第五十話 太郎太郎太郎……(以下無限に太郎)
「やあ太郎」
「おっす太郎」
「こんにちは太郎」
「最近の景気はどうだい太郎」
太郎太郎太郎……あちこちに太郎がいて、それぞれが太郎のくせにまたそれぞれを太郎呼びして人目にややこしい交信を行っている。当人達はまるで違和感なくそれぞれが別個体と認識し見分けが出来ている。その上でこのカオスな世界は回っている。頭が痛くなるぜ。
後ろからポンと肩を叩かれる。振り返る。
やはりそうか。ここへ来て新しく次郎が出てくるわけもなく、後ろにいたのもまた太郎だった。
「どうしたんだい太郎。そんな所でぼぅ~と突っ立てさ」
お前こそどうしたんだ。誰にも向かって何を言ってるんだ。
そう思うのもそのはず。だってこの俺こそがオリジナルの六反田太郎なんだもの。その旨を後ろのバカ太郎に伝えてみた。
「へぇお前がオリジナルだって?どうしてまた?」
バカのような事を言ってくる。
「それは簡単な話で、本物の俺が本物以外を目にしている。じゃあこの目に映るのは皆偽物だ」
後ろの太郎は腕組して考え込んでいる。後ろのとはいっても、俺が振り返ってそちらを向いたからにはもう前の太郎なのだが。まぁそれはどうでもいいか。
「う~ん。どうして太郎が見ていると、その太郎達は偽物なの?」
偽物は禅問答でも始めようかという問い掛けをしてくる。
「本物がここにいるんだから、残りは太郎じゃない何かなんだよ。あいつらは太郎のフリをした次郎かもしれないしゴンザレスかもしれないしマクミランかもしれない。とにかく太郎じゃないんだ」
「どうしてさ?どうして太郎以外は全部太郎じゃないと言い切れるの?」
まだ言うか……いやしかしそれも一理あるのか?
「お前が偽物だと言う俺も太郎だ。それは確かな話。そして自分が本物と言うならやはりお前も太郎だ。なぜ太郎は一人という前提なんだ?俺もお前も、あそこの次郎やゴンザレスやマクミランの疑いがかかったヤツらも全部別個体として独立したそれぞれ偽り無き本物の太郎かもしれない」
むむっ、難しい事言いやがる。太郎のくせに……
「それを言うなら、あの太郎ズ達の目に映る太郎だって偽物と認識されたものかもしれない。太郎はさっき自分が本物だということについて言及した。じゃあ少し角度を変えて自分が偽物ではない証明というのは出来るか?やる気はあるか?」
やる気はないなぁ。
「じゃあ皆に聞いてみるかい。おーい太郎の皆ぁ~」
たくさんいる太郎の目が全てこちらを向く。一体いくつの瞳に俺が映っているのだろう。自分に見つめられるのも何か変な気分。
「皆は太郎かい?」
「もちろんさ」
「バカな事を聞くなよ」
「そりゃお前犬を見て猫ですか?って聞くくらいおバカなことだよ」
「そうだよ。見て分かることをいちいち聞くおバカをやってんじゃないよ」
太郎ズ皆が、己が太郎であるかどうかの問いかけに何も疑問を持たない。自分が太郎。それが全ての太郎にとって当たり前のことだった。
「じゃあこの太郎は、やはり皆と同じく太郎なのか?」
後ろの太郎改め前の太郎が俺を指さして皆に問う。
「当たり前だろ。それが次郎やゴンザレスに見えるか?」
「そうだよ。それからマクミランにも見えない」
「ドンリッジにならちょっと似ているけど、やはり太郎だね」
なんでさっき俺が例えで上げた人名を全部コイツらでシェアしてだんよ。それからドンリッジって誰よ?
「確かに太郎だ。でも、種類の違う太郎かもしれない」
一人の太郎が少し違う意見を発する。どういうことだ。
「たとえばここには手先が器用な太郎がいる。逆に不器用でどんくさい太郎もいる。鉄棒が得意な太郎がいれば、卓球がどうしようもなく下手な太郎もいる」
何を言い出すんだ。俺は一人で、まだ記憶は戻っていないけど、どういう人間性なのかは一つのはずだ。
「女子が大好き。甘いものが好き。サンタを信じている。クールに気取って格好をつけている。バイクに跨る暴走族。実はお人形遊びが好き。とても寂しがり屋。皆からウケを取ろうと芸人みたいな事を言ったりやったりする。料理が苦手」
何を言う。
「運動会のリレーで負けて悔しがる。作文が得意。実は友達のクーピーを隠した過去がある。姉さんのゲームを壊しちゃって黙っている。レアなカードを友だちにあげてしまった事を後悔している。先生の事をお母さんと呼んじゃううっかりをする事4回。掃除好きでやり始めると拘ってなかなか終わらない」
やめろ。
「自分が好き。嫌い。いや分からない。外でもない自分が分からないことで自分が情けなく、自分を愛することも嫌悪することも出来ない。それくらい無知。分からないことで安心、逆に怖い。知りたい自分、知りたくない自分。なぜ知る?知る必要は?本当に自分なの?自分は太郎なのか?」
やめろやめろ。何を言ってるんだ。少し違う意見を言うと思った太郎は、少しではなくどんどん変な方向にひん曲がった謎の考えを言う。
いや、それは謎ではないのかもしれない。俺はそれを知っている。そんな想いやそんな俺がいるのかもってことをなんとなく感じ取っている……ような気もする。
俺は太郎。あちこちで動いて喋る太郎もやはり太郎。同じ太郎だから、少しずつ違いがあっても、その違った部分を共有して結局全ての太郎は太郎に通じて一つになって……そうか、ここにいる太郎は全て俺なのか。偽物なんていない。皆真実の欠片、本物の俺達だ。
「太郎は知りたい?ここにいる太郎は、お前が忘れた部分を少しずつ持っている。じゃあどの太郎が知りたい?逆に怖いから遠ざけたい?今のお前は空っぽ。どれを拾うか、落としたままにするか、それを選択出来る状態にある唯一人の太郎がお前だ。俺達はもう自分を知って持ってしまっている。知って持ったものはもう落すことが出来ない。お前だけがイレギュラーにも0に戻った特殊な太郎。特殊にして何もないタダの空っぽの太郎。さぁ決めてみてくれ。俺達太郎は、空っぽの太郎が何を詰め込むのかという未来が知りたい。知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい」
この言葉は、一体どの太郎の口から発せられたものか分からない。でも太郎が太郎を見つめて発した真実の想いのはず。
ああ、うるさい。うるさい。それだけが確かなことだ。こいつはうるさい。うるさいんだ。
なんだ。声が消えて高く響く別の音が聞こえる。太郎の言葉よりもっとうるさい。うるさいうるさい。静かにしてくれ。頼む。
ハッと目が覚めた。
この音は時計のアラーム音だ。爆音設定にしてやがる。マジでうるさい。
「おっはよー太郎くん!」
挨拶と共にグミは時計のスイッチを押した。
「……グミ?なんで?」
「え?何でグミちゃんがこんなにキュートでプリティかって?それはねうんとね~」
朝からキツいノリは勘弁してください。降参しますから。
「なんでそんな迷惑そうなんだ?こんな可愛い子ちゃんに起こされるなんて、三流スケベラブコメ主人公男子みたいでとてもありがたいだろう」
えへんと胸を張って言いやがる。胸を突っ張るものじゃない。もっと慎みなさい。それから何の主人公だって?知らん知らん。
「で、何しに来た。俺の朝を返せ」
「朝ならお返しするよ」と言って何も無い両の手のひらを見せて来た。このノリが好きな男は何人いるのだろう。
「今日はね、大変なんだよ。いつまでもいつまでも寝ている事が許される世界は終わったの」
「なんでだ。終わりにするな」
「だって君は学生だよ。学生は何をしてこそ学生たる威厳を守れると思える?」
「それはお前……やっぱり学生だから学んで生きてってことで」
「そうだね!」指をパチンと鳴らして正解の合図をくれた。別に嬉しくない。
「じゃあ着替えて。学校だよ」
「え?学校?何それ?」
「なにって僕の私の青春の基地でしょ。さぁさぁ」
グミは布団を剥ぎ取って起床を催促する。
ここで舞愛お姉様登場。
「あ~もう、あんた達の夫婦漫才もどきを見てても埒があかないわね。太郎、よくお聞き」
俺は耳の穴をかっぽじって姉の話を聞くことにした。