 金がないなら「幸福」を象るのは難しい。分かりやすく生活の質を上げるトリガーなりファクターとなるのが金だ。

 僕は金が無くて泣く人間を何人と見てきた。でも金があるからといって必ずしも笑えるのかというとそうでもない事もよく知っている。


 僕の生活に金銭的不自由はない。なのに、どうしてこうも僕は鬱屈とした日々を送るのか。

 金の無い人間は、金さえあれば自由と幸福が握れると思っているのかもしれない。もしそういう人に我が家の金のいくらかを分けたら、彼らは本当に予想通り人生の光を掴む事ができるのだろうか。もしかすると金の有無と自由や幸福の有無はまるで関係が無いことなのかもしれない。


 僕の生活は一般人から見れば刺激的だったかもしれない。

 家庭の教育方針はいわゆる英才教育だった。

 祖父も父もお金に厳しい。それはイコールして金にまつわる人生を作る事へも厳しくなることだ。

 一廉の人間になる。それが重要。そういう人間の周りには必ず金がある。金を作るなら人間を作れ。それが大人達の考えだった。

 

 学問は基礎から始まり、やがてそれを大きく越えた発展形まで容赦なく頭に叩きこまれる。その他テーブルマナーをはじめ一般人が一般社会で生きるには余計なあれこれの知識も同時に叩き込まれた。金に通ずることなら何でも知っておけ、出来るようになっておけ、雑なようでこれといって隙のないベストな教育方針が敷かれた。大人達はそう思っている。


 日々頭の中にテニスボールの高速スマッシュを叩き込まれるような感覚になった。入って来る物の量がとにかく多い、そして速い。それに慣れないと我が家では人として、または金を生む命として認められなかった。

 

 子供から見た大人は人生を作る創造主だ。自分の人生という箱庭をどうするかは、自分を管理する大人の判断で決まる。小さい子供には自分の人生の想像も創造も出来はしない。

 そんな時分に大人から認められない、突き放されるなどの行為を受ければ恐怖で震えてしまう。頼るべき人達の頼りにされなくなる事がとても怖かった。だから期待通りかそれ以上で生きる。僕はいつも気を張り、子供には不必要な緊張感の中で大人の顔色を伺っていた。

 それを器用に行う自分を幾らかは誇る事ができたが、大部分では嘘臭くで嫌いだった。自分の才能なのに、僕はそれを愛せなかった。


 親も先生も同級生も皆僕を褒めてくれる。

 勉学、スポーツ、人から好感を持たれるよう気を利かせること、それぞれを意識的に頑張った。でも女子はちょっと苦手だったけど。


 十数年そのようにして生きた感想はというと、とても窮屈だった。


 親に良い顔をする。それは偽った先での行動となることがほとんどだった。親との関係は表向きには悪くない。自分も決して親が嫌いな事はない。でも、しっかり愛せているのか、この家庭の構成員として自分は居心地よくここにいるのか、そう自問すると自分で欲しかった答えを自分で出すのに躊躇する。結果、答えが出ない。


 僕は自然と殻に閉じこもった卵人間になってしまった。他人の真意を探ってご機嫌伺いをする内、自分の真意が分からなくなった。実に不思議な状態だが、それも十年少々やっていれば日常のことだ。 

 なんとも物悲しい防壁たるこの殻を破るのならもう内部からでは無理だ。僕はどんどん自分を諦めていった。

 伸びやかに自分らしさを振りまいて生きる。それが出来たらどれだけ良いだろう。だが僕はそれが怖い。偽って作った今の自分を捨てるのが怖くなっていた。こうなれば偽物を本物と偽って生きるなんとも矛盾したイレギュラーな嘘つきとしてやっていくしかない。それが自分にとって良いとは思わないが、他の道を見失った。


 だが時は僥倖をもたらした。

 鶏の卵の殻は内側から割れるだろう。早く生まれたい命が内部で命のエネルギーを暴れさせる。そうして内部に閉じ込めておけなくなったエネルギーが外に漏れることで殻は割れる。これが誕生の過程だ。鶏に限ってはの話だが。 

 人間の心の殻はそうはいかない。僕の場合は情けない事に自分で殻を破れず、外側から他人に割ってもらうことで問題を解決する形となった。

 時の僥倖とは、僕に変わって殻割りをしてくれる者の登場のことだった。

 

 彼が連れ出してくれたのだ。狭い殻の外にある広い世界に。僕が夢見て望んでも到達出来なかった憧れの世界がそこにあった。

 彼こそが精神的に僕の親となった。彼の名は六反田太郎。暗い殻の中にも光を運ぶ大人物だ。

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